ハートにズッキュン!紅葉の胸騒ぎ

 朝露咲良。


 入学してきた時、私はその名前を認識していなかった。当然といえば当然であろう、大したバックボーンも存在しない平民出身の単なる生徒、覚えている方がおかしい。

 それに今年は他に覚えるべき名前が多くあった。私の妹の楓が入学する年だったし、男性初の魔法体質者だっていたのだ。


 だからこそ、毎年恒例の入学式後の決闘で"朝露咲良"という名の少女が大立ち回りを演じたと聞いた時私は驚いたものだ。一般の生徒からならば笑って流したが、それを言ったのは他でもない、柊輝夜であったのだから。

 彼女は恐らくこの学園で最も強い……そんな彼女が「強い」と評したのだ。到底無視出来る事実ではなく──同時に私はほくそ笑んだ。

 別に何か悪意があった訳ではない。咲良は、父親が睡蓮家関連企業の社員である為に睡蓮寮に入っていた。そう、それ程の魔法師が睡蓮の傘下に居るのである。睡蓮家次期当主として嬉しくない訳がない。


「やあ、意外と早かったね」

「……? 誰、ですか……」


 入学式当日の夜、私は彼女と対面した。

 最初の印象は「根暗だけど意外と普通」だった。これならば普通に接していれば大丈夫だろう、とも。そして同時に楓に彼女の父親が傘下企業社員である事を教えていなくて良かった、とも。

 楓の性格だと気に食わない事があった時にそれを盾にして気分を害したりするかもしれなかった。まあそこはこれから丸くなっていってくれればいい。



 一度目は、学園が襲撃を受けた時。

 私と輝夜は空から彼女の攻撃・・を見、そして圧倒的な力を認識した。


「──輝夜、君はアレをどうにかしろって言われて出来るのかい?」


 私は、神妙な顔をする輝夜に向けて確かそう言った。今思えば、睡蓮家を背負う者としては零点の発言だったのだと思う。

 でも、思わずそう零してしまう程彼女の攻撃は鮮やかで、強力で、そして力の差を感じたのだ。緻密な魔力操作、しれっとやってるテレポート、圧倒的な探知範囲、何より──彼女の使う、攻撃の強さ。


 ただ、この時はまだそこまで深くは考えていなかった。

 まだ御せる。そう思っていたし、まだ将来の強力な戦力としか考えていなかったのだ。


 彼女が魔法大会で神域を使った時、私にそこまで驚きはなかった。

 あれ程の魔法を使えていたのだ、その程度ならとうに習得しているだろうと当たり前の様に思っていた。



 二度目は、輝夜の手紙。

 彼女が学園を去った後、私は自らの制服のポケットに紙が入っているのに気付く。

 そこに綴られていたのは、私が眠っている間に一体何があったのか。

 咲良が何をして、そして何者なのか。読み終わった後、私は暫く息をする事も出来なかった。


 "厄災の魔女"──その名前は私も知っている。いずれ異世界よりこの世界に襲来する文字通りの"厄災"。それに対抗できるのは藤堂快人だけだという事も。

 ではもし、その魔女が既にこの世界に来ていたら? そして唯一の対抗策藤堂快人を懐柔していたら?


「……は、は」


 私は笑った。笑うしかなかった。

 柊家がこれからどうなるとか最早どうでもよかった。最早状況はそんなレベルの話ではなくなっていたのだから。



 衝動的に私は睡蓮家本家に足を運んでいた。


「ごめんね、忙しいだろうに時間をとってもらって、母さん」

「いえ、貴女がわざわざ話したい事があるなんて珍しいから……まあ、手短にお願いね」


 帝都一等地に作られた睡蓮家邸宅。その一室で私は現当主であり母親でもある睡蓮茉莉まつりと対面していた。無論人払いは済ませ、盗聴器等もつけられていない事は確認済みだ。

 輝夜のスピーチによって柊家は勿論、日本全体がてんやわんやになっていた。柊家は十華族筆頭、それだけに関係する企業や人間も多い。睡蓮家も例に漏れず、私の父親は柊の縁者だし輝夜に私の従兄弟を婿入りさせる計画もあった……後者は頓挫してしまったのだけれど。

