風は吹き荒びて、恋模様をもたらす

第25話

「ふんふんふんっ、ふ〜ふふん、ふっふふん、ふふっふふふん……」

 

 明くる日、ほぼ日の出と同時に起床した弥生が鼻歌混じりに台所で朝食の用意をしていると、首に下げた手拭いで濡れた顔を拭きながら朧が入ってきた。


「どこからか美味そうな匂いがしてくると思ったら、お前か……」

「おはようございます。朧さん」


 昔ながらの鉄製の雪平鍋に味噌を溶かしながら弥生は振り向く。濃厚な米味噌が鍋の中で広がった途端、柔らかな味噌の匂いが台所を優しく包み、弥生の空腹を刺激する。


「昨晩はよく眠れたのか?」

「はい。ふかふかのお布団で朝までぐっすり眠れました」


 昨日と同じ洋服姿の弥生に朧は何か言いたげな顔をするが、すぐに目を逸らされてしまう。

 起床した時にはまだ半乾きだったが、着方が分からず、汚したらますます怒られそうな高価そうな着物よりは断然良い気がしたので我慢して着替えた。どこかのタイミングで洋品店の場所を教えてもらえばいいと。

 事情を説明しようと口を開きかけた弥生を遮るように、朧はすぐに元の顔に戻ると小さく口元を綻ばせたのだった。

 

「そのようだな。昨日より顔色が大分良い。暢気に鼻歌まで歌う余裕があるのなら大丈夫だろう」

「き、聞いていたんですか……?」

「部屋まで聞こえていたからな。おかげで気持ち良く起きられた」

 

 朧が来るまで一人だったこともあって、つい自宅で料理をしている時と同じテンションになっていた。今更ながら自分が置かれた状況を思い出して、恥ずかしさが込み上げてくる。

 

「うるさくして、すみません……」

「そんなことはどうでもいい。朝飯を作っているのか?」

「はい。勝手に食材や場所をお借りして、いけないと思いましたが……」

「それはいい。料理が出来るのか……意外だな」

「こう見えても、現世あっちではファミレスや居酒屋でバイトをしていました。簡単な料理くらいなら作れます」


 あやかしが原因で仕事や職場内の対人関係を壊されてきた弥生は、大学を卒業してからというものいくつもの仕事を転々としていた。生前最後に働いていたコンビニエンスストアのアルバイトに限らず、事務から販売、ファミリーレストラン、居酒屋、書店員など、業種や職種も関係なく、募集を見つければなんでも。

 弥生からしたら一人暮らしに必要な生活費を稼ぐために必死に働いていただけであったが、その中には弥生の仕事ぶりや若さを見込んで、社員登用の話をしてくれた上司や会社もあった。だがいずれも弥生の居所を嗅ぎつけたあやかしに付け狙われたことで、渋々退職を余儀なくされて話は立ち消えてしまったが。

 職を転々とする内に、独り身の弥生には使いようのない知恵や技術を身に付けて勿体なく感じていたが、まさか死後になって役に立つ日が来ようとは思いもよらなかった。人生、どこで何があるのか本当に分からない。

 台所の卓上には完成した料理を並べていたが、朧がその中の鯖の焼き料理に興味を示したので弥生は端的に説明する。


「鯖に醤油と七味、チーズをかけてオーブントースターで焼いたんです。よければ味見しますか?」

「せっかく用意してもらったところ悪いが、朝は食べない派で……」


 そんなことを言っていた朧の腹がぐぅ~と音を鳴らす。赤くなった頬を隠すように明後日の方角を向いた朧に弥生は笑みを零すが、弥生のお腹からも同じ音が出たのでお互いに顔を染めることになったのだった。


「昨日は疲れて何も食べずに休んでしまったので、少しくらい何か口にした方が良いと思います」

「……そうだな。飯は温かい内に食うに限る。それにしたって、冷蔵庫にはほとんど何も入っていなかっただろう。そんな限られた食材の中から、よく料理を作れたな」

「野菜や卵などの生鮮食品は無かったのですが、お米や保存食の備蓄はありました。味噌やチーズ、高野豆腐に乾燥わかめもあったので」

「煮物や鯖はどうした?」

「缶詰がありました。私も食べたことがあるものばかり備蓄されていたので、現世のものでしょうか?」


 勝手に開けるのも悪いと思ったが、居候させてもらっている手前、少しでも朧の役に立ちたいと思った弥生は朝早くから台所に立つと、朝食に使えそうな食材を探した。冷蔵庫の中はほとんど酒類と酒のつまみになりそうなチーズや乾きもの類しか見当たらなかったので、戸棚を手当たり次第に開けていたところ、大量に備蓄された鯖やひじきのなどの缶詰や保存食を見つけたのだった。

