第12話

 息を切らせながらなんとか石段を登り終えると、目の前には朽ち果てた拝殿が現れた。屋根瓦はところどころ落ちて障子は穴だらけ、木の扉は風で飛ばされたのか影も形も無くなっていた。

 誰もが住んでいないどころか、久しく手入れをされていないのは一目瞭然だった。


「ここなら誰にも迷惑をかけないよね……」


 それだけ呟くと、弥生は直接地面に座り込んで息を整える。弥生を軸に拝殿の辺りだけ空が雨雲も覆われたかと思うと落ちてきた雫が顔に当たり、あっという間に台風のような風を伴う嵐と化したのだった。


「……っ!」

 

 自分の中で荒れ狂う鬼の力をどうにか自力で抑え込もうにも風は吹き荒んで、無情にも芽吹き始めた草花を薙ぎ倒す。その様子はまるで反抗期の幼な子のようで、宥めようとする弥生の意志に反発するかのように鬼の力はますます風雨の勢いを増したのであった。


(どうしてこんなことになったんだろう……。バイトを終えて、ただ帰るだけだったのに……)


 いつもだったら今頃自宅に着いて寛いでいる時間だろうか。夕食を食べながらテレビを観て、食後のお茶と読みかけの本を片手にのんびりしていたか、お気に入りの香り付きの入浴剤を入れたお風呂に浸かって、アルバイトで溜まった疲れを癒していたかもしれない。

 それが何の巡り合わせなのか、あやかしに追われて車に轢かれて、天国か地獄に行くはずが、かくりよに迷い込んで鬼の力を手に入れてしまった。

 水鬼だというあの男性は「早く鬼の力を返さないと鬼になってしまう」と言っていた。今ならまだ人間に戻れるのだろうか、それとももう鬼になって手遅れになってしまっただろうか。


「分からない! 何もかも分からない……! 何でこんなことになったの! 私はただ平穏に暮らしたかっただけなのにっ……! なんでっ……なんで、私ばっかり……こんな目に……っ!」


 弥生の目から涙が零れる。子供の頃からあやかしが見えてしまうがために苦労してきた。

 怖いあやかしがいるから行きたくない、あやかしに襲われるから一人は嫌だと言っても誰も信じてくれなかった。

 両親には気味悪がられ、せっかく出来た友人からは変人として白い目で見られてしまう。

 どんなに弥生たち人間の側にいても、見えない人にあやかしの存在を説明するのは難しいと散々思い知らされた。

 唯一弥生の話を信じてくれた祖母はもうどこにもいない。弥生の話を聞いてくれる人や理解してくれる人さえも。

 孤独の二文字に押し潰されかける度に、どうして自分はこの世界に生まれてきてしまったのかと考えてしまう。

 

 ――人間としてあやかしに苦しめられるくらいなら、人間ではなくあやかしとして生まれたかった、と。

 

 それが適わないのなら、せめて静かに暮らしたかった。人間やあやかし、何もかも関係なく、自分が自分でいられる場所で……。

 耐えられなくなったのか、とうとう強風で砕けた社の屋根瓦が音を立てながら大量に崩れ落ちてくる。

 落下地点には地面に座り込んだ弥生がおり、弥生自身も避けないと圧死してしまうのは分かっていたが身体が地面に縫い付けられたかのように動かなかった。そっと胸の中で独り言ちる。


(これで良いの。これで全て終わらせられるから……)

 

 自分の内側からじわじわと込み上げてくる充足感に浸る。自分が死ぬことでこの暴風雨が収まるのなら――あの鬼の男性に力を返せるのならそれでいいと思った。

 顔を上げれば滝のような雨粒が顔に当たって、台風の時に吹くような大風が髪を揺らして巻き上げる。乱雲から降ってくる雨雫はこんなに冷たいものだったのかと、星屑のように人々の上に平等に降り注ぐものではなかったのかと空を仰ぎながら、弥生は最期の時を待つ。


(おばあちゃんの家で見た星空。綺麗だったな……)

 

 走馬灯なのか、弥生の頭の中にはまだ幸せだった頃に体験した忘れられない情景が浮かんでくる。

 昔、祖母の家で誰かに手を引かれて見に行った眩いばかりの満天の星空。砂のように散りばめられた小さな糠星に手を伸ばしていた弥生を肩車して、夜空に最も近い場所まで連れて行ってくれた誰か……。


(あの時、誰と見に行ったんだっけ……?)


 そこまで考えて弥生は目を瞬かせる。誰かに連れて行ってもらったのは覚えているが、肝心の誰が連れて行ってくれたのかが思い出せない。霞がかかったかのように記憶が閉ざされているようで顔や姿は分からないが、たった一言だけ覚えている言葉がある。若い青年のような中低音の声で、肩に乗せた弥生に向けてこう話しかけてきたのだ。

 

『今度はおれの友人も連れて、三人で観に来よう。』、と。

 

 目前に迫る屋根瓦を見つめながら、そんな場違いなことを考えていた時、後ろから耳をつんざくような怒声が聞こえてきたのだった。

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