[ 1 ]
「よう!」
カタツムリのようにゆっくり歩いていたら、突然声をかけられる。
「おはよ」
「え、東さん、そんな格好で一体どこに……?」
僕の体を舐め回すように見ながらそう言う彼に、一瞬答えあぐねる。そのうちに彼は話を続けた。
「それはかの有名な『大学入ってどんな服来てばいいか大学から指示が来ないからとりあえずこれ着ていく』コーデじゃないっすか! あ、ソースは誰だか分かってますよね」
これまた答えあぐねる。連続で無視は流石にないので大人しく「ごめん、わからない」と言うと、彼は心底驚いた顔をした。
「東さんですよ!? 覚えてないんですか? 去年はあんな格好してたなーって通りかかった大学1年に言ってましたよね? ついでにお前はあんな格好すんなよって僕にも」
やはり情報源が、東――要は僕自身――の日記だけでは足りなかったか。今日から新しく日記を書いていこう、と僕は決意する。そんな思考とは裏腹に、僕はあくまで知っているうえで知らないフリをして乗り切ろうとした。
「そうだっけ?」
「ほんとに覚えてない…… もしかして記憶喪失だとでも言っちゃいます?」
「……あ! あー、あれね! あれかー、はいはい」
「……まぁどうだっていいですけど」
そう言うと、見るからに拗ねた顔をして彼は先に歩いていった。
何も悟られずに彼と話を終えられるなんて、なかなか僕は演技が上手いのでは? とさっきの会話を頭の中でリピートしてみる。すると、いや当たり前だよ、というテロップがツッコミみたく表示された。確かに当たり前だ、あれは勘づかれたとしても到底信じ込めるものではない。
そんなことがふんわりと脳内で駆け回っている中、ひとまず大学に行くことにしている僕は、彼も大学に行くのだろうと勝手に推測して彼に悟られないようついていくことにした。
――数分後。
「……東さんさ、なんでずっとついてくるんすか? ストーカー?」
「え、大学行くんじゃないんすか?」
こんなやり取りが起こることを承知の上で大学に行こうとしている僕は、少しズレているのかもしれない。そう思いつつ、僕は彼に躊躇もなく大学への道を聞いた。
「――で、その次の角を右に曲がったら大学が見えてきます。もう……そんなんじゃ姉さんに愛想をつかれるのも時間の問題ですよ。本当に記憶喪失にでもなりました? あと、こういうのスマホで調べたほうが……」
「記憶喪失なんてないでしょ、そんな奇跡。まあ、ちょっとど忘れしちゃったんだよね、スマホもどこいっちゃったかわかんなかったし。とにかく、教えてくれてありがとう」
「ど忘れというレベルではないと思いますけど……じゃあ、大学頑張ってください!」
やれやれだといいながらどこか頼られて嬉しかったような風貌で喋っている彼に、心の底から感謝を申し上げつつ、言われた通りに進み大学へ向かう。
道はなんと、彼についていったほうと逆方向だった……。
スマホの利便性が偲ばれる。
歩きながら『彼が”東龍之介”の彼女と思わしき人の弟』という情報と彼の顔をスカスカの脳内に一致させて落とし込んでいく。
だが、それより、とりあえず水が飲みたくなった。
冷水機を見つける、という目的の下、急ぎ足で大学へ。あいにく財布もどこにあるかわからなかったので自販機で飲み物を買うという選択肢はなく……”東龍之介”は一体どこにどんなふうに整頓していたのだろう。そう疑問に思う。
大学までは意外と時間はかからなかった。道中では公園も見られなかったので、冷水機も見つけられず……大学に入ってからも、ひとまずは冷水機を探すこととなってしまった。
数人とすれ違いながらあたりを見回す。ぱっと見無いな……
すると、偶然女性と目があった。彼女は嬉しそうにこちらにやって来る。
「おはー、東くん! 三日ぶりだねー!」
「おはよう」
僕よりは少し背が低い、丸眼鏡をかけている女性。ひとまず丸眼鏡さんと心の中で勝手に称しておく。
今日が始まって、彼を含め声をかけられるのは二度目だ。”東龍之介”はそれほど人気者なのだろうか? 日記からでは摂取しがたい明るさが目の前にあった。彼女は少し間を開けて言った。
「……昨日の夜、メール送ったの、見た?」
「ん、見たよ」
さっきの反省を活かし反射的に返すと、丸眼鏡さんは控えめに笑った。その真意はよくわからなかったが、なんにせよさっきの発言が”東龍之介”の普段言う言動と一致したことに安堵感を覚える。
ただ、彼女が誰かは知らない。日記にも”東龍之介”の彼女以外の女性についてはあまり表記されてはいなかった。「”東龍之介”の友人の一人」といったところか。
そこで彼女の名前を訊いておこうか、とも思ったが、喉の乾きへの不満が邪魔をした。代わりに冷水機の場所を聞く。
彼女は素直に場所を教えてくれた。いい人だ、と思った。
じゃあ、という彼女を背にして、冷水機で水を飲み満足感を得たあと、再び校内を彷徨っていたが大学へ来た当初の目的は一向に進まず、無為に時間を過ごしていた。
こんなことならさっき会った彼女にそれも訊けばよかったと少し後悔している僕をよそに、既にこの日が始まって十時間と数分。
世界は僕を待っていてはくれない。そう思い焦った僕は、客観的に見てありえない手段を取ることにした。結果オーライだったので許してほしい。
実は、当初の目的に検討は付いていた。さっきから遠目にちらちらと見てきていたポニーテールさんが怪しい。しかし、怪しいというだけで確証はなかった。
それでも僕はもうそんなことはお構いなしに近づいていく。近づいてみて改めて、大学生でないような雰囲気に戸惑いを覚えるが、それでも一直線に向かう。
彼女の周りには、数人の友人がいたが、そんなのも全部ひっくるめて、もうどうにでもなれ、の精神で。
怪しいと思った理由は他にもある。僕が動かしている”東龍之介”の身体が、彼女が”そう”ではないかと呼んでいるのだ。
先程の道を教えてくれた彼のときも丸眼鏡さんのときも、その”既成の”直感に従って乗り切れた。信憑性は大いにある。
でもやはり、まだ慣れることができない。「僕が僕でない感覚」。既成の”東龍之介”という人格に適応されるように、僕の考えもこうやって変わっていくのだろうか?
それに対して思うところも、記憶のリセットという形で虫に食われていた。
もう意味がないのだ、こんな思考も。
……所詮僕は「二代目」でしかない、そう自覚して生きていく他ない。
そうであっても、なぜだろう。
なぜこんなにも僕は知りたがってるんだ。
「東龍之介」という僕自身がなぜ、記憶喪失してしまったのか、その原因を。
二代目の僕が。
もしかしたらそれは、知ってはいけない何かなのかもしれない。
だがそれでも、僕は”いつものように”探究心の下僕となり、解明したくなる。
「すいません、あなたって――」
笑顔で、高揚感を帯びながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます