ヒーローは いつもおくれて やってくる

──────

───



 時は少し遡り、咲良によってオークが瞬殺される数分前の事。 


「……別に、見回らなくてもいいんだけど」


 早朝、私──織主芽有は何となく学園内を散歩していた。

 理由は言うまでもなく、今日この学園にオークを引き連れた"組織"の魔女が襲撃してくるからである。

 原作では連れていたのは一体だけ。その一体に比奈と快人はボコボコにされ、しかし死ぬ直前で快人が覚醒しオークを倒すのだ。


 そう、このイベントは物語においてとてつもなく重要なのである。ここまで全く魔法が使えなかった快人はここから使える様になるのだ。

 彼の契約従魔『レフストメリス』は異世界の魔王。通常とは違う従魔と契約してしまった彼が魔法を使う為には、ある特殊条件をクリアしなければならない。


 それは──人間を"支配"する事。支配した人間の力が高い程、そして人数が多い程彼の力は増す。レフストメリスが元の世界で王の座につき魔族を支配していた事から来ている訳だ。

 支配の方法は様々あり、力で支配、言葉で支配などなど……だが、当然暴力を振るうなどすれば一発で憲兵の世話になるし、言葉で洗脳する技術など彼は持ち合わせていない。

 だからこそ、これまで彼は魔法を使う事が出来なかった。

 だが、"支配"にはもう一つ、思いもよらぬ方法があった。


 それこそ、"惚れさせる"事だ。

 原作の記述によれば、"恋"とはその対象に対して盲目的にしてしまう──それは即ち、その対象に"支配"されているに他ならない、らしい。何とも歪んだ恋愛観である。

 ともかく、死の直前に比奈が自らの恋を自覚し、それによって条件が達成、彼は魔法を使う事が出来るようになる。そして異世界の魔法『リグラ・グレンズ』を使用しオークを消し炭にしてしまうのだ。

 だが、そこで彼は力尽きてしまう。そんな彼の元にオークを使役していた魔女が現れ、彼を攫おうとする。本来であれば、それを急ぎ戻ってきた輝夜が助け、この事件は終了となる。

 被害は最初に殴られた女子生徒、そして比奈と快人の三人が負傷する、ただそれだけ。傷は回復魔法で完全に治されるし、この件で私が介入する隙間はない。


 しかし、ここで一つ問題がある。

 それは、入学式直後に私と咲良で凄まじい決闘を繰り広げてしまった、という事だ。

 それにより、新入生の中に強大な力を持つ者がいるという事が"組織"に伝わり、念の為にとオークの数を増やしてくる可能性が生まれてしまった。もしそれで死者など出てしまったら……杞憂である事を願うばかりである。


「おっ、朝から気合の入った者がいるな!」

「一年生? 陸上部に入らない?」

「一年生の織主芽有です。陸上部は遠慮しておきます」


 そこで現れたのはスポブラとパンツの二人組──陸上部である。わざわざ早朝に起きている者が珍しいのだろう、彼女らは私を見るなり勧誘してくる。丁重にお断りする。あまり体育会系は趣味じゃない。

この学園には多彩な部活動が存在しており、健全な学生生活を送る為に原則全生徒が何かしらの部に所属する事となっている。

 一年生は入学から一ヶ月間見学期間となっており、多くの生徒がこれからの輝かしい学園生活を夢想している頃である。ちなみに最も人気のある部活は魔導研究部、陸上などは不人気だ。だからここまで熱心に勧誘してくるのだ。


「ううむ……それは残念だ。だが我々の門戸はいつでも開いている、気が変わったらいつでも訪れたまえ!」

「ははは……」


 熱血系の先輩──恐らく部長──の話を軽く聞き流す。そうして陸上部は再びジョギングに、私は散歩に戻り──



──次の瞬間、私は隣の先輩達と共に太い棍棒で叩き潰された。


「──ッ⁉」


 刹那、私は反射的に魔装を身に纏っていた。


「〝深月海壁〟‼」


 そして瞬時に大量の薄黒い水を生み出し、私達を包み込む。突然の魔法の行使に巻き込まれた先輩達は困惑を隠さない。


「な、何を」


直後、爆音と共に水の膜が破裂する。その水は私達にかかる事はなく、飛散した傍から宙に消えていく。


「──っ」

 視界を覆っていた黒い水が消え、そこに居たのは──


「当たって欲しく、なかったなあ……」

「なっ……⁉」

「お、オーク⁉ どうしてここに⁉」


──棍棒を握り締めた、巨大なオークであった。

 それを見た先輩達は一瞬驚愕するが、流石に上級生である為すぐに状況を把握、二人が同時に魔装を身に纏い、私を庇う様に前に出る。


「一年生! 助けてくれて感謝する、だがこれ以上の助太刀は無用!」

「私達でこいつは倒すから、貴女は早く保安部に連絡を!」


 そう言うと、二人は魔法を行使する。


「響子!」

「ああ! 〝多重音反射〟……波浦!」


 響子、と呼ばれた部長の方が何やら緑のリングを形成し、そこへ向かって波浦、と呼ばれたもう一人が「斬歌!」と叫ぶ。

 きっとこれまでの演習でもこうして敵を倒してきたのだろう、と容易に想像させる鮮やかな連携攻撃。波浦の叫びは不可視の刃となり、それが響子のリングに反射、増幅される。それらはオークに向かい、奴の身体を切り裂いた。


