41 雪見有希「妹と結婚しないなんて、嘘だよね?」


 


 あたし、雪見有希は常に寿命の天井を意識する人生だった。


 ────『有希さんの三十歳を越えられる可能性は二割です』


 これは私が七歳の時、パパとママが医師から聞かされて、大粒の涙を流した言葉。


 あたしは子供の頃からそれを素直に理解し、受け入れていた。

 別に悲壮感とかは無かったと思う。

 物心がついた頃から決まっていたことだったから。

 持っていたものを奪われたわけじゃなくて、元々持っていなかっただけ。


 だから十四歳の今、人生そろそろ折り返しかーなんて漠然と思ってた。


 それが、何?


「雪見さん、医療は十年で驚くほど進化します。これまでよく頑張りましたね。あなたの病気は治ります」


「はぁ……」


 去年から担当医が変わって、この目の前に座る優しそうな熊さんみたいな見た目の先生になった。

 世界的な心臓外科医の権威らしい。パパが言ってた。


「有希ちゃん、大丈夫?」


 後ろに立っていた看護師の赤森さんが肩に手を添えてくれる。

 彼女はアイドル赤森京子のお母さん。

 診察室に入った瞬間からやけに明るい表情をしていたのは“こういう”理由だったんだ。


「はい……ただ、実感が湧かなくて……」


 赤森さんへ肩越しに曖昧に返事をする。


「この術式自体は少し前から確立されていたんです。この半年間の検査データを見て、有希さんなら問題なく……」


 耳で熊さん先生の話を聞きながら、どうやらこれは本当の話らしいとか、とりあえずお兄ちゃんに電話しないとなとか考えていた。



 ーーーーーー☆彡



 病院の待合室で結果を電話すると、お兄ちゃんは言葉を失っていた。

 クールな兄もさすがに動揺してるのが分かって少し面白かった。

 涙声になってたけど、泣いてたのかな。

 たどたどしく、夜ご飯を用意してるから気をつけて帰っておいでと言ってくれた。

 澪ちゃんとハンバーグを作ってくれたらしい。

 まーた女の子連れ込んで、とか思う。

 お兄ちゃんは何とも思ってないかもしれないけど、家で二人きりなんて澪ちゃんは緊張してただろうな。


 あー、あたし、治るのかー。


 病院を出て、歩きながら考える。

 先生の話を詳しく聞いた感じ、あたしは今後どうやら普通の人と同じように生きていけるらしい。

 手術は必要だけど、総合的に判断して成功するとしか思えなかった。

 過度な期待はしてないけど、特に不安要素は無いように感じた。


 自分では冷静だと思ってるけど、見落としがある可能性は全然あるので、とりあえず信頼してる頭脳に相談しよう。


 あたしは兄の次に千佳ちゃんへ通話をかけることにした。


 千佳ちゃんは、数少ないあたしの友達だ。お父さんは警察の偉くて怖い人。


「もしもし千佳ちゃん。あたし、病気治るっぽい。オペ出来るんだって」


「……ほぇー。ほー。へぇーぇええええええええええ!!??」


 なんか口に咥えてたっぽい千佳ちゃんの声がホップアップする。


 その後しばらくして落ち着いた千佳ちゃんに今分かる範囲で詳しく事情を説明する。


「うん、有希ちゃんの認識で合ってると思う。今調べてるけどちゃんと成功する手術だね。ギャンブルじゃない」


「だよねー。ありがとう千佳」


 千佳ちゃん、初めこそ驚いてたけどやっぱり冷静でいいなー。

 普通の女子中学生なら親友の生まれつきの疾患が治るってなったらここで大泣きしそうなものだけど。

 それはあたしも同じか。


「ねー有希ちゃん。私達おばさんになっても仲良くできそうで嬉しい」


「あたしも」


 そっか。

 あたし、おばさんになれる未来あるんだ。


「でも有希ちゃん、こうなると人生の方針転換が必要だね」


「まーね。人生三十年だと思ってたからねー。ニート予定だったのになー」


 あたしは高校卒業したら余生だと思ってた。冗談じゃなく。


「ちがうちがう。それもそうだけど、愛しのお兄さんのことだよ」


「へ? お兄ちゃんがどうしたの?」


