桜井涼介との邂逅を地面の染みになって眺めたい腐女子
「──という訳で今回の講義はここまで。皆レポートは忘れずに提出する様に」
「起立! 気を付け! 礼!」
チャイムが鳴り、六時間目の講義が終わる。皆がワイワイと談笑し、同時にバッグに教科書やらノートやらを詰め始める。そう、これで今日の講義は終わりなのだ。
入学式から早五日。この学園に入ってから初めての土日が明日から始まる。流石に外出は厳しいが、そうでなくとも遊べる場所は校内に幾らでもある。
「芽有―、放課後カラオケ行かない?」
「行くー」
嗚呼青春。私は親友の誘いに迷いなく答える。
「えー、オールしてかないのー?」
「ホントごめん! 今日どうしても外せない用事があって」
「用事って?」
「何かあったっけ~?」
皆の疑問も当然だ。この学園でこの時期の一年生に個別の用事などある筈もない。私は少し声のトーンを落とし、言う。
「実は……個別課題出されちゃって」
「個別課題⁉」
「うん。ホントやめて欲しいよ~」
「た、大変だね……」
「頑張ってね~」
皆の激励を背に受けながら私はその場を後にする。
個別課題、というのは真っ赤な嘘である。そんな物出されていないし、何なら普通の課題ですら既に終わらせてしまっている。ならば一体何があるのか。別にこの場から離れたかったとかそういう理由ではない。
「確か場所は……」
私は自らの記憶と地図を照らし合わせて"その場所"を目指す。
時は真夜中、大きな月がこちらを見つめる時間。当然生徒など皆寝静まり大人ですら殆ど出歩いていない、静かな世界。だが、四月五日午後十一時三十二分、この時間を私は今生で最も楽しみにしていた。
「あった、この場所だ……!」
第三体育館と第五汎用倉庫の間にある石畳の道路。街頭も大して設置されておらず、そもそも人通りが殆ど無い閑散とした場所。だが、ここは私にとっては正に聖地に等しい場所なのだ。
私がこの"異世界魔王と戦乙女"を好んで読んでいた理由──それは、とあるキャラクターが登場するからであり、初登場がこの場所なのである。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
やばい、動悸が激しくなってきた。私は茂みに隠れながら胸を押さえる。ああ、遂に"彼"に会えるんだ。ここまで色々な事があったけれど、それも全てこの時の為に。
というか、色々な事って主にあの意味分からん女のせいなんだけど。
「何してる、ですか?」
「もうすぐここに推しが来るんですよ」
朝露咲良、ホントに何なのアレ──
「──ヴェアアアアァァ!?」
「!?」
──反射的に、私は魔装を纏い時間を止めていた。そうしなければ静寂に一つ奇声が轟いていた事だろう。腰に付けた扇子を抜き、私に話しかけてきた彼女──朝露咲良に向ける。
時間の止まった本来は私だけの世界で、彼女は当然の様に動き私の奇声に驚いていた。
「な、な、な、何でここに」
「少し散歩を……織主さんは、何故、茂みに……?」
「そ、それは……ウッ」
その顔を見ていたら不意に決闘の記憶がフラッシュバックし、胃液が喉まで込み上げてくる。だが、この一週間の楽しい思い出と魔法による強化で何とか踏み止まる。
「だ、大丈夫、ですか?」
「っ……」
そんな私を見て彼女は心配してくる。
一体誰のせいだと思ってるんだ。アンタのせいだよ! いや決闘しようと言ったのは私なんだけど、そうなんだけど!
「スゥー、ハァー……今からここに私のお……好きな人が来るんです。でもその人は他人が居ると来てくれないから隠れてたんです。だから邪魔しないで下さい」
「好きな、人……?」
「そうです。興味無いんだったら今のうちにどっか行って下さい」
他の事に大して興味を持っていなさそうな印象の少女、しかし彼女は予想外の返事を返す。
「見ててもいい、ですか? 気になる、ですので……」
「……」
私は言葉に詰まる。推し、という単語を好きな人に変換したのが悪かったのかもしれない。恋バナなんて女子の大好物じゃんか。
つまり、意外と彼女も普通の女子生徒だったという訳だ。そんな事は今はどうでもいい。
「……分かりました。邪魔だけはしないで下さいよ」
「勿論、です」
「じゃあ時間停止解くので茂みに隠れて下さい。もうちょっとで来る筈なので」
彼女がいそいそと私の隣で屈み、私は魔法を解く。世界に色が戻り、風の音が再開する。
「あ、どうせ隠れる、なら……」
咲良が魔装に着替え、ぼそぼそと何かを呟く。直後、淡い光の粒が私達の身体を包み込み──だが、何も起きた様には感じない。一体私は何をされたんだ?
