26 火法輪澪「私も、頑張ってるんだよ」


 私、火法輪澪は、意識を宙に飛ばしていた。


 ついこの前、好きな人に彼女ができた。

 油断はしていた。それは認める。


 私の好きな人は変わってるし、特別かっこいいわけでもない。

 だからしばらくは大丈夫だと思っていた。


 自分を助けてくれたという驕りもあったかもしれない。


 それと、自覚が足りなかった。

 好きだという自覚が。

 でも奪われて初めてはっきりと好きなんだって分かったし、決意もできた。


 ……決意できたんだけど、正直何もできてない。


 負けずに自分も戦うと決めたあの日の私はどこにいったんだろう。



 今は平日の四限目の授業中。

 板書をノートに書くフリをして、文字列を書き込む。


 ゆきみ、ユキミ、雪見……み、お。


 ゆきみ……み、お。


 …………。


 ……私、これでも結構人気のグラビアアイドルなんです。

 カメラの前でめちゃくちゃえっちな水着とかバンバン着てます。


 そんなやつが、ただの妄想文字列で、心が満たされていくのを感じる。


 …………雪見、澪。


 結構バランス良くないでしょうか。


 痛すぎ?


 うるさい。

 これ、恋する女子高生はみんなやってます。


 好きな人の苗字に自分の名前を当てはめて、見る。

 見てどうするかって?