「……有希って、ブラコンで、お兄さんを愛してるよね」


「まぁね。自慢じゃないけど」


 それがどうしたの。


「死にたがりのお兄さんに幸せになってもらうために、ハーレム化計画してたんじゃないの?」


「そう……だけど」


“そういう話”もあたしは千佳ちゃんにずっと相談していた。


「有希は長生きできないから、代わりに誰かが幸せにして欲しいって思ってたんだよね」


「うん……」


 うわ、千佳の言いたいこと、分かって……


「自分じゃできないから、仕方なく、他の女をお兄さんと仲良くさせてたんだよね」


「……うん」



 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、そういうこと。

 あたし、馬鹿か。

 人生で一番察しが悪い瞬間だ。

 はっず。



「でも、有希は普通に生きていけることになりました。つまり……」


「……」



 やめて、言葉にしないで。

 言葉にされると、“嬉しすぎる”から。




「自分で愛しの“お兄ちゃん”を幸せにしたらいいんじゃない?」




 千佳の声を聞きながら、気づいたら人目も気にせず全力で走り出していた。


 早く、早くお兄ちゃんに会いたかった。




 ーーーーーー☆彡





「ただいまーーー!!!」


 玄関で靴を脱ぎ捨て、タタタと廊下を走る。

 薄く笑ったような顔で迎えてくれたお兄ちゃんに飛びつく。

 しっかり抱きとめてくれる。幸せ。


「おかえり」


 顔はクールなのにまだ涙声だ。

 よく見ると目が赤い。

 電話を切ったあともずっと泣いてたのかな。

 お兄ちゃんの感情をここまで動かせたことにどこか達成感があった。ふへへ。

 そのままくっついた状態でリビングへ入る。


「有希ちゃん、こんばんは。お邪魔してます」


 部屋にグラビアアイドルの火法輪澪ちゃんがいた。

 澪ちゃんも感極まってる顔してるし、ちょっと化粧崩れてる。

 なんか、みんな温かい。

 素直にありがとうって思える。


「こんばんは! 澪ちゃんもハンバーグ手伝ってくれたんだよね! ありがとー!!」


「ううん、楽しかったから。私も一緒していい?」


「もっちろん!」


 本心からそう答える。

 ご飯はみんなで食べる方がおいしい。


 すでにダイニングテーブルに用意された料理からいい匂いがしてる。


「お祝いだっ」


 珍しくテンションの高いお兄ちゃん。

 三人とも着席し、飲み物を注ぐ。


「では、乾杯の挨拶は、わたくし有希が担当させていただきます」


「ああ」


「有希ちゃん、女子中学生がそんな飲み会みたいに……」


 大真面目にグラスを掲げる兄と、ちゃんとツッコんでくれる澪ちゃん。


「えー、このたび、あたしの病気が治ることが分かりました」


 二人は優しい目で「よかった」「よかったね」と言ってる。


「つきましては、兄と一生を添い遂げることを誓います、乾杯」


「!?」


 あれ、乾杯が続かない。


 澪ちゃんが驚いて呆けた顔をしている。


 お兄ちゃんは目を瞑ってうんうん頷いてる。

 ありがとうお兄ちゃん。


「添い遂げるって、夫婦とかに使うんじゃ……」


 澪ちゃんが思わずといった感じで呟く。


「夫婦って…………もちろんそのつもりですが」


 あたしはそれに応えた。

 すると、


「えっ?」


「えっ?」


「えっ?」


 澪ちゃん、お兄ちゃん、あたしの順に疑問符が頭上にポップした。


「どうしてお兄ちゃんまでびっくりしてるの……?」


 本当に理解できなくて、お兄ちゃんをきょとんとした顔で見つめる。


「有希、妹とは結婚できないんだぞ」


 隣で澪ちゃんが深く頷いてるけど、意味が分からない。


 あ、そうか。


「法律の話? それならいくらでも大丈夫。うちはパパがアメリカに……」


 あたしの言葉は途中なのに、お兄ちゃんが両肩を優しく抱いてきた。


「法律もそうだけど、俺は有希と結婚する気はないよ」


 は?