『……凄いわね、こんな高度な魔法をあんなに鮮やかに発動させるだなんて』
「へ? 何の魔法なんですか?」
と、脳内に声が響く。私の契約神、豊玉姫様だ。
『透明化ね。本来は天照の領分なのだけれど』
「と、透明化」
『それもただ単に姿を消しているだけじゃなくて声や気配まで消してるわ。余程の手練れでもない限り触れるくらい近付いても気付かれないんじゃないかしら』
「え、それって……」
彼女の解説に、私は身体を震わせる。
それはこの様な魔法を咲良が使った、という事に対してでもその様な暗殺特化の魔法が存在している事に対してでもない。
「──涼介君に近付ける……ッてコト⁉」
「……? 誰か来た、ですよ」
「よっしゃあっ!」
「⁉」
息を荒くして私が興奮していると、不意に咲良が呟く。それに思わず声を荒げてしまう。彼女を見るとドン引きしていた。
「参ったな……ここ何処だ?」
さて、やってきたのはお馴染み、主人公の藤堂快人。彼が来る事を私は知っていた。そして、彼が来たという事は取り敢えず原作通りにイベントが進んでいるという事だ。
彼は現状魔法を使えていない。その為毎日の様に補習を受けさせられ、こんな真夜中に帰る事になっている。そして今日、彼はふといつもと違う道を通ろうと考え、そして今、こうして迷っているという訳だ。
「……げ、ズルい人、です……あんなのが好き、ですか?」
「違います」
そんな彼の顔を見て顔を顰めさせる咲良。彼女の問いに私は即答する。
別に私の推しは彼ではない。確かに私の推しと彼の絡みは好物だが、キャラ単体は全く好みではないのだ。
……所で"ズルい人"というのは何なのだろう。彼女の思考はよく分からない。
「あ……もう一人来た、で「キターーーッ‼」す……」
と、そこで咲良が気付き、それに私はガッツポーズをとりながらまたも奇声をあげ彼女が引く。
「やあ、快人君」
「ん……?」
突然、快人に声がかけられ、彼は驚く。それは時間が夜だったのに加え、その声が男の物だったからだ。
不逞を防ぐべく、国立天照魔法学園の敷地内には原則女性しか入る事が出来ない。生徒や教師のみならず、一連のアミューズメント施設の職員に至るまで全て女性なのだ。つまり、彼がここ唯一の男の筈であり、自分以外の男の声など聞く訳がないのである。
彼は周囲を見回しその姿を見つける。声の主──その少年は、隣の倉庫の屋根に立ち快人を見下ろしていた。
快人が唖然とする中、少年は彼の前にふわりと降り立つ。
透明感のある薄水色の髪、病的なまでに白い肌、月を埋め込んだ様な黄金の瞳──
「顔が良い……」
「近く、ないですか……?」
「ああ、声も良い……息ですら良いなんてどうなってるの? 喉にインキュバスでも飼ってるの? フェロモンムンムンなんだけど」
「???」
──そんな彼を、私はすぐ隣で眺めていた。咲良は少し離れた場所で狂う私を困惑した様子で見つめている。
「だ、誰? っていうか何で俺の名前を……」
「知ってるさ。ずっと見てたからね」
「見てた、って……?」
不敵な笑みを浮かべる彼と困惑する快人。
「ああああああ‼」
「……」
「か゛っ゛こ゛い゛い゛よ゛お゛お゛‼゛」
号泣する私と死んだ目で見つめる咲良。
私はそのままカメラを取り出し、彼を激写する。推しをこんなガチ恋距離で眺められるだなんて。
「咲゛良゛あ゛り゛が゛と゛う゛~‼」
「……はい」
既に彼女に対する恐怖心など消え失せていた。あるのは感謝と感激のみ。
それはともかく、イベントは続く。
「君の事はずっと気になってたんだ。僕は桜井涼介、君と同じ魔法体質者だよ」
「君と同じ……って、え!?」
明かされる衝撃の事実、快人は目を丸くする。自分だけだと思っていた"例外"がもう一人居たというのだから当然だ。
さて、そんな光景を間近で眺める私達。ふと、隣の咲良の瞳が赤く光る。それはどうやら見た対象を解析するものだった様で、彼女は初見でありながら彼の異常性に気付く。
「……確かに、魔力を感じる、です。でもあの人とは少し、違う……」
「その通り。快人君が天然モノであるのに対して涼介君は人工モノですからね。彼はニャルラトホテプと融合してるんです。クトゥルフ神話は歴史が浅いのでその神々はまだ自我を獲得したばかり、そんなひ弱な存在に目を付けた"組織"が彼と──あ」
「……?」
咲良の不審めいた視線が突き刺さる。
しまった、嬉しくなって喋りすぎた。どう考えても一介の生徒が知ってていい情報じゃないぞ、今の。私は恐る恐る弁解の為口を開く。
「これは、そのー……」
「融合……人工……」
だが、当の彼女はぶつぶつと何かを呟きながら考え込んでいる。私の言葉など聞こえていないかの様に。
まずい、もしかしてこれ、詰んだ?
