42 計屋はかり「私は一位を獲りたい。みんなと一緒に。協力してくれる?」
「うー疲れたよー」
誰もいない部屋で、声に出して言ってみる。
誰もいないから甘えた声色になってしまった。
私、
メンテナンスを再開した艶のあるロングヘアは広がらず、しっとりと首元を包む。
もう午前一時を回っている。
今日は、ブランクのある身体に鞭打って必死に新曲の振り付けを入れ続けた。
少しアイドル業を休んだだけで身体は思うように動かなくなる。
デビューしてからあまり休みなく働いていたので知らなかった。
それでもやるしかない。
幸い、歌声の方はすぐにかつての響きを取り戻したとマネージャーの佐崎さんが言ってくれた。良い兆しはある。
それに、疲れたけど、どこか心地いい。
あの日────。
私と弟のまーちゃんは不良たちから雪見くんに助けてもらった。
そして、雪見くんは私にキスをして言った。
『ずっとそばにいて欲しい』
あの時、私はプロポーズされたのかと思って舞い上がった。でもすぐに冷静になった。
きっとそういうことじゃない。
そもそも私は雪見くんと別れてる。それも私から一方的に。
そばにいるという意味を、考える。
そして私は決意した。
アイドルとして復帰すること。
それから、総選挙を戦うこと。
雪見くんのそばにいられるように、釣り合う存在になれるようになりたいと思ったから。
あの晩、SNSで総選挙に参加する旨を発信したところ、瞬く間にネットニュースから地上波の情報番組まで拡散された。
イベントで私が顔に傷を負ったことは公開された情報ではないけれど、動画のコメント欄やSNSの返信欄を見ていると周知の事実になっているように感じられた。
人前に出るのは今も本当に怖い。
私は唯一の武器を失って、どこまで戦えるのか分からない。
数日後、生放送でライブを行いながら総選挙はフィナーレを迎える。
その瞬間、満員の観客や開票されていく数字を想像して震える。
明日はそのライブの最終打ち合わせだ。
リモートではなく、現場でリハをしながら。
スマホを開く。
今日一日我慢していた好きな人のRINEを見る。
雪見大福【こんにちは。昨日は本当に嬉しいことがあった。有希の病気が治るかもしれないことが分かったんだ。はかりに詳しく話してなかったけど、有希の病気は深刻で、長く生きられないと言われていたんだ。だから、本当に嬉しい。でも、】
雪見大福【でも、治るって分かった途端、俺と結婚したいとか言い出して困った。妹と結婚はできないって言ったら今日、なんと、じゃあ来年からアメリカに行くとか怒りだして……】
雪見大福【つまり色々話したいことがある。早く会いたい。総選挙がんばれ。でも無理はしないで】
「有希ちゃん良かった……。でもなんか大変そうね、雪見くんも」
スマホを胸に抱いて、雪見くんの声で反芻する。
早く会いたい、か。
私も。
よし、明日もがんばろう。
ーーーーーー☆彡
翌日、私とマネージャーの佐崎さんが会場に着くと、男女四人のスタッフが待っていた。
「おはようございます」
「お久しぶりです」
「絶対成功させましょう!」
「何でも言ってね」
「っ……。おっ……」
挨拶したいのに声が出ない……。
明るく、こんな傷なんでもないってフリして堂々とするつもりだったのに。
視線が怖くて俯いて、無意識に左手で顔の傷をなぞる。
復帰すると決意してから、佐崎さん以外のスタッフと顔を合わせるのはこれが初めてだった。
怖い。
後ろから佐崎さんが肩を抱いてくる。
「大丈夫よはかり。この人たちは皆はかり担当に立候補してくれたの」
立候補……?
思わず顔を上げて、四人の顔を覗き見る。
見たことがあるような、ないような気がする。
すぐに目を逸らしてしまう。
私はこれまで、傲慢なアイドルだったと思う。
イベントでケガをする少し前から、雪見くんに言われて自分を変えようと思ったけど、正直この人たちの名前も分からない。
やっぱり私は最低な人間だ。
「ご、ごめんなさい。私、あなた達のこと、名前も憶えてなくて……」
「え?」
スタッフの一人が疑問の声を上げ、少しの沈黙があった。
そして、
どっと笑いが起こった。
「へ?」
今度は私がきょとんとしてしまった。
スタッフの一人の女性が笑いながら語りかけてくる。
「やっぱり計屋さんは変わられましたね」
他の人たちも笑いながら頷き合ってる。
「私が変わった……?」
「はい、私達四人は計屋さんが最後に参加したイベントで関わりました。あの日、計屋さんはこれまでよりやる気になってたと言うか……」
熱血な感じの男の人が前に出てきて続けた。
「あの日、オレ、はかりさんに笑顔で挨拶されて、うおおおおお!!ってなったんスよ!」
次に、眼鏡の男の人が口を開く。
「僕もあの日は驚きました。まぁ、正直言うと計屋はかりさんのスタッフからの評判は元々可もなく不可もなくといったところでした。我々に高圧的な態度をとることもありませんが、かといって我々に対する温度というものが感じられることは少なく、これはスタッフに対してだけでなく赤森京子以外のアイドルにも同様の態度が見られ……」
「ちょっと、長い、うるさい!」
眼鏡の人の言葉をギャルっぽい人が止めた。
そして、こちらに近づいてきて、続ける。
「なんつーか、つまり。アタシ達ははかりちゃんの味方ってこと。これ、受け取って」
私に手渡されたモノは、
「これ、何……? 仮面?」
キラキラしてる。
仮面……を半分にしたようなデザイン。
銀色と濃い藍色を合わせたカラーリングで、目の部分が開いている。
最初に話しかけてくれた一人目の女性がそばに来る。
「計屋さんが復帰すると決まった日、私達は早急にチームを組みました。そして佐崎さんに傷の状態を聞き、デザイナーや加工業者と徹夜で、その片仮面を作製しました。もちろん、計屋さんが不要なら使う必要はありません。ですがもし」
一旦言葉を切って、私を正面に見据える。
「もしこれが少しでもあなたの心を守るヴェールになってくれるなら、そう願いを込めました」
私は、手にある仮面をじっくり見る。
片耳にだけかかるよう眼鏡を改造していて、上手く顔の片側だけ隠れるような構造になっている。
それにこの、隅までデザインされた美しい装飾。
これを完成させるために、いくつもの困難があったはずだ。
私が参戦表明してからそう何日も経っていない。
目の前にいる人や、たくさんの人の努力の形が、今この手にある。
私なんかのために。
固唾を飲んで私を見つめる皆の熱意を感じる。
ゆっくりと、仮面を装着する。
顔を上げると、目の前のスタッフの顔がしっかり見えた。
そして気づいた。
最近の私は、ずっと俯き気味で過ごしていたんだ。
だって、こんなにも視界が広い。
同時に、はっきりと顔を見ることができて、思い出した。
「ありがとう。……山口さん、橋本くん、庄司くん、莉子ちゃん」
私に名前を呼ばれて顔を見合わす山口さんとギャルの莉子ちゃん。
眼鏡がズレた橋本くん、顔を赤くして興奮してる筋肉がすごい庄司くん。
みんなあの日に名前を聞いたんだ。
思い出せて良かった。
後ろで佐崎さんも笑ってるのが分かった。
私はみんなに支えられてる。
一人じゃない。
「私は一位を獲りたい。みんなと一緒に。協力してくれる?」
返ってくる反応が、それが実現できることだと信じさせてくれる気がした。
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