「よしっ!」


 その様子に二人は勝利を確信する。

 実際、通常のオークならばそれで絶命していた事だろう、それ程二人の攻撃は高度な代物だった。


「駄目です、先輩!」


 唯一の不幸は──こいつは、普通ではないという事だろう。

 「え?」と彼女らが視線を外した瞬間、のそりと起き上がったオークの棍棒が振り上げられ──


「〝叢雨簪〟!」


──それを私が放った水の槍が弾き飛ばす。


「なっ、今ので死なないのか⁉」

「油断しないで下さい、こいつ、普通じゃありません!」


 私が警戒を促し、それに二人も構えを整える。

 このオークは強敵だ。原作では割と登場頻度が高く、モブ生徒を多く殺していたりする。だが一方で上級生には負けている描写もあり、ネームドでないと絶対に倒せない、なんて強さではない。

 今ここには私と上級生──多分二年生──が二人。

 倒せる、そう私が確信した、正にその瞬間だった。


「「「⁉」」」


 背後から何か重い物が落ちてくる様な鈍く重い音が鳴る。私が恐る恐る振り返ると──


「……嘘」


 そこでは、前に居る物と同じオークが立ちこちらを睨みつけていた……二体。

 これでここに居るのは計三体。頭数はこちらと同じ、力の差を考えれば圧倒的に不利である。

 先輩方を見ると苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。先程の連携攻撃で死ななかったのだ、その事を思えば仕方のない事だろう。


「く……私達が背後の二体を」

「私が後ろのをやります、先輩方は前のをお願いします!」


 響子の言葉を遮る様に言い、二体へ振り向く。それに彼女らは慌て、引き留めようとする。


「そんな事は」

「安心してください、私は強い……ですから!」


 脳裏に浮かんだのは咲良の顔。転生チートを貰った私に完勝した謎の化け物。

 アレに比べれば見劣りするが、私だって相当強い筈だ。一瞬言葉は詰まってしまったが……強化オーク二体相手だって必ず勝てる。


「っ……かたじけない。速やかにこちらを処理してそちらの助太刀に向かう!」

「無理しちゃ駄目よ!」

「はい! 〝叢雨簪〟!」


 まず水の槍を無数に生み出し、二体に向け放つ。

 それらはオークの皮膚を貫く事は出来ず、ただ怯ませるのみ。だがそれでいい、こんな物で倒せるとは思っていない。私は奴らが怯む間に背後に回り込み。


「くっ!!」


──そこで足から激流を放ち空へ飛ぶ。

 未来予知が発動し、いち早く回復したオークの振り抜いた棍棒が私の体を木っ端微塵にする映像が見えたのだ。実際飛んだ直後、棍棒が私の居た場所を薙いでいた。

 ちなみに時間停止は使えない……というか、使いたくない。実はあれは一度使うと暫くインターバルを置かなければならず、この先どんな想定外の事が起こるか分からない以上こんな場面で消費したくないのだ。


 それはともかく、オークの振るう棍棒を空中で避けていく。ノロマそうな見た目をしていながら意外と動きは素早く、中々どうして攻撃する隙を見つけられない。

 先輩方は大丈夫だろうか、ちらりとそちらを向く。


「ええ……?」


 そこでは、何故か闇雲に棍棒を振るうオーク、その至近距離で傷だらけになりながらも刀で果敢に斬りつける部長、そしてその二人を纏めて歌の攻撃を当てる先輩の姿があった。

 不可視の刃はオークと部長の肌を斬り裂いていく。だが、どう見てもダメージは部長の方が多い様に見えた。だが当の彼女は痛がるどころか寧ろ狂気的な笑みを貼り付けている。マゾなのだろうか。

 もう一つ不可解なのがオークの挙動である。私にはどうにも奴が周囲で斬りつける部長を狙うというよりもただ闇雲に手当り次第振るっている様にしか見えないのだ。

 そんな事を避けながら考えていると、不意に脳内に声が聞こえる。私の契約神、豊玉姫である。


『なるほど、夜雀の魔法ね』

「夜雀?」

『要するにオークの視界を一時的に奪ってるのよ。それであの攻撃を受けてる子は……』


 と、彼女の言葉の途中で〝それ〟は発動された。


「〝大山彦〟!!」


 部長がオークから距離を取り、そう叫ぶ。

 瞬間凄まじい衝撃と共に声の刃が彼女から放たれ、薄皮を裂くので精一杯だったオークの右腕を切り落とした。


「よっしゃあ!!」

「作戦成功!」


 喜ぶ二人と痛みで絶叫するオーク。

 奴の利き腕を切り落としたのだ、戦闘力の大幅低下は避けられない。


『あの子は山彦ね。自分の受けた攻撃を溜めて一気に放出する、って所かしら』

「なるほど……」


 陸上部。原作では名前しか出てこず、今戦っている二人など欠片も出てこない、言ってしまえばモブ。そんな二人があの様に協力し、強大な敵を相手に有利に立ち回っている。

 私は実感した──この世界が、〝本当に存在する〟世界なのだと。原作では描写されていない人々も生きているのだと。


「負けてられない……!」


 私だって、私だって……私だって!!