「妹と結婚しないなんて、嘘だよね?」


「嘘じゃない。有希を家族として愛してるけど、そういう目で見たことはないんだ」


 あたしは、気が遠くなった。



 ーーーーーー☆彡



「のれんにうでおし……とはこのことか……」


 あたしは、言葉がすべてひらがなになるほど疲弊していた。

 まさか、こうなるとは。


 今はテーブルにあたしと澪ちゃんの二人だけ。

 お兄ちゃんは父さんに電話するとか言って部屋にいってしまった。


 あの後、夜ご飯を食べながら色々お兄ちゃんに聞いてみたけど、どうやら兄はあたしのことを全く女として見ていないことが分かった。


「澪ちゃん、あたし勝ち目ない?」


 ずっとお兄ちゃんに片想いしてる澪ちゃんに、急速に親近感が湧いてくるのを感じる。


「やっぱり一緒にいる時間が長くて、家族愛が強いんじゃないかな?」


 理屈としては分かるんだけど、分からない。

 だってあたしはお兄ちゃんに家族愛も男の人として好きって気持ちも両方持ってるもん。


「でも結婚したらずっと一緒にいるんじゃないの?」


「たしかに。でも、恋愛ってやっぱりドキドキとか、そういう新鮮さが必要? らしいから、意識を変えるために一回距離を取らないとダメなのかも。順序があるというか。ていうか上手くいってない私に聞かないで有希ちゃん……」


 澪ちゃんがうなだれてる。


 するとお兄ちゃんが帰ってきた。


「父さん喜んでたぞ。あと有希に電話出てくれって叫んでた」


 たしかに診察後メールだけしてからずっとパパから着信が入ってる。

 でもあとでいい。


「そんなことより本当にお兄ちゃんはあたしに魅力感じないの?」


 諦めないあたしは話を蒸し返す。


「女性としてなら、感じない」


 男としての機能が停止してるの?


「うーーーー。じゃあ澪ちゃんは女性として魅力感じる?」


「まぁ、感じる」


 うぎーーー!! 停止してるわけではないのか。

 余計に悲しい。


「え、えへへ」


 澪ちゃんが照れてる。

 もう分かりやすく照れ照れしている。


「でも火法輪は俺のこと全然好きじゃないらしいからな。もうこの話は終わり」


 お兄ちゃんが笑いながらそう言った。


 あら?

 あたしが帰ってくる前に色々あったのかな。


「い、いや。たしかにそう言ったけど……」


 背景にずーんって文字が見えるくらい肩を落とす澪ちゃん。

 照れたり落ち込んだり忙しい人だ。

 この人も悩んでる。少し悲しみが癒された気がした。



 

 ーーーーーー☆彡




 パジャマに着替えたあたしは、ベッドに座ってパパに電話していた。


 お風呂に入ってる間に考えた作戦を行動に移すために。


 中学を卒業して、来年から、あたしはアメリカだ。


 澪ちゃんの言ってたことは正しい。

 今は距離が近すぎる。


 だから、数年間物理的にお兄ちゃんと離れる。

 寿命が延びたんだ。数年くらいどうってことはない。


 寂しくて悲しくて心が張り裂けそうだけど、あたしは目的のためなら何だってできる。


 まずはスキンシップも控えめにしていこうと思う。

 女性として意識してもらうために。

 お兄ちゃんを手に入れるために。


 誓う。


 雪見有希、お兄ちゃん接近禁止令を発令します。


 右手をびしっと上にあげた瞬間、ドアがノックされた。


「はーい、なーに?」


 扉を開けたお兄ちゃんが、少し恥ずかしそうに立っている。

 なんか珍しい表情。


「有希、俺、まだ夢みたいに思っててさ。一緒に寝ていいか」


 お、おおおお。

 お兄ちゃんと一緒に寝たことは数えきれないほどあるけど、お兄ちゃんから誘ってきたのはこれが初めてだ。

 歓喜に震えて答える。


「もっちろん!」


 誓いは破られた。


 でもいいよね? 人生は長いんだから!


 今日だけ。



 今日だけね。





















────────────


※有希の病は実在しません。モデルもありません。

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