 他にも乾燥わかめと高野豆腐、味噌や米があったので、これらを組み合わせて、弥生は白米にわかめと高野豆腐の味噌汁、ひじきの炒り煮、そして居酒屋でバイトしていた時に同僚から教わった鯖のチーズ焼きを朝食として用意した。

 

「缶詰なら弥彦が買い溜めしたものだな。あいつは現世にしか売っていない珍しいものが好きだったから、仕事で行く度に現世の食品をたくさん買ってきてはここに置いていた」

「弥彦さんの仕事って……?」

「なんでも屋……万屋とでも言えばいいか。荷運びに人探し、現世に行くあやかしの護衛から、かくりよに移住するあやかし手伝いまで。携わった仕事は多岐にわたるからキリがない。とにかく幅広く何でもやっていた。仕事なら現世とかくりよを自由に行き来が出来るからって」


 通常、現世とかくりよを行き来するには二つの世界を繋ぐ門を守護する門番から許可を得る必要がある。その際に現世へ理由を聞かれるが、仕事や現世に住むあやかし絡みの理由なら許可は出やすく、弥彦は現世に行く理由としてなんでも屋を営んでいたという。


「もしかして、冷蔵庫やオーブントースター、炊飯器、ホームベーカリー、炭酸水メーカーまで揃っているのも、弥彦さんが現世から持ち込んだものですか?」


 一見してかくりよは明治時代や大正時代を彷彿とさせるような街並みや文化、生活様式などが目立つが、朧の家の中は弥生が暮らしていた現代日本とほぼ同じ様相をしていた。昨晩、浴室でシャワーを浴びた時も思ったが、家電や小物、日用品は現世から持ち込んだと思しきものが大半を占めており、弥生が朝食を作っているこの台所もガスコンロが設置されて、電気を使う電子レンジやオーブントースター、冷蔵庫、炊飯器まで常備されていて驚かされたのだった。

 

「冷蔵庫やオーブントースター、炊飯器はかくりよでも広く普及している。浴室のシャワーや脱衣所の洗濯機、室内の照明器具やテレビもな。地方の田舎はまだまだ昔の生活様式が残っているが、この家が建つ都市部の下町辺りまでは、現世を真似してあやかしたちが作ったガスや電気が通っているからな」

「なるほど……」

「ただ、その『ほーむべーかりー』や『たんさんすいめーかー』とやらは、弥彦が現世から買ってきたものだから、この辺りでも持っているのはうちぐらいだろう。あいつはよく使っていたが、俺は使い方すらさっぱり分からん」

「どちらも私が使い方を知っています。ただ材料や道具が必要なので、かくりよで手に入るのかどうか……」


 話している間に炊飯器が炊き上がったのか、音を鳴らして知らせてくれる。蒸らしている間に茶碗を用意していると、朧が感心したように呟く。


「こんなに気が利いて、料理が上手いのなら、さぞかし現世では男に惚れられただろう。引くて数多だったんじゃないか」

「いえ……。あっちでは彼氏どころか友達すらいませんでした。あやかしが見える体質を誰にも理解してもらえなくて、家族からも変人扱いされていました」


 唯一の理解者だった祖母が亡くなってからというもの、あやかしが見える弥生の体質を理解してくれる者はどこにもいなかった。そんな弥生を両親は変人扱いし、親戚からは病気や悪霊に取り憑かれているとまで言われるようになった。

 そんな両親や親戚から早く解放されたかった弥生は大学卒業と同時に家を出ると、そこから一度も帰省しなかった。たまに母親から安否を確認する連絡が来るだけで、帰省を強要された試しも無い。おそらく両親も変人の弥生が近くにいない方が、近所や親戚などの周囲の目を気を遣わなくて済む分、気が楽だからだろう。

 

「……悪いことを言ったな」

「いいえ! 昔はおばあちゃ……祖母がいましたし、今は朧さんがいますから平気です。それになんとなく私には人間の世界よりも、あやかしの世界の方が性に合っている気がします。ここならあやかししかいないから、私の体質を理解してくれる友達や恋人ができるかもしれませんし!」

「その祖母というのも、あやかしを見える体質だったのか?」

「そうです。祖母はいつもあやかしに囲まれていました。小さなあやかしから強いあやかしにまで……。色んなあやかしに慕われて、亡くなるまで楽しそうにあやかしたちと暮らしていました」

「そうか……。素晴らしい人だったんだな。お前の祖母は」


 どこか寂しげな顔を浮かべつつも、手を貸すという朧に完成した分を居間に運んでもらう。弥生は炊き立てのご飯と完成した高野豆腐とわかめの味噌汁をよそうと、朧の後に続いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る