31 計屋はかり「私と、別れてください」


 私、計屋はかりは、これまでの人生で一番アイドルを頑張っていた。


 最近の私は、はっきり言ってパワーが違う。


 課題曲を歌えば喉の開きが違うし、振り付けも今までが嘘のように一回見ただけで覚えられた。

 元から良かった肌ツヤなんて朝起きる度に「このままCMに出れるかも!」と思うほどだ。

 佐崎さんに見せに行ったら「本当ね!」と同意してくれる。

 それも、毎日見せに行ってもよ。


 私は馬鹿で勉強が出来ないからよく知らないけど、人間って結局ホルモンに支配されてるらしい。


 というのも、こないだ恋愛マスターと呼ばれるゲイのメイクさんに「はかりちゃん何で最近はそんなにキラキラしてるの?」と聞かれて「今、好きな人がいて幸せなんです」って答えた。

 彼氏とは言ってない。そこはぼかした。

 そしたら「じゃあドーパミンが出てるのね。やる気が出てアグレッシブになるの。恋って最強よ〜」だって。


 そうなの。


 恋って最強。


 雪見くんと出会ってから数週間が経った。


 もう、これまでの自分が思い出せないくらい、私は活力に満ちていた。


 この前、初めて雪見くんとデートした時、色んな話をした。


 楽しすぎて、コソコソ隠れてデートするのが辛くて、思わずネガティブなことを言ってしまったこともある。


 私は本当は田舎で可愛い可愛いってちやほやされるくらいの人生で良かったのに、アイドルなんて、ってこぼした。


 その時に雪見くんは言った。


『それでも今はたくさんの人が計屋に期待してくれて、計屋のために働いてる人たちもいるんだろ?』


『それに、計屋が貰える声援って、普通の人間が貰える量じゃないだろ。それはお前の価値で、実力でもある』


『本気で人生何周分もちやほやされてみたらどうだ。楽しくなってくるかもしれないぞ』


『本当に嫌になったらやめたらいいしな』


 そう言われて、私は正直あんまり納得してなかった。

 ファンの声援よりも雪見くんにちやほやされたいと思ったから。


 でも、雪見くんの言葉はずっと私に残っていて、次の日から少しずつやり方を変えていった。


 私、雪見くんの言うこと聞きます。


 最初はやり方が分からなくて、京子に相談したりした。


 京子は驚いたような感動したような複雑な顔をしていたけど、簡単なアドバイスをしてくれた。

 私は言われた通り、いつもより少し明るく挨拶とかするようになった。


 それだけで、周りの評価が一変していくのがよく分かった。

 元々周りのスタッフは私に対して十分な仕事をしてくれていたと思うけど、こっちから名前を聞いて、コミュニケーションを取っていくことで、さらに熱を入れて働いてくれるのが、手に取るように分かった。


