11 雪見大福「怖かったな。よく頑張った」


「大丈夫、兄が来ます」


 震える京子ちゃんに向けて、あたしは言い切った。


 お兄ちゃんはこういう時に絶対に間に合うし、お兄ちゃんが来てくれたらそれだけで全てが大丈夫だった。


 あたしの名前は雪見有希。

 お兄ちゃんのことが大好きな妹。

 ブラコン? そうかもね。

 っていうか世間ではブラザーコンプレックスって言葉にマイナスイメージがあるのが理解できない。


 自分の血の繋がった兄だよ?

 好きに決まってるじゃない。


 突然だけどあたしは、お兄ちゃんの寿命を伸ばすために活動している。


 別にお兄ちゃんが余命幾ばくかの病に侵されてるとかそういう意味じゃない。

 むしろあたしより健全な肉体を持ってる。


 でも、精神が疲れてしまってるんだ。


 お兄ちゃんは私達のママが星になったあの日から、いつも死に場所を探してる。



「えぇ? 誰が来るってぇ?」



 髪を金髪に染めた大学生があたしに向かって醜悪な表情で問いかけてくる。


 その時、


 プルルル プルルル


 さっき京子ちゃんが取ろうとして阻まれた内線が鳴り出した。

 金髪がひったくるように、壁に備え付けられた受話器を取る。


「なんだよ、阪口。ここの部屋、今ちゃんとカメラ切ってんだろうなぁ。あ、もしかしてお前もまだカメラ見てたのか? 上玉過ぎてこっち参加したくなったか? ギャハ」


 監視カメラをモニターできる受付にいる店員は、どうやら本当にこいつらとグルらしい。


 一瞬、その電話が突破口かもしれないと反応した京子ちゃんの顔がますます曇っていく。


 それでも、あたしの前にじりじりと出ていく京子ちゃん。

 身体が震えているのに。



 信頼できる、と思った。



 正直、あたしだけでも外までこの場を切り抜ける方法はあるけど、気が変わった。

 お兄ちゃんが来るまで待とう。


「あ?? カメラはちゃんと切ってる? 男が一人この部屋にくる? ちゃんと止めろや使えねぇな!!!」


 はい来た。あたしのヒーロー参上。


 ていうかカメラ切るとか最悪。

 そういう目的なんだこいつら。

 こんな日の落ちてない時間から。

 まずあたしまだ14歳だよ?

