『僕』と『俺』 終

第76話 最後の会話

 いつもの空間。

 『俺』との対話の時間が始まった。


 ついに来た……か。

 恐らく、これが最後の対話となる。


「やあ、会いたかったぜ、ご主人様」

「ああ、僕もだよ」

「お? なんだ? 今日はずいぶんと素直じゃないか。俺としては嬉しい事だが……」


 僕はもう逃げないと決めた。

 真実に向き合わなければならない。


「お前が何者なのか、分かってしまったんだ」

「ほう?」

「お前、本当は……」

「その先は、言わない方がいいぜ、ご主人様」


 『俺』から止められてしまう。

 確かに真実に気付かない方が幸せかもしれない。


「俺が『悪』で、ご主人様は『正義』。それでいいじゃないか」


「違う。お前は悪を『演じていた』だけだ。僕の為にそうしていたんだろ?」


 『俺』は僕の中で生まれた人格なんかじゃなかった。

 ただの僕の『妄想』だった。

 僕は『俺』のせいにすることで、全ての責任から逃げていたんだ。


 ある日、僕は自分がどうしようもなく価値の無い人間だと知ってしまった。

 誰も自分を好きにならない事が分かってしまった。

 自分には、輝かしい未来なんて無い事を確信してしまった。


 僕なんかじゃ、この厳しい社会で生き残れない。

 生きる意味も価値も無い。


 だから、僕は自殺を考えた。


 その時、千奈に向かって酔っ払い運転の車で迫っていた。

 ただ、ちょうどよかっただけなんだ。

 ラッキーだと思っただけだった。

 僕は死にたかっただけ。


 『妹を庇う』という最後なら少しは美しく散れる。それだけだ。

 だが、土壇場になって思ってしまった。


 『死にたくない』。


 だから、痛みの無い自分を『作り出した』。

 僕が痛みを感じないのは、ただの妄想で、僕がそう『思い込んでいる』だけだったのだ。


 しかし、それだけでは生きていても何も楽しくない。

 『生きる理由』が必要だった。

 そこで僕は思いついた。


 『自分は悪くない』『別の誰かが悪い』。


 そう思えばいい。

 でも、周りは誰も悪くない事にも、気付いてしまっていた。


 だから、更に『作り出した』のだ。

 自分の中にはもう一つの人格があって、そいつが全て悪かった……と。


 『俺』はただの僕の逃げ道。

 掃きだめだったのだ。


 『こいつが悪い』と思う事で自身の精神を安定させるためだけに生み出した存在。


 『俺』が僕を肯定するのは当たり前だ。

 僕がそう望んだのだから……


 自分で勝手に妄想して、そんな自分に悪事を働かせて、責任からは逃げて、そして妄想した自分を使って、自分を褒めさせる。


 ああ、そうだ。『俺』じゃなかった。

 本当は……『僕』こそが、この世界で誰よりも重度の中二病だったのだ。


 自分だけはヒーローであり、もう一人の自分は『悪』。

 なんと虚しく悍ましいごっこ遊びだろうか。

 僕がヒーローを目指し始めたのも、自分を誤魔化すためだったのだろう。


「『余計な事』に、気付いちまったようだな」


「大事な真実だ」


「言っておくが、お前がやったことは、正しいぜ。人間ってのは、そういう逃げ道を作る事も大事なんだ。他人に頼らずに、自分で自分を救った。素晴らしい事だと思わないか?」


「それも、僕が自分で言わせているのか?」


「さあな。ご想像にお任せする。だが、この世界の影響で、『俺』はもうご主人様とは切り離されているぜ。俺たちは、もう別の人格だ」


「……そうなのか?」


 いや、この空間は僕が自分で作った世界。

 僕が『そう思いたい』だけかもしれない。


 ただ、本当にネビュラの魔力の影響で、俺と僕が分離した可能性も確かにある。

 特に最近の『俺』の奇行は、自分自身でも驚くほどぶっ飛んでいた。


 本当に『俺』は僕の中の別人格なのかもしれない。

 真相は分からないが、そう思う事にした。


「とはいえ、ご主人様が真実に気付いてしまった今、俺の役目も、もう終わりかもな」


「それなら、お前はどうなるんだ?」


「消滅するんじゃね? 知らんけど」


 そうなのか。

 いや、確かに僕が自分を認めるって事は、そういうことかもしれない。


「俺が消えたら、もう誰のせいにもできないぞ。本当に余計な事をしたんじゃないか?」


「自分の足で前に進む覚悟ができたってことだよ」


「くく、いい答えじゃないか。なんだ。結局は安心して消える事ができるってことか」


 これで『俺』ともお別れなのだろうか。


「安心しろ。もうしばらくは残る。そんな簡単に自分を割り切れるもんじゃないだろ」


 本当に『俺』が僕から切り離された別人格なら、僕の中に残る事になる。

 どちらにせよ、一つだけ聞いておかねばならない事があった。


「なあ、お前は僕が憎くないのか?」


 完全に僕の掃きだめであり、ご主人様から無理やりに『悪』とされた存在。

 それはあまりに、不遇だと言える。


「恨むなんて気持ちは存在しねえよ。俺はそのために生まれたんだからな」


「そっか。なら、お前が残っている間は、恩返しをさせてくれ」


「自分で自分に恩返しをするのか?」


「まあ、せっかくヒーローってのを目指す機会を得たからさ。受けた恩くらいは、返させてくれ」


「おいおい、俺は『悪』だぞ。ヒーローは悪を滅ぼすものだろ?」


「違う。悪を救うのが、本当のヒーローだよ」


「…………そういうもんか?」


「そういうものだよ」


 こうして、僕たちの最後の会話は終わった。

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