 見るだけ。


 見て……照れてる。

 うるさい。笑うな。


 誰とも分からない第三者へ向けて悪態をつく。



「火法輪さん、ちょっと良い?」


「へぇい!? な、何っ!!??」


「ちょ、動揺しすぎでしょ」


 後ろから男子に声をかけられた。

 私の意識が急速に現実に戻ってくる。


「え、ああ。ごめん。ぼーっとしてた。あはは」


 さりげなくノートを隠しながら答える。


 彼の名前は相原あいはらくん。

 同じクラスで、野球部。二年生でもうレギュラーらしい。

 うちの野球部はけっこう強豪らしく、そこですでに自分のポジションがあるということは凄いことらしい。


「この前の話、考えてくれた?」


 そして、私のことが好きらしい。

 以前からお誘いの言葉は何度かかけられている。


「いやーちょっとね……最近忙しくって」


 この手の誘いを断るのは上手くなった方だけど、相原くんには歯切れが悪くなる。


「そっか。また誘うわ」


 というのも、双葉を脅迫した高木みたいな男と違って、こっちは紳士だと言えるからだ。

 私に断られたらすっと引いてくれるし、まっすぐ誘われるのは別に悪い気はしない。

 相原くんが私に声をかけてきて気づいたが、すでに昼休みに入っていた。


 ……私がそれに気づかないほど馬鹿になってしまう原因に会いに行くか。



 ーーーーーー☆彡



「今日は双葉は来ないの?」


「ああ、休みだ。残念」


「……」


 雪見は双葉にお弁当で餌付けされてるようで、双葉が休んでることを残念がっている。

 私だって双葉とは仲良くなってきたから休みなのは寂しいけど、やっぱり少しモヤモヤする。


 そう、お弁当作戦は私もしようと思ってたけど、双葉の料理を食べてしまった今、とてもじゃないけど無理だった。

 なぜなら……。


「双葉の弁当食べたあとだと、パンが味気ないんだよな」


 そう。わかる。めちゃくちゃ美味しいのだ。

 ずっと家事をしてきたらしい双葉の料理は一流だった。


「……本人に言ってあげれば」


 硬くなる声。

 私の馬鹿。やっぱり嘘、言わないで。


「ん? ああ」


 私の不機嫌さが伝わったのか雪見は少し私を見たあと、黙って食事の続きをする。

 雪見から見たら、意味わかんないよね。

 友達に嫉妬して、馬鹿みたい。

 雪見はこういうとき絶対に踏み込んでこない。


 双葉と協定を結んでるわけではないけど、自然と三人でいるときは雪見にアタックするのは難しかった。


 だから今はチャンス。

 勝手に不機嫌になってる場合じゃない。


「私……さ」


 雪見がこっちに顔を向ける。

 雪見は、目が綺麗だと思う。吸い込まれそうになる。


 見切り発車で走り出した私は、考える。

 興味引ける話題、興味引ける話題。


 私を女として意識してもらう話題。


「……どうした?」


 雪見の優しい声が私をかき乱す。

 意識してないだろうけど、雪見は声が優しすぎる。


 だから、言い訳じゃないけど、私は話題を間違えた。


「相原くんっていう野球部の子にデートに誘われた」


「へぇ」


 私の馬鹿。そりゃ雪見は「へぇ」に決まってるでしょーよ!

 今まで何を見てきたの私は。

 止めてくれるとでも思ったのか。

 自分の浅はかさに目が回りそうになる。


 しかも黙り込む私を見て、何を勘違いしたのか、追撃が来た。


「こないだ行った観覧車、綺麗だったぞ。おすすめ」


「え……まさか、計屋さんと……?」


 肯定する雪見の顔を見ながら、私は気が遠くなった。

 どこかで勘違いしていたかもしれない。


 そりゃ雪見と付き合えた計屋はかりは立場を生かしてデートくらいするよね。

 彼女なんだから。


 それから私は味がしないご飯を食べて、教室に戻った。


 雪見とはそれっきり話せなかった。

 記憶が曖昧だけど、ちょっと無視しちゃったかもしれない。

 でも、どうしても喋る元気がなかった。

 私ってこんなに打たれ弱かったっけ。

 