 ロリコン犯罪者じゃん。


 アホそうな後輩面してる髪が青色の方が少し焦った口調で言う。


「ハァ? 人呼んだんですかね? でもオレたちが入ってからはこの子ら一度もスマホ触ってないっすよ」



 ばーか。


 アンタラがぐるぐる部屋の前を歩きながら物色してるのを見たときに、すでに連絡してたんだよ。


 助けてお兄ちゃんって。

 もちろん場所も部屋番号も伝えてね。


 元々もうすぐこの場所に来てもらう予定だったから、ちょっと慌てて走ってくれたんだと思う。ふふ。


「おい、お前、外で見張っとけ」


 金髪がリーダー?なのかな。

 金髪に指示されてこっちは緑髪に染めてる男が外に出ていった。

 緑髪が一番大男でガタイがいい。喧嘩要員かも。


「お前は撮影の準備な」


 金髪が青髪にも指示する。

 青髪はその気になったのか、入ってきた当初のようなニヤケ面に戻った。


 それにしても撮影って……キモ……。


 青髪がデカいバッグから色々取り出して準備を始める。


「うっ……ぐすっ……」


 京子ちゃんが泣き出した。

 京子ちゃんの手を握ってあげる。

 大丈夫だよ。

 もうすぐ来るから。


 そして、待っていた瞬間は訪れた。


 ドアの外から声が聞こえる。


「あん?コラ。なんだテメェ!! やんのか、なッ、ぎゃあああああああああああああああああ!!!」


 叫び声が聞こえたあと、ドスンという音と共に、ドアが揺れる。


「なんだ!?」


 金髪と、三脚の準備をしていた青髪が振り返った先のドアが、キーっとゆっくり開く。


 倒れ込む緑髪の大男と共に。


「ふざけんな……いてぇよ……いてぇよ……」


 大男の顔面は真っ赤に染まっていて、“びしょ濡れ”だった。

 左手でお兄ちゃんに殴られたであろう鳩尾を抑え、右手で涙と鼻水と“ホットコーヒー”でぐしゃぐしゃの顔を抑えている。

 顔の近くにコップが落ちている。


 この階のドリンクバーで入れてきた熱々のそれを、出会い頭に顔にぶっかけたんでしょう。


 お兄ちゃん、最高。



「刺青見せて大声出す前にすることあるでしょ、よいしょっと」


 散歩するような足取りで緑髪の大男を避けてお兄ちゃんが部屋に入ってきた。

 部屋の状態を一通り見て、安心するように一息つく。


 あたしはもうパニック寸前の京子ちゃんを抱きながら、表情でお兄ちゃんに向かって大丈夫だよって伝える。


「大丈夫そうだな」


 金髪が憤り大声をあげる。


「何なんだよテメェ!!」


「そういうのはいいんで。警察はすでに呼んでるけど、まだ何かする?」


 んーこれはブラフかな。お兄ちゃんはこれから正当防衛を超える攻撃をするかもなので警察は呼ばないはず。


「に、逃げたほうがいいんじゃ……」


 青髪の後輩はすでに戦意を喪失してる。

 あら、相手にもならないか。

 やっぱり緑髪が切り札だったのかな。


「ふざけんな! ガキにナメられて生きていけるかよ!」


 と、思ったら金髪はお兄ちゃんの学ランを見て引けなくなってるようだ。


 そのガキで年下の高校生相手に、あろうことかナイフを取り出した。


「ひっ……イヤ……」


 私の胸の中で京子ちゃんが声を上げる。


「それで、どうするんだ?」


「あっ……”? あぁ……? お前、なんでビビらねぇんだよ……」


「刺すならどうぞ」


「く……」


 数秒間の静寂、金髪はナイフをお兄ちゃんに向かって突き出した。


「く、くそ、うおおおおおおおおおおおおお」


 京子ちゃんの悲鳴があがる。




 あたしは、何の心配もしてなかった。

 絶対に避けられると知っていたから。


 お兄ちゃんは、生まれつき異常に“目がいい”。


 動体視力と言ったほうがいいのか。

 たとえばお兄ちゃんは生まれてこの方、一度も“蚊”を逃したことがない。

 いつも片手で一発で捕まえる。


 完璧に“見える”と言っていた。


 人の動きなんて、少し先の未来が見えるぐらいらしい。


 ある有名なレーサーが言っていた時速400km出てるときでも、一瞬すれ違う観客の表情が運転席から見えるとかいう逸話があるけど、たぶんそういう類のギフテッドなんだと思う。


 そして、その力を生かして将来を嘱望されるスポーツマンだったお兄ちゃんは、身体の制御にも優れている。


 格闘家でもない半グレのナイフなんて、こう見えてフィジカルエリートのお兄ちゃんに避けられないわけが無かった。



 分かってた通り、お兄ちゃんはナイフをひらりと躱してこれまた鳩尾に膝を入れる。


「がはッ……おえ……」



 ナイフを落として床に倒れ込む無様な金髪。痙攣している。

 その金髪のポケットからお兄ちゃんはスマホと財布から免許証を取り出す。


「これは貰うから」



 そして最初にやられた大男のところに行き、蹴る。


「いつまで寝たふりしてんだ。あいつと一緒にこいつを連れて行け。おとお前らも免許証とカメラは置いていけ。燃やす」


 青髪と緑髪を指差す。


 やっぱり警察呼んでないなこれ。

 まぁ京子ちゃんもいるしややこしいと思ったのもあるのかも。


 すごすごと退散していった三人を見送り、お兄ちゃんがこっちにくる。

 涼しい顔をしている。

 大立ち回りをしたのに微塵もそれを感じさせない。



「おいで」



 その言葉で脳が蕩けた。

 たまらず胸に飛び込む。


 お兄ちゃんが生きてる。エネルギーを感じる。


 お兄ちゃんはいつも死に場所を探してる。


 でもこうやって、手の届く範囲を助けるためなら、生きてくれる。

 小さい頃からそういう性格だから。

 そして今はたぶん、あたしのためだけに生きてる。


 それは、正直言うと、嬉しいことではある。

 あたしだけのお兄ちゃんだと思うと嬉しくて、頭がぽーっとして、泣きそうになる。


 でもそれじゃだめなんだ。


 お兄ちゃんの幸せはもっと大きくてふわふわでお兄ちゃんの全身を包めるようなものであってほしい。


 それにもしあたしが、病気で死んじゃったらって考えると、ね。

 夜も眠れなくなる。

 自分の死よりもお兄ちゃんの不幸が怖い。



 だから今はこのお兄ちゃんの胸を、半分貸してあげる。


 半身になって、信頼できそうな彼女を呼ぶ。





「京子ちゃんもおいで」




 涙で顔がでろでろの京子ちゃんが、おそるおそる近づいてくる。

 お兄ちゃんがあたしと一緒に優しく抱き込み、言った。



「怖かったな。よく頑張った」



 京子ちゃんは、お兄ちゃんの胸に縋って大声をあげて泣いた。


 怖い思いをさせてごめんね。





 でも、京子ちゃんもお兄ちゃんの大事な人になってくれると嬉しい。










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