第14話 重なり合う唇

 翌朝は目が覚めると既にエリは家にはいなかった。

 恐らくまた畑仕事に行っているのだろう。


 怪我を負った体に鞭を打ち、立ち上がる。

 エリ特性の薬草が効いたのか、外傷はかなり良くなっている。

 しかし、身体的なダメージはまだ完治には程遠い様だ。だが、寝てばかりもいられない。少しでも体を動かさないと筋力が衰えてしまう。

 今まで日課としていたトレーニングを一刻も早く再開したい所だが、今の状態じゃ余計体を悪くするだけだろうし、剣を振っていたら怪しまれるだろう。

 いや、もはや勇者でもない自分にとってそれは不要かも知れない。

 とにかく今は、傷を癒やすことに専念すべきで、その辺りは後でゆっくり考えよう。

 だが、少しは体を動かさないと落ち着かないため、また村の中を歩いてみることにした。


 ◆◆◆


 重い体を引きずりながら散策していると、森の方から男の叫び声が聞こえた。

「なんだ!?」

 丁度今日は森の方を散策しようとしていたので比較的近い。

 体が万全の状態であれば、瞬時に声の主の元へ行けただろうが、それでも出来る限り早く向かった。


 森へ入ると、頭が二つ有る巨大な犬がうなり声を上げていた。

 その体躯は人を丸呑み出来るほど大きく、たてがみ一本一本と尻尾が蛇で、その体毛は黒い。

 そして、その目の前には尻もちをついた男の村人がいた。

 それは先日話しかけてきたあの村人だった。

 犬に引っかかれたのか、左腕からは血が流れている。


「くっ!」

 咄嗟に村人の前に踊りでる。

「あっ! あんたは!」

「良いから! 今すぐ逃げろっ!」

 正直ほおっておけばいい。俺はもう勇者なのではないし、いずれ去る村だ。この男になんの恩義も無いし助ける義理なんて全くない。

 だがしかし、体が反応してしまっていた。

 ギロリと双頭の目がこちらを向く。いや、それだけではない。たてがみと尻尾もこちらの動きを伺っている。


 今の状態では倒すのは厳しいかも知れない。せめて男を逃がす時間を稼がなければ。

 辺りを伺うが武器になりそうなものは無かった。

 男は腰を抜かしてしまっているのか、逃げる事が出来ないでいる様だ。

 この状況で、男を担いで逃げ切る事など不可能だろう。一応魔法は使えるが初級の火炎魔法では足止めにすらならない。中級魔法か、せめて他の属性の魔法が使えれば良かったかも知れないが。


 このモンスターは強い、それを肌で感じる。

 だが、みすみす命を投げ出すつもりは無い。最善の策を考えていると、視界の端を何かが放物線を描き飛んでくるのが見えた。


 それがコツンと双頭の犬の頭に当たった。

 草刈り用の鎌だった。

 飛んできた方向に目を向けると、そこにはエリが立っていた。

「あんた、は、早く逃げな!」

 そのひざは震えている。


 バカヤロウ。そう言いかけた瞬間、双頭の犬は体勢を変えエリに向かって飛びかかろうとしていた。

 動きがスローモーションに見える。

 俺は体の怪我を忘れ、全力でエリの元へ跳躍していた。


 そして、エリに向かって振り下ろされる右前足を左腕で弾き、がら空きになった喉元に手刀を叩き込んでいた。

 双頭の犬はビクンビクンと痙攣した後、大きな音を立て倒れこんだ。そして、大量の血が地面を濡らした。


「大丈夫か?」

 安否を確かめるためエリの方を向く。

 だが、その顔は驚いた表情をしていた。

「あ、あんた。その腕……」

 そう言われ、自分の両腕を見てみる。

「何だ、コレは……」

 なんと、両腕の肘から下が竜の腕へと変化している。

 恐らくこれのおかげで双頭の犬の攻撃をはじくことができ、また倒すことが出来たのだろう。


 だが、自分自身でどうやったのか分からない。

「いけない!」

 エリはそう言うと、頭に巻いていた布で俺の両腕を隠した。

 ハラリと露わになったその長い黒髪は、艶があってとても美しい。


「さぁ、あんたは先に家へ帰ってな」

「エリは?」

「あたしは後から行くよ。さぁ他の村人に見られたら面倒になるから」

 そう促され、俺は一足先にエリの家へと戻った。


 ◆◆◆


 家に戻った頃には、俺の両腕は元に戻っていた。

 しかし、あんな魔物がこんな平和そうな村に出没するとは。一体あれは何だったのだろうか。


 暫くすると、エリが疲れた顔をして帰ってきた。

「あぁ、良かった。無事に戻ってたんだね」

 俺の顔を見るなり安堵した表情を浮かべた。


「俺は大丈夫だ。しかし、なんでまたあんな無謀な真似をした?」

 エリは恐らく戦闘経験など無いだろう。しかし、あの双頭の犬に向かって鎌を投げつけた。

 それは自殺行為に等しい。

「そりゃ、あんたを助けるためさ。まぁ、逆に助けられちまったけどね」

 えへへと苦笑いをする。


 しかし、やはり俺の両腕の事は一切触れてこない。


 暫くの沈黙。


 助けてもらった恩義か、迷惑になるかも知れないと思いつつ、俺の事を理解してほしい。何故かそう思ってしまった。


「ある村に、世界を救った勇者の子供として一人の少年が生まれた」


 エリは俺の言葉を静かに聞いている。


「その少年は、腕に勇者の紋章を宿し、村人たちから大切に育てられた。それは、生まれた時に両親を失ったからだ」


「少年には幼馴染が二人いた。一人は勇者と冒険を共にした仲間の息子。もう一人は少年の生まれた村の村長の娘。幼い頃は三人でよく遊んでいた。しかし、歳を重ねるにつれお互いの心が離れて行った。少年は勇者として正しくあろうと生きてきた。だが、少年は勇者なんかじゃ無かった。勇者の紋章と思われたそれは、かつて世界を滅ぼそうとした魔王の呪いだった。それを知った少年は絶望した。今までの人生を否定されたからだ。そして、村人を憎んだ。どうして今までだましていたのかと」


エリの憂いをおびた黒い瞳が、こちらをじっと見つめてくる。


「そして、本当の勇者は幼馴染の少年だった。本人は全く知らなかった様だが、逆にそれが勇者と言われてきた少年にとっては苦痛だった。勇者としての苦労も知らず、自由気ままに生きてきたからだ。それに何より、少年が思いを寄せていた娘が、幼馴染の少年の事が好きだという事実に驚愕した」


エリの唇から優しい吐息が漏れる。


「真実を知ったかつて勇者だった少年は、本当は勇者だった少年をこの世から葬り去る事にした。そうすれば、思いを寄せている娘も手に入れられる、そう思ったからだ。しかし、幼馴染の少年をその手にかけようとした時、間に割って入った娘を誤って刺してしまった。その瞬間、少年は思った。こんな世界なんて無くなればいい、と。そして、気が付いたら――」

 突然唇を塞がれた。

 エリの唇によってだ。


「もう、良いよ。その少年は、とてもつらい思いをしたんだね」

 再び重なる唇。

「これは、あたしのわがままだから、許して、ね?」

 そう言われ、優しく押し倒された。

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