第16話

「通報があった暴走している女鬼とはお前のことか?」


 石段を登ってきたのは闇に紛れてしまいそうな紺色の制服姿の男性たちだった。歴史の教科書で見たことがあった。昔の警察官の制服だった。


「よくここにいると分かったな」


 男性が弥生を庇うように警察官の前に立つ。声を掛けてきた警察官は不審そうに眉を上げたが、すぐに元の無表情に戻った。


「この近辺からも通報があった。廃屋となった神社で女鬼が暴れて、瓦が崩れ落ちたと」

「それにしても到着まで随分と時間が掛かったな。警察には市民の安全を守る義務があるんじゃなかったか」


 両腕を組んで挑発するような男性の態度に警察官は舌打ちすると、男性の後ろから様子を見ていた弥生を睨め付ける。


「とにかくそこの女鬼の身柄を引き渡してもらおう」

「駄目だ。彼女は渡せない」

「何っ!? 貴様、警察に逆らうのか?」


 他の警察官が二人の脇をすり抜けて弥生を捕らえようとするが、男性は両腕を伸ばすと弥生の前に立ち塞がる。


「逆らうつもりはない。だが彼女は俺の身内だ。身内の問題はまず身内で解決させてもらいたい」

「身内? そこの女鬼とどういう関係だ」

「恋人だ」

「こいびと!? 恋人だとっ……!?」


 驚いたのか声を裏返した警察官と同じように弥生も声を上げそうになって、慌てて手で口を押さえる。

 他の警察官も声は上げなかったものの、目を丸く見開いていたのであった。


「そうだ、恋人だ。今後について話している内に少々意見の食い違いがあってな。痴話喧嘩に発展してしまった」

「痴話喧嘩があの騒動だというのか?」

「別に珍しくないだろう。先日もお偉いさんたちばかりが住む上町では、一反木綿の大旦那夫婦が大喧嘩して木綿製品の生産が止まっただろう。あれと同じだよ」


 弥生の場所からは背を向けている男性の顔は見えないが、どんな顔をして弥生を恋人だと言っているのだろうか。

 弥生はそっと動くと、立て板に水のように話し続ける男性の斜め後ろに移動した。


「一反木綿の大旦那夫婦は倅の婚姻について揉めたと報告を受けているが……」

「俺たちも同じだ。近々夫婦になるから式の打ち合わせをしていた。俺は神前式がいいと言ったんだが、彼女は長いこと現世に住んでいたからか西洋式がいいと言う。ウエディングドレスとやらを着てみたいらしい」

「だって憧れるじゃないですか!? 昔ながらの白無垢も良いですが、白以外の色もデザインも沢山あるウエディングドレスも! 現世あっちで沢山見ました!」


 男性の話に合わせて弥生も話し出す。最初こそ弥生を見下ろす男性の顔は驚いていたが、すぐに面白いと言いたげな笑みに変わる。

 弥生の肩を引き寄せると、「さっきも言っただろう」と男性が話し出す。


「ここには教会なんて数えるほどしか無いんだ。やっぱりあやかしには神前式が定番だからな。可愛い恋人の頼みであっても、こればかりは難しいな」

「でも数えられるくらいの教会はあるんですよね。だったら西洋式も出来ます!」


 警察官は弥生たちがまた痴話喧嘩を始めると思ったのか、わざとらしい咳払いをして諍いを止めるように暗に伝えてくる。


「騒ぎにしたのは謝罪する。だが、彼女を連れて行くのは止めて欲しい。身内の問題は身内で解決する。当然だろう」

「……今回は注意だけで済まそう。だが次は容赦しないからな。美男美女だからと言って、顔や身体を利用して許しを請おうとしても我々には無駄だからな」

「肝に銘じよう」


 警察官は去り際に「そこの女鬼」と弥生に声を掛けてくる。


「現世にいたと言っていたな。あっちのあやかし事情は知らないが、ここでの女鬼は貴重だ。若い女鬼となれば、ほとんど残っていないからな」


 そうなのかと男性を見れば、弥生を見ながら小さく頷く。


「鬼たちは独自の規律を敷いている。それ故に我々警察でも場合によっては手が出せん。名は何という」

「弥生です……」

「今の時期に合う名前だな。では、くれぐれも気をつけて家に帰るといい」


 警察官たちが去り、足音が遠ざかってしばらくすると、二人はどちらともなく笑い出す。忍び笑いは大きくなり、やがて声を上げて笑い合ったのであった。

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