37 計屋はかり「……初めてなんだからね」


 私は、通話が繋がっている京子に向かって思わず呟いた。


「お願い、誰か助けて……」


「どういうこと!? 何が起こってるの!?」


 気が遠くなりそうだったけど、京子の声だけが私の意識を引き留めてくれた。


 その後、京子にしどろもどろになりながらも状況を説明して、通話を切る。


 何とかするから早まらないでって言われたけど、居ても立っても居られない。

 顔が腫れあがった弟、まーちゃんの姿が目に焼き付いて離れない。


 しばらく悩んだ末、もう私が行くしかないと思った。



 私は、RINEを送ってきた相手、龍崎という男から送られてきた場所に向かうことにした。

 少しでもまーちゃんが助かる可能性があるなら。



 ーーーーーー☆彡



 スマホの地図を見ながらふらふらと歩き始め、気づいたらタクシーに乗っていた。


 ボウリング場に着いて降ろしてもらう時、タクシーの運転手にお嬢ちゃん一人でこんなところ危ないよって言われて、上手く返せなかった。

 本当に危ないから。


 それでも行くしかなかった。


 龍崎から、まーちゃんが痛めつけられる動画がいくつも追加で送られてきていた。


 何でここまでするんだろう。

 怒りと恐怖が混ざり合って何も考えられなくなっていた。

 ただ、まーちゃんが生きてることを確かめたかった。


 着きました、と龍崎にRINEを送ると、入ってこいと返ってきた。

 おぼつかない足取りで壊れた自動ドアをくぐる。


 店内は薄暗くて、大量の懐中電灯の光が飛び回っていた。


 中から、笑い声や、うめき声、奇声が聞こえる。


「弟はどこ」


 震える声で問いかけると、いっせいに光が向けられる。


「うおおおおお」

「計屋はかりきたあああ」

「龍崎さん、マジすげぇっす!!」


 一気に店内の熱気があがった気がした。

 急に上がってきた吐き気を押さえながら、言う。


「弟を返して」


 奥の柱にまーちゃんが縛られてるのが見えた。


「姉ちゃん……! 何で来るんだよ……」


 息も絶え絶えといった様子のまーちゃんを見て、もう止まれなかった。


「来るに決まってるでしょ!」


 叫び、何人もいる男たちの間を抜け、駆け寄った。


「こんなになっちゃって……」


 しゃがんで、まーちゃんの顔をなでようとしたが、襟を掴まれ強引に立たされる。


 腕が捻り上げられる。


「いたッ……! 離しなさいよ!! そもそも弟が何をやったって言うのよ!」


「あー……。まぁ簡単に言うと、お友達を助けるために俺たちの金を借金返済に使いやがったって感じかな」


 やっぱり、まーちゃんはいつも誰かのために喧嘩していた。


「よく分かんないけど、まーちゃんは悪くないってことでしょ」


「ははは! まぁ元は俺に金を渡すために作った借金だ。だから正しいか悪いかで言えば、正しいかもな。でもなぁ……」


 そこで言葉を切った龍崎と思われる男が、私の顔を一人の男に向ける。

 タンクトップを着た、明らかにデカい男がいた。

 舐めるような視線で私を見ている。


「この金剛って男が最強でさ。俺たちの格闘技ジムの看板なわけ。で、弟くんも結構強いみたいだけど、ボロ負けして、このザマ」


「ま、素人だったわ。それより龍崎よ、早くその女剥いちまおうぜ」


 金剛と呼ばれた男がとんでもないことを言い出した。


「ま、待って。お金ならあるわ。借金っていくらなの。私が立て替えるわ」


「……あのさぁ、お前。状況分かってんの?」


 金剛が笑いだす。

 そして、龍崎が言った。


「金はもちろん払ってもらうし、身体も差し出すんだよ」


 最悪。


「死ね、ゴミ男……」


 私の吐き出した言葉に反応した金剛が、さらに近づいてくる。


「はいはいそのゴミ男に犯されるんですよ……ってこれ、何だ? ケガしてんのか?」


 そういって、私の頬のガーゼを剝がそうとする。


「いやっ……やめて……」


「おおー、こりゃひでぇな。隠しとけ隠しとけ」


 めくったあと、適当にまた押さえつけられる。


 その瞬間、私は、もうどうでもよくなってきた。


 傷を見られたせいか、わずかに残っていた反骨心みたいなものが消えてしまった。

 満足するまでこいつらの相手して、お金払って、まーちゃんを返してもらおう。


 私一人でどうにかなるなら、それで良かった。


「龍崎さんそろそろ見せてくださいよ~」


 軽薄そうな男の声がする。

 気づいたら、周りにいた男たちが全体を囲むように近寄ってきていた。


「おー、お前らも限界か。そらいくぞッ」


 龍崎に後ろから薄手のTシャツがまくり上げられる。


「うおおおおおおお」

「乳でっか 腰ほっそ」

「この巨乳で清純派アイドルは無理でしょ」

「ブラ紫とかエッロ!!!!!!」


 私は、心を殺した。

 こいつらにやられる前に、自分で感情を閉ざすことに……しようと思った時だった。


 至近距離で、バイクのエンジン音が聞こえた。



 ーーーーーー☆彡



 そこから先は、朧げにしか分からない。


 バイクが突っ込んできて、気づいたら私の後ろにいた龍崎が変な声を出して吹っ飛んだ……と思う。