 雪見くんの言うことは正しい。


 実際に仕事が楽しくなってきていた。



 ーーーーーー☆彡



 今日は、そういう風に意識が変わってから初めてのお渡し会だ。


 私たちのCDを買ってくれた人に、特典を渡して少しだけお話する。

 詳しいことは分からないけど、たぶん一枚で五秒〜十秒だと思う。


 中には十枚も買って一分以上居すわる人もいるけど。


 これまでのお渡し会の私は、どちらかというと塩対応だと言われていた。


 特典を渡して、薄く微笑む。

 何か話しかけられても、軽く笑って返すだけ。

 単調に何百人も対応していると途中から意識が遠くなっていく。

 後半は笑顔も少なくなっていってたと思う。


 ただ、それでいいと思っていた。

 みんな私の美しくて可愛い顔を見に来てるんだろうし、と。


 でも今日、認識を改めようと思ってる。



「はかりちゃん! 可愛いね! 元気?」


「元気です。お名前は何ていうんですか?」


「……え!? お、オレ、石松って言います!!」


「忘れると思うけど、石松さんね。石松さん、来てくれてありがとう」


 ファンの目を見て、微笑む。


「死んでもいい………………」


 満足気に気を失いそうなファンが、時間が来たのでスタッフにはがされて連れていかれる。


 うーん、楽しくなってきたな。

 私と会話できてそんなに嬉しいのか。


 それから、いつもとは比べられないほど力を入れて対応していった。


 二時間ほど経って、いつもなら終わりが見えてくる列が、まったくその気配がないことに気づいた。


「佐崎さん、今日多くない?」


 さっきまでどこかに行っていたマネージャーに問いかける。


「はかり、これが貴方の力です。今日のはかりが魅力的過ぎてリピーターや新規ファンが続出してます。私は……感動してます」


 え、なんか佐崎さんが感動してる。ちょっと目が怖い。


「でも、もう無理かも……疲れちゃった……」


「何言ってるんですか。さっき会場で雪見さんを見ましたよ」


「うそ! 本当に来てくれたんだ……嬉しい……」


 本当に嬉しい。

 今日は雪見くんが前回来れなかったデートの代わりに見に来てくれると言っていた。


 RINEの返信が途絶えたから来るかどうかは半々だと思ってた。


 嬉しい。嬉しい。


 私、最近頑張ってるよ。


 見てて。




 ーーーーーー☆彡



 そこからさらに数時間、私はもう自分で何を喋ってるか分からないほど疲れていた。


 それでも精一杯相手の目を見て、興味を持って、期待に応える。

 疲れてるのに、まだまだいける気もする。


 ランナーズハイってこんな感じかな。


 周りを見渡して、会場ってこんなに熱気に包まれてたんだなーと思う。


 この人たち、次はライブに来てくれるのかな。


 なんだか今までの自分が、急に恥ずかしくなってきた。

 言われただけの指示をこなすだけだった自分が。

 全力でアイドルやってみよう、今はそう思える。


 これも、そう。


 君のおかげなんだよ、雪見くん。



 ブースの少し先にいる彼氏をついに見つけて思う。


 雪見くんもこっちをまっすぐ見てる。

 よく見ると、私のグッズTシャツを着てくれてる。


 私の彼氏、最高。


 今日一日頑張れたこと、雪見くんが見に来てくれたこと。

 色んな達成感が混ざり合って、自然と涙が出ていた。


 一心不乱に、神々しささえ感じる雪見くんを見つめる。



 周りのスタッフが心配そうに集まってくる。


 ごめんね、もう少しだけ、見ていたいの。




 そう思っていたら、目の前に大きな男性ファンがいた。

 息を切らしている。

 よし、雪見くんまで最後の一人だと思って顔を見る。



「え……?」



 あれ、この人たしかプロデューサーの息子の……?


 そこから、私の視界はスローモーションだった。


 目の前の男が、リュックからギラリと光る刃物を取り出した。

 それを振りかぶって私を切りつけようとした。

 私は目を閉じた。

 開いたときには、地面に横たわる男がいて、雪見くんが背中を押さえつけてた。


 スタッフから悲鳴や大声が上がる。

 門田アキラと名前を呼ぶものもいる。


 いくつもの声が聞こえ、誰かが爆弾だ、と叫んだ。

 怒号が響き、会場全体に広がった気がした。


 人、人が押し寄せるように密集し、どこかへ逃れようとした。

 みなが思い思いの道に逃げ出そうとする中、雪見くんだけはこう言った。


 爆弾なんてない、落ち着いてくれ。


 私はそれを聞いて安心したけど、周りはそうじゃなかった。

 洪水のように押し寄せる人の流れが、私の仮設ブースの壁を押し倒した。


 ゆっくりと倒れてくる壁を感じながら、私は雪見くんを見ていた。

 門田アキラを押さえこみながら、雪見くんは私の方へ手を伸ばす。


 あまりにも遠く、届くことはなかった。


 それでも、私は雪見くんを見つめ続けた。


 今思うと、これが雪見くんを見られる最後になるんじゃないかと直感していたのかなと思う。


 私は、倒れてくる壁に巻き込まれて、意識を失った。





 ーーーーーー☆彡




 目が覚めたとき、そこは白い部屋だった。

 ピ、ピ、ピと規則正しい電子音が聞こえる。

 病室か、と思った。


「はかり、良かった。本当に」


 佐崎さんが私の手を握る。


 おそるおそる身体を動かし始める。

 右手、左手、動く。

 足、も動く。


 それでも。


「命に別状はないから。脳のCTも問題なかった。本当に良かった」


「……佐崎さん」


 それでも、聞かなければならない。


「左目が開かないのはどうして?」


「……!!」


 佐崎さんが目に涙を溜めながら、無言で私を抱きしめる。


 あー、だめなのか。


 おそるおそる顔面の左側を触る。

 包帯でぐるぐる巻きだ。


「医師を呼んできます」


 佐崎さんが出て行った。


 一人になった私は、包帯を自分で外していく。


「はかりちゃん、だめだよ」


 一人じゃなかった。


「京子、お願い。自分の顔が大事なの。わかるでしょ?」


「はかりちゃん……」


 同じアイドルとして、京子は分かってくれた。

 それ以上止めようとしない。


 包帯を外し、触ってみる。


 顔面の左側を、目の上を通って、ちょうど半分に切るように、縦線が入っている。

 縫ったあとが、ぼこぼこしてる。

 ブースのガラスが刺さったのかな。


 はは。


 目の下にざっくりと横線も入ってる。

 全然痛くないのに、それが何だかおかしかった。


 あーあ。


 十字の大きな傷が入った自分の顔を想像する。


 鏡で見る勇気ないな。


「先生が、まだ分からないけど眼球は無事だと思うって」


 まだ目が開かないけど、残るなら良かった。


 無事な右目から涙が溢れてきた。


「京子、少し一人にしてくれる? あとスマホだけ取って欲しい」


「……ッ。うん……」


 京子、あなたがそんなに悲しまなくていいのよ。


 京子が出て行ったあと、考える。



 私はこの美しい顔で自分の価値を高めてきた。


 それも今日で終わり。



 とりあえず、伝えなきゃいけない人がいる。


 通話をかける。


「もしもし」


「もしもし、はかりです」


「……ああ」


 優しい声。私は彼の声が好きだった。


「体に異常はないんだけど、顔に大きな傷が残っちゃった」


「計屋。助けられなくて……」


 だめ、謝らないで。


「いいの、いいの。あいつに刃物で刺されるのは止めてくれたじゃない。命を救ってくれてありがとう」


 これは本当に思ってる。


「……」


 あー、だめだ。喋ってると決意が揺らぐ。


「雪見くん、一つお願いがあるの」


「何でも叶えてやる」



 あはは。かっこいい。本当に、大好き。

 じゃあ叶えてください。


 今まで私みたいな顔だけの女と付き合ってくれてありがとう。

 幸せでした。



「私と、別れてください」













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