鶏肋
三鹿ショート
鶏肋
虐げられていた彼女を救ったのは、正義感によるものではない。
誰よりも能力が劣り、誰からも見下される彼女に優しくしておけば、私のことを慕ってくれるだろうと考えたからだ。
彼女ほどではないが、それほど優れた人間ではない私にとって、自分より下の立場である人間の存在は、良いものだった。
何故なら、どのような失敗をしたとしても、彼女よりは良い人生を送っていることができていると考えることができるからだ。
彼女は、趣味のようなものだ。
人生において必要なものではないが、存在していれば、人生が豊かなものと化すのである。
***
恋愛感情は無いと常に告げているためか、彼女は私を誘惑するようなことはなかった。
私に恋人が出来たとしても、取り乱すことなく、自分のことのように喜んでいた。
我が恋人は、彼女の存在を気にしていたようだが、私が何故彼女と親しくしようとしたのかを丁寧に説明すると、納得してくれた。
これで、彼女のことを誤解し、私と争う恐れは無くなった。
私の人生は、順風満帆といえるだろう。
***
呼び出されたために彼女の自宅へと向かうと、其処で彼女は数葉の写真を私に見せてきた。
それらには私の恋人が必ず写っていたが、同時に、私ではない男性と懇意にしているような姿を確認することができた。
ある写真では手を繋ぎ、ある写真では互いに笑顔を向け、ある写真では宿泊施設へと入っていく姿があった。
何かの間違いではないかと考えたが、そもそも、何故彼女はこのような写真を撮影したのだろうか。
私の問いに、彼女は神妙な面持ちで、
「あなたのことを大事に思っているがゆえに、あなたには幸福な日々を過ごしてほしいのです。あなたの恋人が何らかの問題を抱えていた場合、あなたが苦しむことになってしまうのではないかと恐れたために、勝手ながらあなたの恋人を尾行するような真似をしたということなのです」
彼女は一葉の写真を手に取りながら、
「杞憂であってほしいと思っていたのですが、残念な結果ですね」
彼女に対して、私はどのような反応を示すべきなのだろうか。
恋人の裏切りを知らずに、相手からの愛情を信じて過ごし続けていれば、心の傷を負うこともなかっただろう。
それをわざわざ知らせてきた彼女に、怒るべきなのか。
もしくは、結婚を考えるほどに関係が深くなった際に恋人の裏切りを知るよりは、早い段階で真実を知った方が、心の傷は浅くなる可能性が高いために、彼女の行動に感謝をするべきなのか。
だが、いずれかの反応を示したところで、私が恋人に裏切られたという事実に変わりはない。
私は、彼女の目を気にすることなく、涙を流した。
彼女は、その場から去ることなく、無言で私の隣に座り続けた。
此処で彼女が慰めの言葉を吐こうものなら、おそらく私は怒鳴っていたことだろうが、このときの彼女は賢かった。
***
結局、私は恋人と別れることを決めた。
恋人は理由を訊ねてきたが、相手の裏切り行為を伝えることはなかった。
正直に伝えることで、相手が反省する可能性も存在するだろう。
しかし、これまでに同じ時間を過ごしてきた経験から察するに、眼前の女性はそれほど殊勝な人間ではない。
それを理解しているからこそ、無駄な行為に及ぶことを避けたのである。
だが、それは本音ではない。
一度恋人を裏切った人間は、何度も裏切るに違いない。
ゆえに、これから先に眼前の女性と交際することになるであろう私以外の人間たちにも、私と同じように傷ついてほしかったのだ。
その思考を抱くに至ったのは、私の性格が劣悪であることが理由ではない。
眼前の女性と交際し、不幸と化す人間が私だけであることは、不公平だからだ。
だからこそ、私は別れの理由を説明することもなく、かつての恋人の前から去ることにしたのである。
毎晩のように柔肌が恋しくなったが、それでも彼女に手を出すことはない。
彼女には、女性としての魅力がまるで無かったからだ。
たとえ彼女が一糸まとわぬ格好で私に迫ってきたとしても、欲情を抱くことはないと断言することができる。
私の心の平穏のために、彼女は存在してくれるだけで良かったのである。
ともすれば、私の人生において、彼女が最も重要な存在なのかもしれない。
***
「彼に飽きていたためにあなたの計画に従いましたが、何故彼と交際しようとは考えていないのですか。自分の所有物としたいがための行動ではなかったのですか」
「既に、我々はそのような関係ですから」
「どういう意味でしょうか」
「彼は、私という劣った人間を目にすることで、底辺ではないことを確認し、安心することができる。私はといえば、どのような認識だとしても彼から必要とされることで、生きる存在を与えられるのです」
「では、何故我々を別れさせたのですか」
「我々は、二人で一人のような関係です。おそらく、私は今後も異性と交際することはないでしょう。それならば、彼も孤独でなければなりませんから」
鶏肋 三鹿ショート @mijikashort
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