30 雪見大福「バカヤロー」


 日曜日、朝から夕方までのバイトに入ったあと、俺は電車に乗って目的地へ向かっていた。


 車内はそれなりに人が多い。

 まだ春の涼しさが残る五月、梅雨に入るまでは快適に過ごせそうだなと思う。


 運良く座席に座れたので、目を閉じて、日差しの心地よさに身を任せる。


 平和だ。


 今日は、計屋に呼ばれてお渡し会というものに行くことになっている。


 彼女が所属している恋々坂のCDを買った人が、アイドルに直接特典を手渡してもらい、少しだけコミュニケーションを取れる、というものらしい。


 俺は今までアイドルを好きになったことがないのであまりピンとこなかった。


 ただ、つい先日に計屋とのデートの約束を一度すっぽかしてしまったので、その埋め合わせとして、このイベントに行くという約束をしていた。


 デートに行けなかった理由は長くなるので割愛するが、とにかく計屋は悲しかったようだ。

 昨日の夜中に来ていたRINEを見返す。


 計屋【明日、ぜったい来てください】

 計屋【人気の私を見てください】

 計屋【そして、そんな私とのデートをすっぽかしたことを】

 計屋【反省してください】


 その後も長々と続いていたが、【分かった、ごめんな】とだけ返した。


 そのあといくつかメッセージが来ていたが読んでいない。

 なんか謝ってることだけは分かった。


 正直こういうのは会って話せばいいだろうと思ってしまう。

 俺は別に計屋だけではなく、返信しないことが多い。

 そもそもそんなにマメじゃない。


 文字で気持ちを伝えるのも苦手だった。

 

 じゃあ言葉なら十分に伝えられてるのか? 

 そう聞かれて、はい、と答えることは出来ないけど。


 とにかく有希といつでも連絡取れるように持ってはいるけれど、普段RINEはあまり開かなかった。


 でもまぁ、良くないのは分かってる。

 よく有希に諭されているし。

 人のメッセージを無視するのはよくないよって。


 うん。今はちょうど暇だし他の人とのメッセージ欄も開いてみるか。



 鋭花【この前は感情的になってすみませんでした。また仲良くしたいです】


 北爪鋭花か。屋上で怒っていた後輩の顔を思い出す。

 ……後回しでいいか。怖いし。未返信。


 


 火法輪【雪見、MBTI診断やったことある? 何だった?】


 ……訳がわからん。未返信。




 京子【どうして雪見くんは僕にいじわるするの?】


 ……うーん自分でもわからん。いじわる続行。未返信。




 双葉【駅前に新しくできたスイーツ店情報。URLはこちら】


 おお!!即タップする。

 へー美味しそう。こだわりの生クリーム? ぜひ飲みたい。

 あ、り、が、と、う、返信する。

 今度また誰か誘っていこう。有希はそこまで甘いもの好きじゃないからな。


 そんなことをしていたら、目的地に着いていた。

 双葉にしか返信できなかったが、仕方ない。


 よし、計屋の頑張ってるところでも見に行きますか。



 ーーーーーー☆彡




 会場はすでに熱気に包まれていた。


 大規模な仮設会場は、いくつものブースに分かれていて、それぞれに行列ができている。

 お渡し会だけでなく、他のイベントも行われているようだ。


 この会場自体が恋々坂の総合的なコンテンツとして巨大な需要を生み出しているのだろう。


 俺は、数千どころか何万人に上るのではないかといった人数に圧倒されていた。


「それで、計屋はどこにいるんだ」


 歩きながら、探す。


 人を避けながら会場を数分進んだところで、奥に会場の中でもひときわ長い行列を見つけた。

 行列、というより人の壁だなあれは。


 まさか、あれだったら嫌だな……と思いながら行列の先に目を向けると、いた。

 大きく彼女の名前が看板に書かれている。


 隣のレーンには赤森京子がいる。


 京子も計屋ほどじゃないがすごい人数が並んでいる。

 ていうかこの人数全員と話したりするのか?


