新たな風鬼の誕生

第6話

「んんっ……」


 鼻をつく畳のいぐさの匂いで弥生はそっと目を開ける。床に直接寝た時のように身体中が痛くて重い。


「ここは……」


 ゆっくりと身体を起こすと、弥生は真っ暗な部屋の中に倒れていた。床が畳敷きなところからここはどこかの和室らしいが、それ以外は物が置かれているのが薄ぼんやりと見える程度であった。


(バイト帰りに目を付けられたあやかしに追いかけられて、それで車に轢かれて……)


 ハッと気づいて自分の身体を見回すが、トラックに轢かれたはずの身体は何も変わりがなかった。試しに掌を握って開いてみたが、いつもと同じように動いたのだった。


「夢、だったの……?」

 

 トラックに轢かれたのは夢で、倒れた弥生を誰かがここに連れて来てくれたのだろうか。それにしても畳の上にそのまま寝かされていた辺り、少々乱暴な気もするが……。

 その時、視界の左端にほのかな緑色の発光が映った。部屋を見渡して光源を探していると、横長の机の上に蓋がされた掌サイズのガラス瓶が置かれていることに気づく。眼鏡が無いので目を細めながらガラス瓶を見つめると、ガラス瓶の中には緑色の光を明滅させる球体が入っているようだった。どうやらさっきの緑色の光はこの球体から放たれたらしい。


「蛍かな。綺麗……」

 

 弥生が呟くと、球体は返事をするかのように光を強めた。それまでは何度も緑色の光を瞬かせていたが、弥生の言葉に反応してからは存在を主張するかのようにずっと光り続けるようになった。まるで意思を持っているかのようだった。

 弥生は机に近づくと、球体が入ったガラス瓶を手に取る。球体の表面は風が吹いているのか緑色の煙が細く渦巻いていた。幾重にも煙が棚引く様子から地学の教科書に載っていた木星のようだと思ったのだった。


(形は昔読んだ本に出てきた幸せを運ぶ生き物に似ているかも。なんだっけ……ケセランなんとかって言う名前だったような……?)


 そんなことを考えながら軽くガラス瓶を振った時だった。外から襖が開けられたかと思うと、人影が現れたのだった。


「そこにいるのは誰だ!? 泥棒か!?」

「きゃあ!?」


 暗い部屋の中に急に光が射し込んだからか、眩しさから片手で顔を庇ってしまう。そんな弥生の姿に気付いたのか、人影が呆気に取られたように呟いたのだった。

 

「お前は……人間の霊か。どこから入ってきた?」

 

 逆光になっているので顔は見えないが、声からして弥生と同い歳くらいの若い男性のようだった。男性は弥生が持っているガラス瓶に気づくと、慌てた様子で部屋に入ってきたのだった。


「それをどうするつもりだ!? 早く返せ!」


 男性は声を荒げると、ガラス瓶を持つ弥生の手首を掴む。強い力で強引に捩じ上げられた弥生は「いたっ!」と声を漏らしてしまう。

 

「それって……このガラス瓶のことですか……?」

「そうだ! それを早く返せ、この盗人がっ!!」

「泥棒じゃありません! とにかく返すので手を離して下さい……!」


 弥生の手の中にあるガラス瓶を男性が乱暴に引っ張った時、衝撃で二人の手からガラス瓶が滑り落ちる。

 運が悪いことに、ガラス瓶が落ちた先は先程の机の上であった。ガラス瓶は机に当たると、音を立てながら割れたのだった。


「何をするっ!」

「す、すみません……」

 

 男性は弥生を一喝すると割れたガラス瓶の破片を集め始めたので、責任を感じた弥生も手伝おうと手を伸ばす。けれども邪険に手を払われてしまったのだった。


「コイツに触れるな! 部屋の隅にでも居ろ」


 余程緑色の球体が大切なのか、男性は弥生を追い払うとガラス瓶の破片を掻き分ける。ガラス片で手を切りながら男性が大きな破片を避けると、その下からは先程の球体が何事もなかったかのように出て来たのだった。


「良かった。無事だったか……」


 男性は安堵の息を吐くと、両掌で掬うように球体を拾う。球体は緑色の光を煌めかせながら室内に浮かび上がったかと思うと、鳥籠から飛び出した鳥のように室内を飛び回り始めたのだった。

 男性に言われた通りに部屋の隅でその様子を見ていた弥生だったがハッとして気付く。


(い、今の内に……)


 ここがどこかは知らないが、弥生を泥棒呼ばわりしたこの男性と居ても何もメリットは無いだろう。それなら男性が目を離している隙に、ここから出た方がいい。

 弥生は襖の位置を確認すると、足音に気を付けながら畳を滑るように動く。

 あと少しで襖の引手に手が触れるというところで、今まで天井を旋回していた緑色の球体が向きを変えたのだった。


「どうした?」

 

 戸惑うような男性の声を聞いて振り返った時、弥生に向かって球体が一直線に飛んできたのであった。


「きゃあ!?」

「おいっ!?」

 

 男性が手を伸ばして球体を捕まえようとしたが、わずかに球体の方が速かったようで、男性の手は空を掴んだだけであった。一方の弥生も腕を大きく振って追い払おうとするが、球体はその隙間をもすり抜けてしまう。

 そうして弥生の眼前に迫った球体だったが、煙で覆われた表面に男性の顔が映ったような気がした。


(今の人、どこかで……)


 男性の顔に目を奪われていると、耳の奥から声が響いてくる。


 ――やっと、会えたね……。

 

 トラックに轢かれた時に聞いた声と似ていると思った時、部屋中を満たすような鮮やかな緑色の光が球体から放たれる。


「ああっ!?」

「くっ!?」

 

 光に目を焼かれそうになったのか、弥生だけではなく男性も目を庇う。

 その間に球体は吸い込まれるように弥生の胸の中に入ると、そのまま消えてしまったのであった。


(なにっ……? 今、あの球が身体の中に……)

 

 球体に次いで緑の光が消えた直後、弥生の心臓が激しく脈打ち出す。


「うっ……!」

 

 激しい運動をした直後のように音を立て始めた胸を押さえていると、弥生の身体に変化が起こり始めたのだった。


「あ、ああっ……」


 髪が伸びて、骨が軋むような音が聞こえてきたかと思うと、身体を上下に引っ張られるような感覚に息が出来なくなる。弥生はその場に膝を突くと疼くまってしまったのだった。


「ん、あぁぁっ……!」


 畳に手をついて身体を引っ張られるような関節の痛みに加えて、今度は体内に熱いものが注がれたかのように体温が急上昇する。

 体調を崩して発熱した時とは比べものにならない高熱はマグマのように煮えたぎり、弥生の身体の中で荒れ狂った。

 ――まるで異質な力が弥生を飲み込もうとしているかのように。

 

「おい、しっかりしろ!」


 男性に両肩を掴まれて声を掛けられるが、弥生は声を発するどころか指一本動かすことさえ出来なかった。ただ額から脂汗を流し、苦悶の表情を浮かべながら堪えるだけで精一杯であった。


「うぅっ……くぅっ……」


 やがて高熱と激痛が絶頂に達すると、弥生の中で何かがぶつりと切れる音が聞こえる。

 その直後に身体からするりと力が抜けると、声を出せぬままその場で気絶したのであった。

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