「〝激流槍〟!!」


 片方のオークに向けて突っ込み、突き出される棍棒を皮一枚で避ける。

 そして巨大な水の槍を形成し、自分の勢いをそのままのせて奴の腹にぶっ刺した。

 叫ぶオーク、だがまだ終わらない。突き刺した水の槍を消し、傷孔に手を突っ込む。ぬるりとした生暖かい不快な感触が手を襲うが気にしてはいられない。


「〝叢雨簪〟!」


 そのまま私は突っ込んだ手から水の槍を放つ。如何に表皮が硬くとも体内は弱い。腹から心臓を潰されたオークは血を大量に吐き、白目を剥いて絶命した。

 直後、頭を潰される映像が映ったので屈む。勢いよく振るわれた棍棒が私の頭があった場所を通り、オークの死体を吹き飛ばす。


「どりゃあ!!」


 図らずも奴の巨体の至近距離に潜り込む形となった私は、すかさずウォータージェットの勢いをのせた拳を腹に叩き込む。オークは吹き飛び、街路樹をへし折りながら地に体を滑らせる。


「げきりゅ──」


 そこへ追撃を加えようとした、その時だった。


「──!?」

「がっ」

「かはっ」


 何かが降ってくる様な重い音、その直後の呻き声。

 振り返ると、そこでは殴られたのであろう二人が私とは反対方向に吹き飛ばされており……そして、それをやった下手人であろう〝四体目の〟オークが今まさに倒れ呻く二人にトドメを刺そうとしている所だった。

 思考。二人を助ける為にはどうすればいいか。

 いつものウォータージェットで飛んでいく……間に合わない。叢雨簪、激流槍……間に合わない。他の魔法……間に合うかどうか分からない。

 二人が物言わぬ肉塊と化すまで残り一秒足らず。


 カチリ。


 私に残された選択肢は、一つしか無かった。


「はぁ、はぁ……使いたく、なかったのに……」


 世界から色が消える。暖かな朝日、陽気な囀り、涼しげな風と血生臭い音、その全てが消え、私一人の世界が生まれる……いや、正確には二人か。

 とにもかくにも、私は時間停止を使わざるを得なかった訳だ。


「……こっちを優先すべき、ね」


 私は二人を殺そうとしていたオークの前に立つ。

 現状生きているオークは三体。二人が右腕を落とし瀕死の個体、私が殴り飛ばした個体、そしてたった今何処かからか現れた個体。

 ここまでの戦闘で魔力をかなり消耗してしまった。時間停止もそれ程長くは持続出来ないだろうし、加えてオークの防御力を考えれば致命傷を与えられるのは一体だけ。実質一択だ。


「〝激流槍〟、〝叢雨簪〟」


 巨大な水の槍を二本と小さめの槍を数本出現させる。激流槍はオークの頭部、両目の至近へ、叢雨簪は振り下ろさんとする棍棒に。

 そこで停止が解ける。激流槍は両目を貫き脳を破壊、叢雨簪は棍棒を吹き飛ばす。これでオークは残り二体。


「い、一年生……ぐぅっ……す、すまない」

「いえ。先輩方は休んでいて下さい」


 回復魔法が使えれば良かったのだが、生憎私の転生特典には含まれていなかった。気の利かない神だ。

 片腕のオークはともかく、殴り飛ばしただけの個体はもう既に回復し、殺気を込めた眼で私を睨み付けている。


 魔力残量からして恐らく激流槍はあと一、二発が限度。さて勝てるだろうか……いや、勝てなければ私の第二の人生は終了なのだ。

 覚悟を決め、私は半ば絶望的な戦いに身を投じ──



「──は?」



──ようとしたその時、突然空から降り注いだ青い光にオークが包まれる。

 それが消えたそこには、あれ程絶望的だった醜い巨体は塵一つ残ってはいなかった。

 それと同時に暖かな光が私達を包み込む。魔力不足で感じていた倦怠感が消え、また背後の二人の傷も完全に治癒されていた。


「こ、これって……」


 もう一体のオークも消えている。

 何も知らない人間が見ればオークが何かをしたのではないか、と思うかもしれないが──私には、先程の青い光に嫌という程見覚えがあった。


「……もう少し、早く来てよ……」


 そんな私の呟きは、誰にも答えられる事なく宙に消えていった。


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