第3話
先に王都やその近郊の患者から治していって、最後に王都から遠い僻地の軍の病院の患者を治しに向かった。
正確にはカナール山岳地方って所にある病院ね。
そこは魔物の巣でもあるのか普段から魔物被害が数多く報告される危険地帯。いつも以上の護衛兵士に囲まれてあたしは長旅をガタゴト馬車に揺られて走る。
現にカナール地方に入ってから目的地に到着するまでにも三回も魔物との交戦が起きて、あたしは馬車の中から絶対出ないようにって言われて縮こまっていた。幸い戦闘で出たのは軽い負傷者だけで死人はなかったからあたしが即刻治癒して事なきを得た。
生きていれば治癒できるけど、死んじゃったらさすがにあたしにもどうにもできないもの。
片道十日に及ぶ旅の末やっと軍病院へと到着した。
あたしの治癒予定患者は一件とはカウントしてあったもののそれは住所的にはって意味で、実質は複数の名が記されていた。ジャスト十人。
皆魔物との戦闘で重要なポジションに就いていて重篤な怪我を負った兵士だ。あたしの治癒魔法じゃないと治せないレベルの状態で、到着するなり直ちに一人目の治癒に取りかかった。ここへの滞在期間がある程度取られていたんだけど、重病人十人はあたしが一日で治せる程度と人数じゃないからなのね。王宮から課される聖女仕事は決して過労にならないようにって配慮されていて、だからあたしは健康的に日々治癒仕事に取り組んでいられるわけよ。
ここには当然ながらリスト患者以外にも大なり小なり怪我をしている兵士がいるから余裕があればこっそり治してあげようっと。
聖女の力の無断使用だって怒られるかもだけど治しちゃえばこっちのものだし、何よりここらの魔物達は中々に狂暴で、近隣の市街地に行かないようにここ前線で魔物を食い止めるために日々頑張っている兵士達の助けになりたい。彼らの士気や気合いは十分だけど魔物も強いのばっかりで相当手を焼いているって聞いたから尚更に。
滞在期間はあたしの体調を考慮されて五日程。一日二人ずつ快癒させればいいって計算だ。
到着初日に予定の二人を治癒したあたしに、同行の護衛の一人が「本日はもうこれでお休み下さい」なんて気遣いと労いをくれた。
「……過保護」
「はい?」
「オホホああいえ、わたくしこの地で活躍する皆さんのために聖女として力になれる事はしたいのです。ですから、どうかもう少し皆さんの治癒をさせて下さい。限界だと思ったら無理しないで休みますから」
オホホとか言いつつあたしは真剣に護衛を見つめ、力強く頷いてみせた。聖女に覚醒した時みたいに必死になり過ぎてぶっ倒れるまで聖なるパワーを使い切るなんて馬鹿な真似はしない。あの時は下手したら疲労の眠りじゃなくて永遠の眠りに就いてたかもしれなかったって後で聞いたっけ。ひやっとしたわー。
とにかくまあ、最早許可の返事が必要だったわけじゃなく、単にあたしの意思表示をしておきたかった。
結果を言えば、勝手に予定外の患者の治癒を始めるあたしを止める者はいなかった。
荷物には高回復薬を持参していたし、それを飲み飲み当初リストにあった十人全員を二日で治癒した。残り三日間はその他の負傷兵や新たに怪我を負った兵士を治すのに専念。周囲は驚いていたっけ。同時に心配そうにもしていたけどね。そうしてあたしは予定通りの日程を最大限有効に使ってカナール地方の任務を終えた。
戦闘に参加できないような怪我人はいなくなって、カナール地方の魔物との攻防は当分優位に立てると思う。
