第27話

「邪魔をする!」


 そんな声と呼び鈴がほぼ同時に屋内に響いたかと思うと、開いたままになっていた玄関からは無数の軍靴が石畳の上を擦る音が聞こえてくる。弥生たちが慌てて様子を見に行くと、群青色の軍服を着た男性たちが玄関を埋め尽くしていたのであった。

 

「獄卒が朝から何の用だ?」

「この家に人間の魂がいると聞いた。住民はこれで全員か?」

 

 朧が獄卒と呼んだ男性たちは歴史の教科書で見たような昔風のデザインの軍服姿に同じ色の軍帽を頭に乗せて黒の軍靴を履いていた。腰にはサーベルらしき湾曲した刀を佩いているので、抵抗する者たちを切り伏せるのに使っているのだろう。

 獄卒を代表して話す男性からほとんど感情の無い目を向けられると、直感的に弥生は朧の後ろに隠れたのであった。


「この場を動かないでもらおう……千鳥ちどり

「うぃ~す」


 千鳥と呼ばれた獄卒は最初に朧を、次いで弥生を見て来る。金色に目を光らせて舐めるように頭から爪先までじっくり眺めてくる視線から逃れようと、弥生は明後日の方向を向いて目を逸らし続ける。やがて千鳥は意味ありげに口元に弧を描くと戻って行ったのだった。


「どうだった?」

「女の方は人間臭いながらも微かに鬼の力を感じる。男の方は鬼の匂いはするけれども鬼の力を感じなかった。鬼の偽物って感じ。人間はこっちかな」

「なら男の方か……。捕縛しろ!」


 男性の指示で後ろに控えていた獄卒たちが朧を囲むと腕を拘束する。咄嗟に弥生は朧に手を伸ばすが、千鳥によって引き離されたのだった。


「離してくださいっ! 朧さんは人間ではありません! 人間は私です……!」

「駄目だよ、鬼のお嬢さん。人間はかくりよで生きられないから、オレたちが黄泉の国に連れて行くんだ。二度とこんなことをしないよう、徹底的に痛めつけてさ」

「痛めつけるんですか!? どうして……!?」

「人間の中にはね。地獄に落ちるのが嫌で、かくりよのあやかしに紛れ込んで暮らそうとする者がいる。それも輪廻転生さえさせられないような大悪党に限って。そいつらが再び脱走しないように痛めつけて罰を与えるのがオレたち獄卒の仕事なの。そこの雲雀ひばり隊長もね」

「いつまで無駄話をしている。対象は捕まえた。すぐに地獄に連れて行くぞ」

「うぃす。じゃあね、鬼のお嬢さん。そうだ、今度一緒にデエトでもしない? 下町に新しいミルクホールが開店してさ……」

「千鳥! 軟派してないで早く来い!!」


 雲雀と呼ばれた獄卒に首根っこを掴まれた千鳥は襟元を引き摺られるように連れて行かれる。弥生も草履を履くと、慌てて雲雀たちの後を追いかけたのだった。


「待って下さい! 地獄に連れて行くのなら、私を連れて行って下さい!」

「そこまでしてこれと離れるのが嫌なのか。鬼の娘」

「人間は私です。その人から鬼の力を奪いました。地獄に連れて行くなら私を連れて行ってください!」

「それは誠か、鬼の娘。嘘をついたらただでは済まさん。この場で切り捨ててくれる」


 雲雀がサーベルの柄に手を掛けた時、朧が「待て!」と声を張り上げる。


「彼女は風鬼だ。あんたたちもさっき調べただろう。連れて行くなら俺を連れて行け!」

「朧さん!」

「ここで友人や恋人を作るのだろう! 女鬼ならかくりよのどこに行っても歓迎される。上町に住む鬼たちを頼れ。お前の役目は俺と弥彦の力を次の代に受け継ぐことだ。この世界に鬼が存在していたという確かな証を残せ」

 

 朧の言葉にハッとさせられる。今朝の話を朧は覚えていてくれた。弥生が友人や恋人に憧れを抱いていることも、この世界なら自分の体質を受け入れてくれるかもしれないという期待を抱いていることさえも。そのためなら朧は自分が犠牲になればいいと思っている。それが許せなかった。

 

「どうして簡単に諦めてしまうんですか!? 私には命を粗末にするなって言ったのにっ!」


 暴走した鬼の力に飲み込まれかけた弥生は、朧に言われたその言葉で救われた。それなのに言った本人が何もせずに諦めてしまうのか。弥生に生きろと言った当人が。

 

「朧さんも一緒に生きて下さい。私たちは将来を誓い合った恋人……でしょう?」

「馬鹿! 今はそんな話をするな!」


 昨日も使った作り話をあたかも事実のように話せば、雲雀は眉を上げて弥生の元にやって来る。朧より高身長の雲雀に見下ろされて委縮しそうになるが、ぐっと顔を上げて雲雀を真っ直ぐに見つめ返す。


「今の話は誠か?」

「本当です。私たちは恋人です。私が人間で彼が持っていた風鬼の力を奪いました。水鬼と火鬼の力もです」

「いいや、違う! 彼女は風鬼だ。生まれも育ちも現世だから、この世界の勝手を知らないだけで、ずっと鬼として生きてきた。彼女に構わず、俺を連れて行けっ!」


 暴れる朧を獄卒たちが押さえつけ、そんな朧を雲雀は一瞥する。何の感情もこもっていない目は、またすぐ弥生に向き直るがますます疑いを深くしたようだった。

 

「千鳥は鬼の娘から人間の臭いがすると言っていた。もし鬼の娘がこの男から鬼の力を奪った人間なら、俺たちは鬼の力をあるべき場所に返して、娘を地獄に連れて行かねばならん」

「どうやって証明すればいいんですか?」

「ここで鬼の力を使え。風鬼なら旋風くらい起こせるだろう。力を使えなければお前も人間と見なす。鬼の力を回収して地獄に送ってやる」

「……分かりました」


 弥生は両手の掌を上に向けて旋風をイメージする。このやり方が正しいのか分からないが、今は朧を助けたい想いで頭が一杯になっていた。


(お願いします。力を貸して下さい。弥彦さん)


 そう願うが、昨日の暴風雨が頭を過ぎって手が震えてしまう。

 また力を暴走させたらどうしよう。獄卒だけではなく朧まで傷つけたら?

 弥生の中にいる弥彦の大切な人を、これ以上傷つけたくなかった。恐怖で膝まで震えているような気がして、吐き気も込み上げてくる。

 目を瞑っていると、急に弥生の中から何かが溢れるような感覚がする。この感覚には覚えがあった。先日の風雨が起こった時と同じであった。


(駄目! 暴れないで、昨日みたいな嵐は止めて……!)


 ――やよちゃん。


 自分の中から懐かしい若い男性の声が聞こえてくる。それは弥生が鬼の力を取り込んだ時に、頭を撫でてくれた声の主でもあった。


 ――覚悟は決まった?


 その声に弥生の身体が震える。これが今後の弥生の生を分かつ、最初で最後の選択なのだと。

 再度人に転生して今度こそ人並みの幸せを手に入れるか、今の弥生のまま鬼として転生してあやかしとしての長い時間を生きていくか。

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