 正直こんな所で話をしている場合ではないのだが母は貴重な時間を割いてくれた。


「では、手短に……『デウス・エクス・マキナ計画』について、です」

「……」


 私がその名を呼ぶと、途端に彼女の表情が凍り付く。私は自らの手で顔を覆った。

 ああ、何となく予想はしてたけど。


「やはり……睡蓮家も関与してるんですね」

「……ええ。あれは人類の希望たりえる物だった」

「今は家に害しかもたらさない厄介事ですけどね」


 私の言葉に彼女が顔を顰める。


「何が言いたいの?」

「そのままですよ。同じような計画があればこの場で言って、そして手を引いてください。続けていれば……近い内に睡蓮は滅びます」

「……はぁ」


 彼女は溜息をつき、立ち上がる。何も言わずに立ち去ろうとした彼女の行く先に私は立ち塞がる。

 そんな私を見る彼女の視線は氷の様に冷たい。


「どきなさい。わざわざ時間をとったのが馬鹿だったわ」

「嫌です。私は睡蓮家を残したい、柊の二の舞にはしたくないのです」

「それは貴女が『輝夜』になるという事? なら尚更──」


 ぐい、と私は彼女に顔を近付ける。


「柊がああなったのには"厄災の魔女"が関係しているのです!」

「……? 何故今その名前が出てくるのです」

「既に来てるからですよ。柊はその逆鱗に触れた、だから輝夜はあんな真似をしたんですよ」


 私がそう言うと、彼女の顔色が見る見るうちに悪くなっていく。

 厄災の魔女のしでかす(予定)の所業は十華族には既に伝えられている。まあ単純に言えば世界を滅ぼす、らしい。それに対抗できるのは藤堂快人のみ、だからこそ今日本は世界を巻き込んで彼を強化しようとしているのだが──そんな魔女が、既に居る。

 きっと私の言葉を鵜呑みにした訳ではない。ただ、私が酔狂で物を言う人間でない事もよく彼女は理解している。「厄災の魔女が居る」その可能性が一パーセントでも生まれてしまったという事実に慄いているのだ。


「馬鹿な事を言わな「本当です。何故なら私は実際に会いましたから」い……」


 それは本当だ。ただ、彼女本人に対して確認をとった訳ではない、というだけで。

 彼女は目を見開き、一旦息を整えて口を開く。


「ふ、ふふん。予言は絶対です、厄災の魔女が現れている筈がない。それに居るのならば今こうして世界が平穏(柊家除く)であるわけがないでしょう」

「それは──」


 私が反論しようとするのを遮る様に、彼女は立て続けに言う。



「もしその者が我々の障害になるのならばあの男・・・にでもやらせれば──」



 その言葉が放たれた瞬間、私はバン、と壁に手を叩きつける。


兄さん・・・を巻き込まないで!」


 私が言うと、彼女も眉間に皺を寄せて言う。


「アレを兄と呼ぶのはやめなさいと言っているでしょう! アレが我が家にした事を知らないとは言わせませんよ」

「っ、兄さんがあんな事をしたのは元をただせば睡蓮家私達のせいでしょう!」

「はあ……時間をとった私が馬鹿でした」


 彼女はため息をつき出ていこうとする。


「要するに関わらなければよいのです。睡蓮は柊とは違う、そんなヘマはし「厄災の魔女の父親はウチの社員ですよ」……厄災の父親が平社員などやっている筈がないでしょう。馬鹿な事は言わないで頂戴」


 私の言葉に一瞬硬直するものの、そう言い捨てて出ていった。

 あんな事を言っているが、きっと彼女は『厄災の魔女の父親』を調べるだろう。そして行き着く筈だ、入学式の決闘や襲撃などで頭角を現した朝露咲良の父親が居る事に。


 だが、彼女が彼に手を出す事はない。

 正直、この場で私の忠告を聞き入れる事はないと予測していた。彼女はプライドが高く、基本如何なる事も自分で決めたい性格をしている。だが、同時にあからさまなリスクを背負う事もない。

 厄災の魔女の父親かもしれない男が平社員に落ち着いている、その事実を彼女は確実に深読みする筈だ。……実際には生活費の為だけに勤めているだけなのだが、そんな事は例え本人から教えられたとしても信じる事はないだろう。

 まあ兎も角、そんな見え見えの地雷にわざわざ踏み込んでいく様な真似はしない。彼はこの先も「普通より少し早い」範疇で昇進し、我が社で勤めていく事になる。まあそれはいい。