 ーーーーーー☆彡



 放課後、今日はバイトなので友達と喋ったりして少し時間を潰してから、下校する。

 グラウンド近くに差し掛かった時、声をかけられた。


「火法輪! なんか元気なさそうだな!」


 相原くんだ。

 野球のユニフォームを着ていて、屈託ない笑顔でこちらを見ている。

 なんか大型犬みたいだな。


 そしてふと、こういう人を受け入れた方が幸せになれるんだろうな、と思った。


 そもそも私に対してアプローチするのって、結構修羅の道だと思うんだよね。

 私は私なりに自分のポジションが分かってる。


 たま~に女子でも私のグラビアが綺麗って言ってくれる人もいるけど、基本的に私は男子の性の対象で、どちらかと言うと女子の敵だ。


 相原くんは、みんながいる教室でもそうだし、今も可愛らしい女子マネージャーたちが見ている中で、私に堂々と好意を向けている。


 それって自分の高校生活での恋の可能性を私に捧げてると言ってもいいのでは。

 軽々しくあしらっていいものではないように思えた。


「ちょっと自分が嫌になっちゃってね……」


 だから、少し弱みを見せてしまった。


「そっか。気晴らしになるか分からないけど……今度試合見に来てくれよ。絶対勝つからさ!」


 うわーさわやか。きらきら眩しい。

 デートを断り続けてるのに、試合のお誘いがきた。

 眩しすぎて、思わず言ってしまった。


「……いつ?」


「……え!? あ、えーと次の日曜! まじか! またRINEするわ!」


 誘ったくせにびっくりして喜んでる相原が微笑ましかった。


「うん、じゃあね」


 笑顔でさよならする。


「……お、おお。じゃあな!」




 ーーーーーー☆彡




 バイト先に着いて、スタッフルームに入る。


 今日のシフト表を見ながら、お茶を飲んでいると、長机に座る女子大生の坂上さんから声をかけられた。


「澪ちゃん澪ちゃん、これすごいね。ちょー綺麗」


 顔の前で週刊誌をぱって広げて見せてくる。


 あら。私が載ってるやつじゃん。つい最近撮ったやつ。

 発売早いねぇ。


「えー本人の前で見せますか~?」


 笑いながら答える。お姉ちゃんみたいに慕ってるので、坂上さんにはこういうことされてもなんにも嫌な気がしない。


「こんなすごい身体してたら雪見くんもほっとかないよねぇ」


 ズキ。ほっとかれてます。

 私が雪見のことを好きなのは少し前にバレていた。


「はは……。ていうか買ってくれたんですか?」


「ううん、置いてあったよー。そろそろ行くか~」


 坂上さんが肩を回しながらホールに出て行ったあと、入れ違いですでに制服に着替えた雪見が入ってきた。

 昼休み以来で少し気まずい。


「おつかれ火法輪」


「おつかれさま。忙しそう?」


「んー、まぁまぁかな」


「そか」


 良かった。普通に話せることにホッとする。

 昼休みは自分のせいで空気が死んだから、取り戻すように明るい声を出す。

 自棄になってたかもしれない。


「じゃーん! 見て! これ、私が載ってます。セクシーでしょ!」


「……」


 雪見は少し目を見開いたあと、俯いて頭をかく。


 うわ、目逸らすんだ。


 私、毎日努力してこの身体を維持してるんだよ。

 別に、雪見のためだけじゃないけどさ。

 ちょっとは良いなって思ってくれるかな~見てくれるかな~って考えながら頑張ってるんだよ。


「この青い水着とか最高でしょ」


「……」


 から元気で喋る。


 私って太りやすいからさ、ちょっと食べたらすぐウエストに出るの。

 だから、どうしてもお腹が空いたときは、雪見のこと考えて我慢してる。

 つらくても、最近は雪見の顔が浮かんだら我慢できるんだ。


「このポーズとかめちゃくちゃ身体が痛くてさ、はは」


「……」


 あー、意味のない努力なのは分かってる。

 でも、ちょっとくらい見てくれてもいいじゃん。


「私も、頑張ってるんだよ」


 何言ってるんだろう。勝手にやってるだけなのに。

 なんか、泣けてきた。


 もう雪見の顔も見れなかった。

 だから、雪見が顔を上げてこっちを見てるのに気づかなった。


「……知ってるよ。それ、俺の買ったやつ」


「……へ? えぇ!? 嘘!?」


 ぜったい嘘。声を上げて雪見を見る。


「嘘じゃねぇよ。くそ、先輩に読んだらロッカー入れといてって言ったのに」


「あ、そうか。漫画読みたいからだよね」


 なんか馬鹿を見る目で雪見が見てきた。


「……お前が載ってるからに決まってるだろ」


「そ、そうなんだ。あ、ありがとう……?」


 雪見はどこか恥ずかしそうなそぶりでキッチンに入っていった。



 一人取り残される私。


 雪見の言葉を反芻する。


 雪見が、私、買った。


 私が、載ってるから、買った!


 きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!


 その場で、しゃがみこんで、必死に口を押さえる。

 叫び出したかった。


 嬉しすぎて。


 全身の細胞が喜んでるのが分かる。

 人の細胞って何十兆個もあるらしい。生物の授業で習った。


 それを今、実感してる。

 たしかに身体が何十兆の喜びに溢れてる。


 何言ってるんだろう。とにかく、嬉しすぎてしばらく立てなかった。


 ひとしきり喜びを嚙みしめた後、着替えをして、ホールに立つ。


 仕事をしながら考える。


 認める。

 私はもう、雪見にヤられてるんだ、心を。

 こんな喜びを与えてくれる人は他にいない。断言できる。


 とりあえず、申し訳ないけど相原くんには断りを入れよう。

 ちゃんとはっきり伝えないと。

 罪悪感はあるけど、もう止まれない。



 めらめらと熱くなる自分の心が分かる。

 

 “まだ”私は火法輪澪でいい。

 この燃える力を与えてくれる気がするから。


 でもいつか、ぜったいに雪見の苗字を奪ってやる。

 



 雑誌買ってくれただけなのに、私って単純かな?










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