高木は風に折らる

三鹿ショート

高木は風に折らる

 彼女ほど素晴らしい人間を、私は見たことがない。

 他の追随を許すことがないその頭脳と身体能力は勿論だが、その能力を妬んだ人間たちによる暴力に対して、彼女は一度も屈したことがなかったのである。

 どれほど殴られ、蹴られたとしても、反撃することも涙を流すこともなく、無表情のまま、時間が過ぎるのを待っていた。

 同じことの繰り返しであることは分かっているにも関わらず、毎度のように自分が疲れるまで拳を振るい続ける性質の悪い人間たちは、愚か以外の何物でも無い。

 流れ出た鼻血を手巾で拭い、衣服が汚れていることも気にすることもなく、そのまま図書館へと向かって自習を開始するその姿に、私は心を奪われていた。

 私以外の人間たちは、その様子を異常だと考え、親しくすることを避けているようだが、それは彼女の強さに気が付いていないだけである。

 だからこそ、私だけは彼女の味方で有り続けようと決めていた。

 私が一方的に口を動かすだけで、彼女から話題を提供したことはないが、私を嫌っているのならば、彼女はそれを伝えるはずである。

 そのように行動していないのならば、隣に立つことを許されているということになるだろう。

 たとえ彼女が私のことを雑草のような存在だと認識していたとしても、構わなかった。


***


 食事の際も、彼女は新たな知識の吸収に及んでいた。

 行儀が悪いと考える人間も存在するだろうが、それならば、時間を有効に活用することができるようになってから言うべきだろう。

 食事を終え、共に教室へと向かう途中で、我々は性質の悪い人間たちに声をかけられた。

 常のように、彼女を虐げるために現われたのだろう。

 だが、今日の彼らは、趣向を変えた。

 彼らは、彼女の唯一の友人であると考えた私に対して、拳を振るってきたのである。

 歯が飛び、指を折られ、刃物で肉体を傷つけられるという経験は無かったために、私はその激痛に叫んだ。

 彼女ならば、このような醜態をさらすことはなかっただろう。

 其処で目を向けると、彼女は常と変わらぬ様子で、本に目を落としていた。

 その姿を、薄情と考えることはない。

 もしも彼女が悲しんでいれば、私は彼女に対する熱を失っていただろう。

 如何なる出来事に対しても動ずることがない人間が彼女であり、そうでなければ、私が彼女に夢中になることはないのだ。

 彼女の様子が平生と変わらないことに苛立ったのか、私は其処で、一際強力な一撃を食らった。

 目が覚めたときには、私は一人だった。

 その状況に、不満は無い。

 痛む身体に鞭打ちながら、自宅へと向かった。


***


 傷が癒えるまで学校を休んでいた私が久方ぶりに顔を出しても、彼女の態度には変化が無かった。

 私を案ずるような言葉も無く、自身の能力の向上に意識を向けている。

 彼女は、それで良いのである。

 私は寂しさや怒りなどといったものを感ずることなく、彼女との時間を楽しみ続けた。


***


 学校を卒業してから彼女と接触することはなかったが、ある日、彼女から手紙が届いた。

 中身を確認した私は、それが本当に彼女からの手紙なのだろうかと疑った。

 何故なら、其処には後悔の言葉が書かれていたからだ。

 己ばかりにかまけず、友人や恋人を作り、学校生活を楽しめば良かったというような内容だった。

 その中身に、私は首を傾げてしまう。

 彼女は、失敗はするものの、後悔をしたことは一度も無かった。

 その失敗も、彼女は克服するように心がけていたのである。

 ゆえに、この手紙は彼女らしさが一切感じられなかったのだ。

 しかし、彼女らしさが消えるほどの、耐えることができない災難に見舞われたのならば、話は別だ。

 私は、即座に彼女の自宅へと向かった。


***


 呼び鈴を何度鳴らしたとしても反応が無かったために、私は無断で家の中へと入ることにした。

 鍵がかかっていなかったために、窓を割る必要は無かった。

 彼女の名前を呼びながら家の中へと進んでいくと、やがて彼女の姿が目に入った。

 正確にいえば、それは彼女だったものである。

 一糸まとわぬ彼女の脳は露出し、その半分は消えていた。

 目玉は無事だが、鼻と耳は削がれ、取り出された歯は床に並べられている。

 体内に存在しているはずの内臓は、壁に釘で打ち付けられており、手足は入れ替えられた状態だった。

 肛門に挿入された鉄の棒の中央からは、赤々とした液体が流れ出ていた。

 あまりの凄惨な光景に、私はその場で吐いた。

 意識を失った方が良かったのだが、私は胃の内容物を吐くことに忙しかった。

 そのとき、背後から足音が聞こえてきた。

 振り返った私が目にしたのは、刃物を手にした一人の女性だった。

 女性は首を傾け、虚ろな目を私に向けながら、

「あなたは、誰ですか」

 答えようとしたが、その女性が彼女を殺めた人間ではないかという恐れから、私の声が出ることはなかった。

 女性は息を吐きながら首を横に振ると、

「誰であろうと、どうでも良いことです。見られたからには、生かしておくわけにはいきませんから」

 近付いてくる女性に対して、私はようやく声を出すことができた。

「何故、彼女をこのような目に」

 女性は立ち止まると、

「私は、彼女の能力を買っていました。ゆえに、私が生活を支えることで、この世の誰もが認めるような素晴らしい人間と化すための努力を彼女が続けることができるようにしたのです」

 其処で彼女は首を横に振った。

「ですが、彼女が優れていたのは、知識を吸収するという一点のみで、それらを応用するような技術を持っていなかったのです。ただ記憶力が優れているというだけだったのです。彼女はそれを理解していながらも、私を利用し続けていたのです。そのことに、我慢することができるわけがないでしょう」

 女性は再び、私に近付いてきた。

 だが、恐怖は既に消えていた。

 それよりも、彼女に対する失望が強かったからだ。

 同時に、女性が抱いた怒りを理解することもできる。

 眼前の女性が、私だった可能性もあるからだ。

 私は、目を閉じ、女性の怒りを受け入れることにした。

 彼女に対する失望も原因の一つだが、何よりも、彼女が存在していないこの世界に、何の意味も無いからである。

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