現状がカナール地方みたいな何故か魔物の出没頻度の高い場所は他にもあるから、あたしはまた近いうちこんな出張任務に出向くんだろうな。
気持ち的にはやり切った役に立てたって充足感があったけど、帰りの馬車に揺られるあたしは座席に沈み込むようにしてぐったりとしていた。ゾンビ聖女よゾンビ聖女。
時々心配した兵士が馬車の外から声を掛けてくれるけど、その都度大丈夫って強がらないといけないから辛どかった。
今回の出張任務じゃあ、高回復薬を全部消費して満足の行く仕事ができたあたしだったけどさすがにグロテスク顔で疲労困憊しちゃったわ。だけど護衛にさくっと高回復薬一丁~って催促するわけにもいかない。あれはとにかくべらぼうに高い薬なんだもの。もしもあたしが聖女じゃなかったら人生で一滴だって飲めたかどうかもわからない代物だわ。まあでもゆっくり休息できる時間があれば、このまだ十七と若い体は疲れが取れるから、馬車でも宿でも寝て過ごそう。
復路に費やす時間も往路と同じだから、病院を経ってから十日後にあたしは王都に帰還した。
ただね、雨だり何だりで道が悪かったせいか馬車が揺れまくって生憎と疲れが取れなくて、セオ様への報告の際にも彼がいつもの応接室に入って来るまでソファーで寝そうになっていた。
物音に気付いて慌ててさあ待ってましたーって感じで両目をこじ開けたけど、およそ一月ぶりに会いたかった男を目の前にしてもあたしは睡魔には勝てなかった。よりにもよって話しながら居眠りした。愛する推しが目の前にいるのにぐーすか時間を無駄にしたなんて自分でも信じられない。ああん、一秒でも長く彼の美顔を眺めていたいのにー……ぐー。
「聖女アリエル」
「……はっ! すみませんあたしったらまた!」
カナール地方でのあれこれを報告中なのに、彼の声掛けで起こされたのこれで何度目なのあたし~~っ!
謝罪と情けなさで頭を抱えていると、セオ様は小さく溜め息をついた。
「今日はもういい。帰還早々に王宮に来させるべきじゃなかったな。疲労のせいか単純な物事にも集中できないようだし、報告は同行させた別の者からしてもらうようにするからそなたはもう下がれ」
「えっそんなぁ」
ええーん何て酷い男なのーっ、ある意味あなたの芸術的な美声が子守唄にもなって睡魔が一向に取れないってのに帰れって言うの!? ララバイじゃなくバイバイって? 今回の聖女任務で枯渇したあたしの推し愛ゲージをどうやって回復させろって言うのこの鬼畜ーっ。
……ん、でも、鬼畜なセオ様もそれはそれで……。きゃーっそんな駄目ですこんな所で強引に奪うなんてセオ様あああーん!
「聖女アリエル! どうやらそなたは長旅の疲れが相当溜って脳みそにまで支障を来しているようだから、今すぐ教会に帰ってしっかり一月は休め。その間ここには来る必要はない。一切」
彼は口の端をヒクつかせながらあたしの体を気遣ってか思いやり深い言葉をくれた。こ、これはあれよね、お前の体はお前一人だけのものじゃない俺の所有物でもあるから大事にしろってやつ! そうでしょサド陛下!
「……曲解するなっ」
ですよねー。そして便利な煩悩以心伝心ありがとおーうっ!
はあ、全くもうあたしもどうかしてる。どこが思いやりだかね。脳みそにまで支障ってレディにストレートに言う普通? 煩悩聞こえてるって暴露からこっち、彼の毒舌度は増し増し増し増しーって感じであたしだってさすがにウザがられているのはわかる。もしも逆の立場だったならこんな執着あたしだって嫌……なもんかーっ、こんな神イケメンなら全然アリだしょうえっへっへ~!
