35 計屋はかり「お願い、誰か助けて……」


 私は今、退院して実家に帰ってきている。


 ここは普段の生活圏に比べたら少し田舎で、でも私はこの地元が好きだった。

 今は友達にも会いたくないけど、楽しかった頃の思い出が、空気がここにはあった。


 中学時代、この町で撮ったSNSの投稿で人気になって、気づいたらアイドルになって……高校二年の今まで駆け抜けてきた。


 私は馬鹿で怠惰で将来の夢も何もないから、軽い気持ちでアイドルになった。

 ちょっとお金稼げればいいかなーくらい。

 本当にそれくらいの気持ち。


 アイドルになってからは。

 レッスンレッスン仕事レッスンレッスン仕事仕事の日々で本当に忙しかった。

 ただ目の前に与えられたものをこなしていく内に、気づいたら恋々坂の一位になっていた。

 空回りすることもあったけど、私の顔ってここまで評価されるんだって毎日思ってた。


 今思うと、世界美女ランキングみたいな、誰が決めてるか分からないやつで日本はおろかアジア一位になったあたりから、私は自分の顔が自分のものじゃないみたいに感じてたと思う。


 でも、傷がついて初めて分かった。

 私は、自分の顔が好きだった。自慢だった。依存してた。


 はいはいみんな私の中身じゃなくて見た目が好きなんでしょ……なんて言ってたけど。


 私だ。


 私が一番そう思ってたんだ。



 ーーーーーー☆彡



「姉ちゃん、飯食おうぜ」


 リビングから声が聞こえた。

 まーちゃん────計屋はかりや真狩まかり、私の一つ下の弟だ。


 この弟は私と同じくらいどうしようもない馬鹿で、地元で有名な不良だ。


 なんか喧嘩が強いらしい。

 二年前、まだ私が地元にいた頃からよく名前を聞いた。


 私は身内の欲目もあって、この子は不良だけど人のお金を取ったり、薬をやったり、そういうことはしてないと信じてる。


「まーちゃん、何食べたい?」


「んー、ラーメン!」


「分かった。ちょっと待ってて」


 袋麺しかないけど、いいよね。

 適当にキャベツを切って、もやしと一緒に炒める。


 お湯を沸かして袋麺をIN。3分セット。


 野菜の味を塩コショウで整えて、バター投入。

 茹で上がった麺の上に炒めた野菜を乗せて、さらに追加バターON。


 バター多すぎ? バターさえあれば美味しくなるのよ。


 ふふふん。いい香り。


 久々にちょっと楽しくなってきた。


「姉ちゃん、いつの間に包丁使えるようになったの。俺てっきりUver頼むんだと思ってたよ」


 いつの間にかキッチンに入ってきたまーちゃんが言ってくる。


「最近ちょっと料理始めようと思って練習してるの」


「へー、彼氏でもできたの」


「…………聞かないで」


「お、おう」


 自分が思ってる以上に硬い声になってしまった。 


 気を取り直してテーブルに料理を持って行く。

 そそくさと座ったまーちゃんの前に出す。


「じゃーん。バターキャベツ炒め塩らーめんで~す」


「うおー! うまそう! うま!」


「ふふ。おおげさ」


 勢いよく食べていく弟を見ながら思う。

 大きくなったなぁ。

 もう高校一年か。

 顔怖いし金髪だしピアス入ってるけど私からしたら可愛い弟だ。


「ていうか今日は学校ないの?」


「ちょっと野暮用があんの」


 この子は昔からサボったりすることを隠しもしない。

 まぁうちは親も放任主義だから自由なんだけどね。


「喧嘩じゃないでしょうね」


「なるかもしれない。相手次第だね」


「まーたあんたは。ほどほどにしなさいよ」


「…………」


 ラーメンを食べる手を止めて、ふいにまーちゃんが真剣な顔で私を見てきた。


「何?」


「姉ちゃんが来てくれたら相手ビビるかも」


 そう言って、指で自分の頬を横~、縦~となぞる。

 私の傷をからかってるのだ。

 まだガーゼで覆ってるけど、帰ってきてから一度中を見せてあげていた。


「あ、あんたって……デリカシーなさすぎる……」


 がくっと首が落ちそうになりながら脱力する。


 まぁでも、腫れ物のように扱われるよりいいかも。


 家族だからかな。


 家族か……。


 彼と結婚して家族になりたいとか思ったことが、遠い昔のように感じられた。


 ブブ


 狙ったようなタイミングで、RINEの通知が入る。


 雪見大福【おはよう。今日は、有希が食べたいと言うから朝からフレンチトーストを作った。前日から牛乳とかに浸して仕込んでたやつ。なのに、有希は何度起こしても起きなかった。あげくの果てに「お兄ちゃんが食べたかったんでしょ」とか言いながら布団にくるまっておもちみたいになってしまった。どう思う? 俺は悲しかった。でも一人で食べてもフレンチトーストは美味しかった。またつくるから計屋も食べてほしい。じゃあまた】