「……っ」


 一人になった部屋の中、私は片手で顔を押さえる。

 あの様子では、睡蓮家はデウスエクスマキナ計画以外にも何らかの人体実験を伴う計画に参加しているのだろう。知らなかった訳ではない──ただ、その情報が「一般人よりも少し多い」程度であるだけで。


──貴女は飄々とした裏に正義感を隠している。それはとても無垢で、限りなくこの世界に向いていない。


 昔、誰かに言われたそんな言葉。

 そのせいなのだろうか、私は次期当主などと祭り上げられながら結局の所これまで家がやってきた事など何も知らなかったのだ。


「私も兄さんみたいに逃げちゃえば良かったのかな」


 先程言った、輝夜に婿入りさせる予定だった従兄弟、それが私の言う"兄さん"。

 彼は柊家の次期当主への婿入りという重大な任務を前にして駆け落ちした。今何処にいるかも知らないが、母にはそれが分かっているのだろう。嗚呼、今となっては彼の事が心底羨ましい。全てを捨てて逃げる事が出来たならば、一体私はどれだけ楽になるのだろう。

……でも、出来ないのだ。楓や他の姉弟きょうだい、幼い頃から育ててくれた色々な人を私は見捨てる事が出来ない。


 黒い物が心から溢れそうになる。


「……大丈夫、私はだいじょうぶ」


 そう自分に言い聞かせ、私も部屋から外に出る。

 窓から見えたその空は分厚い雲に覆われていた。



「新聞部の姫川文果あやかですっ! 睡蓮紅葉さん、取材にご協力くださいっ!」


 目の前に黒い羽根を散らしながら一人の少女が舞い降りてくる。その二の腕には「新聞部」という腕章がはめられている。

 学園に帰ってきた私を待ち受けていたのは、ジャーナリスト気取りの少女による取材の名を借りた尋問であった。彼女は右手に今の時代には珍しいボイスレコーダーをこちらに向け、左手にペンを、背中から生えた黒い翼で手帳を器用に持ち……いやホントにどうやって持ってるの、それ。


「単刀直入に訊きます、貴女は輝夜前会長に何をされたのですか?」

「……何もされてないよ。休んでたのは単なる腹痛さ」

「つまり盛られた、と? なるほど」

「何もされてないって言ってるでしょ」

「圧力、ですか。なるほど」

「されてないって言ってんだろ」


 頭が痛くなってくる。確かに彼女が言っている事は正しいし私の言い分があからさまに誤魔化しなのも悪いのだけれど。

 そういえば聞いた事があった、今年の新入生の中に中々厄介な人物がいると。

 何でも入学して早々『新聞部』なる部活を立ち上げ・・・・ようとして、そしてつい最近ようやく認可されたとか。

 鴉天狗との契約者、姫川文果あやか。あっという間に魔装の翼の使い方をマスターし、その俊足で学園中を飛び回り取材しまくっている。これまでは良かったけれど、今の社会であまり権力者の懐を探るのはお勧めしない。多分長生きしないタイプの人間だ。


「では話題を変えます。寮からの道に何やら戦闘の痕跡らしきものがあったのですがそれは何なのですか?」


 彼女が言っているのは暴走した雲雀と咲良達が戦った時の物だ。

 確か既に学園から発表されていた筈だけれど、彼女には到底受け入れられなかったのだろう。


「学園からはガス管の爆発事故だという発表がなされていますが……この私の目は誤魔化されません。何か裏があり、そして貴方は知っているのでは?」


 中々どうして鋭い。正直そのうちに知ってはいけない事を知ってしまって消されたりしないか心配になる程には。

 さてどうしよう。下手な事を言えば変な記事を出されそうだし、こういう時は。


「あっ、そういえば用事があるのを忘れてたよ、ゴメンね。またね~」

「あ、ちょっとま──」


 わざとらしく何かを思い出した様な素振りを見せ、彼女が止めるのも聞かずに魔装に着替えて飛び立つ。追いかけてはこなかった、これ以上は何を訊いても無駄だと悟ったのだろう。



──とまあ、そんな事もありつつ。


「あ、あの人何か俺について言ってなかったか?」

「いや、特に何も……」

「む、むう……ならいいんだが」


 部屋の外からそんな声が微かに聞こえてくる。大人の男性の声と聞き慣れた少女の声。本人的には聞かれていないと思っているのだろうが魔法師の聴力はこの程度ならば十分拾える。