「それなら……織主、さん」
「は、はいっ」
「ありがとう、です。貴女のお陰で……分かりました」
「へ?」
そう言うと、彼女はその場から立ち去っていく。
闇の中に消えていくその背を私は暫く呆然と見て、やがて今が重要なイベント中である事を思い出して振り向く。二人はこの短時間の間に既に打ち解け、その会話は終盤に差し掛かっていた。
「そうだ、君に一つ忠告を」
「忠告?」
「ああ──"組織"が君を狙ってる」
「そ、組織?」
涼介が快人の耳元に顔を近付け、呟く。困惑する快人を他所に、彼は二歩分程離れて言う。
「最後に、僕の事は誰にも言わないで欲しいな。色々と複雑だからね」
「それはいいけど……また、会えるか?」
「ああ、きっとね」
その言葉だけを残し、彼の姿は闇に消える。
意味不明な言葉の数々、しかし快人の表情は明るい。先述した通り、この学園の生徒、職員は全て女性。思春期の彼にとっては眼福よりもストレスの方が大きい。それに加えて現状彼は魔法を使えていない。
積み重なる心労、そこに現れたのが自分と同じ男の魔法体質者。彼は嬉しかったのだ。快人にとって、これまで魔法体質は自分に孤独を与える"呪い"だった。それが涼介の存在によって"祝福"に変わったのだ。
本来ならば推定無登録かつ無断侵入者である涼介の事など即刻通報しなければならないのだが、唯一の心の拠り所となってしまった彼にはそんな事絶対に出来なかった。
『あんなのが好きなの? 貴女』
「あんなのとは失礼な。幾ら豊姫様でも怒りますよ……きっとすぐに分かります、彼の良さは」
きっと二、三回見た時には私と同じく重篤な涼介患者になっている事だろう。いや、絶対に沼に引き摺り込んでやる。
さて、彼が最後に言った言葉、"組織"──闇の秘密結社的な存在──が狙っている、というのは非常に重要なキーワードだ。というのも、今の展開は原作ラノベで言う所の一巻中盤辺り。一巻とはラノベにとって重要な物であり、当然ラストでは盛り上がる展開がやってくる。
そして、一巻では終盤に学園が"組織"によって襲撃を受けるのだ。テロリストに学校が襲撃される、というのは何ともベタベタな展開ではあるがそもそもが割と古めのラノベなので仕方ない。
これまで魔法が使えなかった快人はその襲撃によって覚醒し、見事に敵を打ち倒すのだ──
「──げっ」
──と、そこまで考えて私は嫌な予想をしてしまう。
今のストーリーはおおよそが原作に沿っているが、二つ違う点がある。私と朝露咲良の存在だ。その襲撃では死者は出ないし、襲ってくるのもたった一体のオークと魔女一人だけなので私は手を出さないつもりだったが、彼女が何もしないとは思えない。
そして、彼女は強い。強すぎる。正直原作通りの襲撃ならば一蹴してしまう程度には。
「どうしよ……」
だがそれをされては困るのだ。彼がここで覚醒しなければ今後の物語に支障が出る。というか、世界が詰む。
彼の契約した妖魔は特別な存在なのだ。そして、物語終盤で出てくる様々な問題や事件を解決するにはその力が必要不可欠なのである。如何に咲良が強くともそれは曲げられない。絶対に無理だ、という概念なのだから。
もしここで彼が覚醒しなければ、あるいは私が別途覚醒イベントを用意しなければならなくなるかもしれない。非常に面倒くさいが今の段階で覚醒してもらわなければ下手すれば二年を迎えるまでに死んでしまうかもしれないのだ。
「……まあ、何とかなるでしょ」
私は現実逃避を選択し、その場を後にする。因みに透明化の魔法は一時間後に解けていた。
──さて、そうして迎えた襲撃の日。私は負傷した生徒を背に、複数体のオークと対峙していた。
「……なんでぇ?」
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