 アイドルって本当にすごいな……。

 これがファンサービスというものなのか。

 計屋、お前の目標は達成されたよ。尊敬し始めてる俺はそう思った。


 ……よし、帰ろう。


 そもそも。俺CD買ってないしな。


 計屋にRINEだけ入れておく。


【すごい人気だな。がんばっててすごいよ。ちょっと会えそうにないから帰るわ】


 これでいいだろう。

 筋は通した。


 送ってすぐ、通話がかかってきた。

 誰だろう。


「いきなりすいません。佐崎です」


「……ああ、マネージャーの」


「い、今どこにおられますか」


 なんかえらい切羽詰まった感じだな。


「えーと、今、計屋のお渡し会に来てたんですけど」


「知ってます! 何が見えるか教えてください!」


 何で知ってるんだ。

 えーと、何が見えるって……。


「あ、貝柱愛梨っていう人のレーンが一番近いですね」


 全然人が並んでないから自然とこの場所に来ていた。


「そこを動かないでくださいッ 絶対ですからね!」


「……」


 仕方ないけど待つか。




 ーーーーーー☆彡




 数十秒で息を切らした佐崎さんが走ってきて、合流した。

 今は二人で歩いている。


「出過ぎた真似をしてすいません。今日のお渡し会中は私がはかりのスマホを預かっていました。そこで雪見さんのメッセージ通知を見てしまって、本当にすいません」


「いや、別に良いんですけど。それで?」


「今日のはかりは、史上最高のアイドルをやっています」


「……はぁ?」


 なんか圧がすごい。

 この後、いかに今日の計屋が努力してるかを語られたが、あまりピンとこなかった。


 この人、計屋のことになるとおかしくなるよな。

 ぱっと見は仕事のできるスーツ女子なのに。


「とにかく、貴方に見られてると思ってやる気になってるんです。いつもの何倍も笑顔を見せています。それがSNSで評判になって、普段よりさらに並ぶ人数が増えていってます。リピーターも続出中です」


「……そうなんですね」


 リピーターってなんだ。何回も並べるシステムなのか。


「雪見さんも並んでくれますよね。ここまで頑張ったはかりにご褒美なしなんて酷すぎることしないですよね」


「いや……」


 頑張ってるのはすごいと思うけど、一時間以上並ぶんじゃないのかあれ。

 でも、ここで会わなかったら酷すぎるのか……。


「くれますよね?」


「……はい」


 なんかハイになってる佐崎さんに、そもそもCDを買ってないと言ったら無言で何枚か券?を渡された。

 そして何で京子カラーの赤が入ってる服を着てるんですかと言われて、上からグッズの黒いTシャツを着させられた。



 そして今、長い長い行列の最後尾にいる。


 ……まぁこういうのも経験だと思おう。

 帰って有希に話すネタが出来たと考えよう。



 ーーーーーー☆彡



 並び始めてからしばらくして、人によってアイドルと話す時間が違うということに気付いた。

 ファン側が自分から切り上げるわけではなくて、スタッフが強制的に終了させているのだ。


 どういう仕組みか分からなかったのと、いい加減並ぶのに飽きてきたのもあって、興味本位でひとつ前に並んでる人に声をかけてみた。


「すいません。これって一人何秒とか決まってるんですか」


 大きなリュックをお腹側に抱えている大柄な男性が振り向く。

 そして問いかけてから、なんか挙動不審だなと気づいた。

 目がギョロギョロせわしなく動き、呼吸が荒い。

 大きめのマスクで顔を覆っているのも、さらに怪しさを積み上げた。


「は、はい? 何秒? あ、ああ。一枚十秒とか、だろ。常識、常識だろ」


「そうなんですね。ありがとうございます」


 ……なんか怖いな。

 男性が前に向き直ってから考える。

 しきりにリュックの中を守るような素振りだったし。

 まさかな。


 その時急に、アイドルが一般人と直接立ち会うことの怖さに気づいた。


 ブース内を観察する。

 警備員はいるが数が少ない。

 スタッフはアイドル一人あたり五人ほどついているが、はたして急な出来事に対応できるかどうか。

 横並びにアイドルが並ぶ図は、避難経路もろくに考えられてないのが分かる。

 父がそういう関連の仕事をしているからか、やけに気になってしまった。


 まぁ、考えだしたらキリがないか。

 運営もプロだろうし信じるしかない。


 列が四分の三ほど進み、計屋や京子の表情が見える距離になってきた。


 ざわざわと、並んでるファンたちから称賛の声が上がり始める。


 たしかに、計屋も京子も輝いていた。

 きらびやかな制服風の衣装で、よく似合っていた。


 対面が終わって横にはけていくファンは、みな一様に興奮した顔を見せている。


 ファンたちは、彼女たちに関われるこの一瞬を全力で生きてるんだろうな。

 それに全力で応えるアイドルたち。


 それはなんだがとても尊いもののように思えた。



 だが俺は、ファンの熱量には、正の感情があれば負の感情もあるということが分かってなかった。



 あと二人で俺の番というところになって、計屋が俺に気づいた。



「~~~!!!」


 なんだか声にならない声を上げて、感激しているように見える。

 そしてしばらく俺のことを見つめたあと、


 ツーっと真顔で涙を流し始めた。


 スタッフがどうしたどうしたと計屋の様子を窺っている。


 だからだろうか。

 俺の前の怪しい男が走り出したことに全員の反応が遅れた。



 ────俺を除いて。




 男がリュックの中からノコギリのようなものを取り出して、計屋に向かって構える。


「バカヤロー」


 それを振りかぶる瞬間に、俺は男の背中にドロップキックを食らわしていた。

















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