第26話

 朝食後に昨日の鬼の力の暴走で散らかったままになっていた茶の間の片付けを始めた二人であったが、あまりの惨状に朧はすぐに手を止めると呆れた様子を見せる。


「これは畳も含めて全て買い替えた方が早いな」


 水気を吸った畳は色を変えた上に、一晩経って中まで吸収したようだった。多少の水濡れなら外に干して乾かす方法もあったが、弥生が暴走させた暴風雨に当たって下まですっかり濡れてしまった。こうなったら黴が生える前に買い替えた方が早いらしい。


「すみません……」

「謝るな。どうせ買い替えを検討していたところだ。この際に徹底的に変えてしまおう。後で業者に交換の連絡をするから、先に割れ物を集積所まで運んで、この機会に不用品は全て捨ててしまう。以前から荷物を整理したいと思っていたから丁度良い」


 二人の内、どれが必要で不用か分かるのが朧しかいなかったため、弥生は朧がまとめたゴミを少し離れたところにあるゴミ集積場まで運ぶことになった。ここでも現世と同じように曜日ごとに専用の業者がゴミを回収に来るそうで、弥生たちはただ集積場まで持って行くだけで良いとのことであった。

 朧から集積場の場所を教えてもらい、家と集積場を何往復もしていた弥生だったが、やがて他のゴミと一緒に置かれていたある物が目に入る。


「あの、朧さん。この絵も捨ててしまうんですか……?」


 弥生が手に取ったのは、ハガキ四枚分を縦に並べたくらいの小さな日本画であった。中心部には小さな少女と大人の男性と思しき二人が手を繋いで岡らしき小高い場所から黒い星空を見上げており、二人の視界の先には大小異なる無数の白い星が描かれていた。

 元は額縁に入って飾られていたのか、中心部にわずかに日焼け跡が残る日本画は多少水で濡れた跡があるだけで何も問題が無さそうだった。売り物にはならなくても、また額縁に入れて飾れば観賞用として楽しめるだろう。

 ゴミ袋を縛って封をしていた朧だったが、弥生の問い掛けに見向きもしないまま低い声で肯定する。


「茶の間の壁に飾っていたら額縁が落ちたらしいな。それは弥彦が飾っていたものだから、もう捨てていい」

「でも少し濡れただけで捨ててしまうなんて勿体ないです。きっとこの絵を描いた人も、大切にして欲しくて描いているかもしれませんし」

「そんなこと気にしなくていい。捨てようとしているのは、その絵を描いた奴だからな」

「朧さんの作品なんですか? この素敵な星空の絵」

「……まあな。元々は売り物だったんだが、長らく買い手がつかなくて弥彦が買ってくれた。茶の間に飾って、俺の絵を買い付けに来る画商たちに自慢するんだって張り切っていた物だ」

「朧さんの仕事って画家なんですね。すごいです!」


 芸術に関して弥生は全くの素人だが、それでも現世で見たテレビのドキュメンタリー番組で美術系の大学を卒業した画家が相当な苦労をして、世界に名を馳せる著名な画家になったという話を視聴したことがある。新人の頃は全く買い手がつかず、他の画家の元で下積みをこなしながらコンクールで入賞することで、ようやく名前を知られるようになったとも。画家としての朧の知名度は知らないが、こんな目を奪われるような日本画を制作出来るのなら、きっと有名に違いない。そう興奮していた弥生だったが、対して朧の口から出たのは冷え切った言葉であった。


「画家だったのも昔の話だ。弥彦がいなくなってからは久しく筆を手にしていない。このまま廃業するつもりだ」

「そんな……。こんなに綺麗な絵を描かれているのに辞めるなんて勿体ないです」

「画家として成功していたのも、弥彦の支援と売り込みがあってこそだ。その絵だって、弥彦が現世で経験した話を元に描いたものだ。俺一人だと何も出来ない。何も……描けないんだ」


 これ以上、この話には触れて欲しくないというようにゴミをまとめ始めた朧の背中に、弥生は「それなら」と声を掛ける。


「この絵を私がもらうことは出来ますか?」

「お前が? 何も価値の無い絵だぞ」

「金銭的価値は無くても、朧さんと弥彦さんの想いが詰まった貴重なものですから。私が貰って部屋に飾りたいです。駄目でしょうか……?」

「好きにしろ。どうせ捨てるつもりだったものだ」


 弥生は礼を述べると、早速部屋に絵を持って行く。その途中、廊下に出していた壊れた箪笥の横を通った時に洋服の裾が引っかかって、布地が破れる音が後ろから聞こえてきたが、この時の弥生はそれよりも気になっていることがあった。


(この絵、どこかで見覚えがあるような……)


 昔、まだ祖母が生きていた頃に祖母の家で見たような覚えがあった。どういったきっかけで、誰に見せてもらったのかは分からないが、それでもこの絵について一つだけ記憶に残っていることがある。

 この絵のモデルになった少女は弥生で、隣の男性は祖母の護衛をしていたあやかしであると――。


(まさかね)


 祖母の護衛をしていたあやかしが弥彦だったとしたら、流石に弥彦が持っていた風鬼の力を吸収した時点で気付けただろう。顔こそ覚えていないが、祖母の護衛をしていたあやかしとは何度も会っている。もし祖母の護衛をしていたのが弥彦だとしたら、こんなに弥彦の痕跡が残る朧の家の中で何も思い出さないわけがない。きっと他人ならぬ、あやかしの空似だろう。星空をモチーフにした日本画なら現代日本にも数多くあるので、何かと間違えているだけかもしれない。

 そんなことを考えながら、弥生は持っていた絵を丁寧に客間の書き物机の上に置くと、すぐに朧の元に取って返したのであった。

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