 直後、肩を抱かれて寝かされた。


「しばらく伏せてて」


 その声が、その優しい声が雪見くんだと気づいた瞬間、心が生き返った気がした。


「雪見くん……」


 それしか言えなかった。

 心では、金剛って人に気をつけてって言いたかったけど、声にならなかった。


 というか、流れるようにブロック?を顔面に投げつけて、金剛は秒で沈んでいた。


 私はかつて、電車のホームで線路に落ちそうになった女児を助けたときの雪見くんを思い出していた。


 スムーズに四人? 倒した雪見くんは言った。


「三人殺した。残りも全員殺してやる」


 決して大きくないけど、底冷えするような、明確な殺意を持った声だった。


 周りの男達は一目散に逃げ出して、いなくなった。


 危機が去ったと分かった瞬間、安心して、涙が止まらなかった。


 まーちゃんも無事だと言ってくれて、私は気づいたら雪見くんに抱えられていた。


 助かったんだ。

 雪見くんが、助けにきてくれたんだ。



 ーーーーーー☆彡



 店を出ると、煌々と輝く街灯に照らされる。


 お姫様抱っこされてることに気づいて、急に恥ずかしくなった。


 それに、明るいところで顔を見られたくない。


「ありがとう。降ろして……か、顔は見ないで」


 そう言ったのに、私を降ろして、雪見くんは私をまっすぐ見つめてきた。


 私は、ガーゼが剥がれかけて、傷が丸見えになってることは分かってたけど、手で隠したりしなかった。

 できなかった。


 久々に見た雪見くんの顔が、真剣過ぎて、目を奪われていたから。


 初めて雪見くんの瞳に、感情が見えたような気がした。


 雪見くんが私の顔に手を添える。


 キスされるんだ、そう思った。


 嬉しい。

 嬉しい。


 それを受け入れるように目を閉じる。


 だけど雪見くんはそっと、頬、たぶん傷口に口づけた。


 やだ。

 嬉しいけど、やだ。


 ちゃんとしたい。


 傷口を受け入れてくれた安心感は、私をさらに深い欲求へ導く。


 目を閉じて、少し顔を上げる。



「雪見くん、ちゃんとしてください」


「……ああ」



 そう言って、今度は唇にそっと口づけを落としてくれた。


 んやぁ、だめ……。


 ぴりぴりとした快感が脳に走って、腰が抜けてしまった。

 キスって……こんなにも凄いんだ。

 恥ずかしい。恥ずかしい。


 動けなくなった私は、再び抱えられて、歩く。


 バイクで突っ込んで大立ち回りして、

 私にき……キスをして、それでも涼しい顔をしてる雪見くんを見つめる。


「……初めてなんだからね」


「あ、ああ。それで、計屋……」


 もうキスまでしたのに苗字呼びなんて嫌。


「はかりって呼んでください」


 わがままかな。

 でも、今この状況なら、どんなわがままでも言ってしまいそうだった。


 甘えて甘えて、何でも言ってしまいそうな自分が怖いと思っていたら、

 雪見くんがとんでもないことを言ってきた。




「はかり、これからずっと守るから。ずっとそばにいて欲しい」


「……はい」




 ………え?


 これって、プロポーズ……? え……?


 私のわがままを超える爆弾に、思考がフリーズしてしまった。




 ーーーーーー☆彡




 雪見くんの言葉の真意を聞けないまま、京子と佐崎さんが乗ってる車に着いた。


 抱っこされてる私を見て京子は、安心したような、切ないような目を向けてきた。


 ……ごめんなさい京子。


 雪見くんは私を車内に入れて、出て行ってしまった。

 有希ちゃんの友達の千佳ちゃん? のお父さんと後処理があるらしい。

 まーちゃん達も預かってくれるそうだ。

 行ってしまう前に佐崎さんと二、三言話し合っていた。


 本当に何でもできるんだなと思った。


「お礼は後日するとして、今日は帰ります」


 佐崎さんが車を発進させる。


 私は、二人に感謝を述べたあと、後部座席で考え込んでいた。



『ずっとそばにいて欲しい』



 雪見くんのそばにいるために。

 私にできることは何か。



 雪見くんは、すごい人間だ。

 ただものじゃないと思ってたけど、ここまで凄いとは思わなかった。


 そして、私の傷を受け入れてくれた、と思う。


 彼に釣り合う人間になるために。

 私にできることは何か。


 私が誇れること、それはアイドルとしての自分しかない。



「京子、私ってアイドルの才能あると思う?」


「あるよ」


「顔に傷があっても?」


「うん」


「……そっか。ありがとう」



 雪見くんがキスしてくれた傷を、指でなぞる。


 この顔で人前に立つ恐怖が、薄まっていくような気がした。


「はかり……」


 たぶん努力して黙っていた佐崎さんがついに声をかけてきた。


 ………私にできることは何か。


 応えるように、力強く言う。



「私、アイドル復帰するわ」



 口に出して気づく。

 

 私は、驚くほどやる気に満ちていた。









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