 まあ怯えるのも仕方のない事だ。自らが勤める会社の創業者一族が突然何の前触れも無く訪問したのだから、自分が何かやらかしたのではないかと考えてしまうのも無理はない。

 聞き耳を立てながら苦笑いしていると、ふいに私の前にティーカップが置かれる。


「そ、粗茶ですが」

「ああ、お構いなく」

「あなたもどうぞ」

「あ、ありがとうっす」


 隣に座っていた雲雀にも。

 家に着いた私達は咲良を除きリビングに通された。普通の住宅街、普通の家。専用の客間などある筈もない。

 広さ十二畳程の弱洋風リビングルーム。ライトブラウンのフローリング、フワフワで所々ほつれたカーペット、所々染みのある白い壁紙クロス、年季の入った人工革のソファー、キャットタワー、テレビ、未だ片付けられていないコタツ、中ではなく外で丸まる黒猫、そして今私達の座っている椅子と机。

 置かれたティーカップもそこまで高いようには見えない。よく見たら少し欠けている。中の紅茶も多分市販のダージリン。ミルクと砂糖を入れて混ぜる、香りも味もいつも飲んでいる物よりも劣るけれど、これもまた味がある。


「……ん? おや、猫」


 ふと足に何かが擦り付けられる。見ると先程寝ていた黒猫が身体を足に擦り付けていた。可愛い。


「あら、結構人見知りするタイプなんですけれど」

「お名前は何と言うのですか?」

「ジジと言います」


 ジジ。元ネタは多分近代のアニメ映画だろうか、黒猫としてはありがちな名前だ。

 ジジはしばらく身体を擦り付け、その金色の双眸に私の顔を映した後に雲雀の方に行き、同じ事をする。


「わー可愛い! 抱っこしてもいいっすか?」

「いいですよ。でももしかしたら引っ掻くかもしれないので気を付けてくださいね」

「はいっす、ほ~らジジ」


 雲雀がジジの腹の下に手を回し、そのまま持ち上げる。ジジは特に抵抗もする事なく素直に彼女の膝の上に乗せられ、そのままゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 そこまで歳がいっている様にも見えないが、本当に大人しい猫だ。


……あれ、そういえば輝夜の手紙で「咲良は使い魔を呼び出す事が出来る」とか書いてあった様な気がするけど……いや、まさか、ね。


 さて、そんな私の予感を振り払う様に新たにリビングに入ってくる者が二人。咲良と彼女の父親である。


「改めて初めまして。いつも娘がお世話になっております、咲良の父の朝露宏司です」


 ペコリ、と頭を下げる彼。やっぱり緊張している。

 私がそれに軽く返している中、咲良は平然とキッチン──リビングとを隔てる扉が取り払われ一体となっている──に入りガラスのコップを取り出す。


 ガラリ。


「あ」

「……姉ちゃん。お帰り」


 と、そこでキッチンの奥の扉が開かれる。

 そこに居たのは咲良よりも若干背の低いやや黒みがかった赤紫色の髪をした少年。


「紹介する、です。コレが弟の瑞希みずき、です」

「朝露瑞希です。いつも姉ちゃんが世話になってます」


 ペコリ、とこれまた頭を軽く下げる。

 見たところ小学生高学年か中学生くらいだろうか。私は席を立ち彼に近付き、かがんで彼と目線を合わせる。


「こんにちは、アタシは睡蓮紅葉……あ、あれ?」


 私が微笑みながらそう言うと、彼は顔を赤くして咲良の後ろに隠れてしまう。

 照れているのだろうか、このくらいの男の子はかわいいなあ。ああ~~、家の事とかで積み重なったストレスが消えていくー……。


 ふと顔を上げると、じとりとした目をこちらに向ける咲良の顔が。


「寮長、さん……弟を、誑かさないで、ください」

「た、誑かすって……」

「まあ咲良、可愛いから仕方ないっすよ~。あ、私は秋空雲雀っすよ~」


 ひらひらと手を振る雲雀。

 それに彼はますます顔の赤みを増し。


「お、俺宿題あるから!」


 逃げる様にその場から走り去り、ガタガタガタと音を立てて階段を上っていった。

 うん、ちょっと教育に悪かったかな。傍から見ると確かに年下の少年に手を出す悪いお姉さんである。少なくとも咲良にはそう見えているだろう、彼女の目はいつにも増して細くなっていた。

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