「ふふ……。かわいい。有希ちゃんも雪見くんも」


 あれから私は一切返信しないのに、こうやって日記みたいなメッセージを送ってくれる。


 可愛くて、素敵で、本当に。

 どうしようもなく雪見くんのことがまだ好きだった。


 自然と涙が流れてくる。


「姉ちゃん? 大丈夫?」


「大丈夫大丈夫。お姉ちゃんちょっと情緒不安定なの」


 笑ってごまかす。


 フッたくせにまだ雪見くんをブロックする勇気は私にはなかった。

 でもいずれ、彼もこの状況に嫌気がさして、去っていくだろう。


 雪見くんは、魔性の男だと思う。

 一見すると普通なのに、よく見るとカッコ良い。


 誰にも見えないところで人助けをしたりするし、

 自分を心配してくれる声は、反則的なまでに優しい。


 この人の良さは、私だけが分かるって気分になる。


 でも実際は、周りに気づいてる人がいる。


 一度しか会ったことないけど、とても綺麗だった火法輪さんもそうだろうし、

 私の大事な友達、赤森京子もそうだ。

 そうだと知ってしまった。


 だからまぁ、私がいなくなってもきっと誰かが彼を射止めるだろう。


 幸せになってほしい。


 心からそう願った。



「じゃあそろそろ行くわ」


 まーちゃんが出かけるみたい。玄関まで見送りにいく。


「気をつけなさいよ」


 私の言葉を受け、振り向くまーちゃんが言う。



「んー、夜まで帰ってこなかったら死んだと思って。最後に姉ちゃんの顔見といて良かったわ~」



「え……?」


 ガチャッと扉を閉めて出ていくまーちゃん。

 まぁ冗談だと思うけど、何か、違和感があった。


 家族だから分かる。

 最後に見せた表情がおどけた口調と裏腹に少しだけ切迫していた気がした。



 ーーーーーー☆彡



 夜、スマホに入る佐崎さんからの業務連絡を流し見していた。


 入院中、もう嫌になるほどの検査をしたけど、本当に顔の表面にできた傷以外は何も問題が無かった。

 だからだろうか。

 事務所にはもう引退しますと伝えたけど、あの手この手で踏みとどまって欲しいと頼み込まれ、現在の私は無期限休止中の身だ。


 京子が言うには契約の問題もあるんじゃないかということだった。


 確かに私は何本もCM契約していたのでそれはあると思う。


 不祥事によるものではなく、私は完全に被害者なので賠償責任はないみたいだけど。


 ただ、ややこしいのが事件を起こしたのが出禁にしていたとはいえ、事務所の関係者だったこと。

 世間のバッシングは避けられない。

 まず、親である門田プロデューサーは当たり前のようにクビにされた。


 今後も私には手厚い待遇を用意してるらしい。 

 とにかく事務所的には私にアイドルとして残って欲しいみたいだ。


 もう私にその気はないけどね。


 業務連絡を読み終わったタイミングで、京子から通話がかかってきた。


 定期的に連絡してくれる。


 もう。みんな本当に優しい。


「もしもし、実家はどう〜?」


「やっぱり落ち着くわ。京子は元気?」


「はかりちゃんの代わりの分まで働きまくりだよ! あーはやく第一位の人帰ってこないかな~」


 おどけた口調がかわいい。京子は声優もいけるわね。


「フフ。ありがとう」


 それから、恋々坂の情報とか、京子が思うままに色んなことを話してくれた。


 明るい話題から愚痴まで幅広く、飽きることなく楽しんでしまった。


「もう22時だね、ごめん長話して」


「ううん、楽しかったわ。……あ、どうしよう。弟が帰ってこないわ」


 嫌な予感がする。


『夜までに帰ってこなかったら……』


 何て言っていた……?


 嫌な予感通り、スマホに通知が入る。


 「はかりちゃん? 大丈夫?」


 知らない名前から動画が送られてきた。


 暗い部屋、コンクリート、廃材。


 そこにいる大量の男達、その男達をぐるっと撮ったあと、柱にくくりつけられている二人の男を映した。

 両方、顔がボコボコで血にまみれてぐったりしている。


 見たくない映像なのに目を逸らせなかった。


 その片方が私の弟、まーちゃんだと一目見て分かったからだ。


「はかりちゃん……? もしもし?」



???【アイドルの計屋はかりちゃんへ。君は全然悪くないんだけど、オイタした弟くんのために俺たちのところに来てくれないかな。もちろん警察にチクったら弟くん殺すからね。待ってるよ】

 

 動画を送ってきた相手からメッセージが追加できた。


 手が震える。


 私は、通話が繋がっている京子に向かって思わず呟いた。



「お願い、誰か助けて……」









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