「聖女なのにその邪まみれな笑い方……」
彼はあたしをドン引いたように見据えつつ身震いした。
でもどうしよう、疲れてるのはあたしが勝手に無茶して体力消耗したからなんだけど、ここで正直に勝手して申し訳ございませんって土下座するべき? 聖女の力はあたしだけのものじゃないって叱られるのは目に見えてるしねえ……。でも善意でした行動に小言を言われたくないから教会に帰って休んでる方が精神的には楽よね。また一月も会えないのは寂しいけど、どやされるよりは心のダメージは少ないはず。時間が彼の怒りを静めてくれるわよね。
くすん、あなたとのランデブーは夢の中で我慢します……。
「……そなたは駄々漏れという言葉の意味を本当に理解しているのか?」
我が推し様は今度は脱力している。あらやだそうだった全部筒抜けてるんだった。あたしの小狡さに怒る気も失せたのかもしれない。ああそんな顔もナイスガ~イ。
まあバレているなら話は早い。正直後ろ髪を引かれる思いだったけど、今が絶妙な頃合いだわってわけであたしは顎を引く。
「それでは陛下のお言葉に従ってそろそろ失礼致しますね。美味なお紅茶、おご馳走さまでした」
いつもは時間稼ぎに最後の一滴までを残らず嘗め取っ……きちんと飲んでいくのに今は寝ていて紅茶にはほとんど手を付けていなかった。だからなのかセオ様ってばポカンとしている。
あ、急過ぎた? ならもうちょっとあなたの滑らかなお肌を隅々までチェックしてから帰っても損はないかしら~。
「今回の任務は大変にご苦労だった」
またまた煩悩を聞き取ったらしい彼が呆れたように目を半分にしてきっぱりと幕を引いた。
「……ホホ、心に響く優しい労いをありがとうございます」
ふんだ、このあしらい、いつも通りの展開ね。内心で何度踏みつけられても挫けないって雑草根性を新たにしつつ、服に付くと一個一個手で取らないと面倒なペンペン草よろしくこの先も推しにくっ付く所存のあたしは、愛想良く振る舞って応接室を辞した。
教会に戻ってセオ様から言われた通り休養はした。たっぷり三日間。
三日間が多いか少ないかは人によると思う。あたしにとっては十分過ぎる三日間だった。ぶっちゃけもう仕事を再開してもいいわ。
だって聖女を一月も休むのは信条に反するんだもの。早速と教会の事務所から治癒者リストを強奪してきて癒しを必要としている人の元に出向いて回った。予想外に早い公務再開に周囲は心配もしてくれたけど、やっぱり助かったようだった。人間の生活はたとえあたしが一年寝ていても滞りなく続いていく。でも何もせず寝ているよりは誰かが少しはマシになった方がいい。
陛下には内緒にするよう頼んだ。一応ね。
でも王宮のスパイか何かがあたしには張り付いているだろうから、聖女アリエルが聖女活動を再開しましたーって報告はとっくに彼の元に上がってると思う。まあ文句を垂れ込んでこないって事は黙認しているって受け取っていいのかな。
ただし、今日だけは例外。一日オフ日。
何を隠そう本日は国王セオドア陛下様々の演説の日なんだもの。
建国記念日とかその他の記念日に国王が民衆の前で演説をするのがこの国の慣わしなのよね。ところで今日は何の日だっけ。ああ初代国王の生誕日だ。
もう半月、生のセオ様を見ていなかった。通常は出張がなければ七日ないし十日に一度は顔を合わせていたのにね。
同じ王都にいるのに一月も会えないのは嫌だったから先日「頼もーっ」て勇んで王宮を訪ねたんたけど、生憎とアポなしじゃ王宮には入れてもらえなかった。聖女なのに門前払いって扱いにはちょっと泣けたけど、ならばこっそり盗み見ようってわけ。
まあそんなわけであたしアリエルは推し様を見に来ましたけれども、実はこっそり教会を抜け出しても来ましたの。
聖女として教会を出るってなると仰々しい護衛が付くわとにかく目立って身バレするわで、じっくりゆっくり秘密裏に陛下を堪能できないもの。
演説会場の王都大広場には、じかに若き国王を目にできる機会とあって彼見たさに沢山の人が集っている。意気揚々として大広場へと到着したあたしは、聖女の顔を知っている人も中にはいるだろうし、しっかりと顔バレしないよう深くフードを被った。教会には日暮れまでには帰りますってメモ書きを残してきたから心配する必要はないんだけど、お歴々方は頭が固いから捜索されるかもしれない。
演説が始まれば距離的にこっちの煩悩は陛下に聞こえるだろうけど、こうも人でごった返していると演説を中断してまであたしを捕まえて教会に強制送還するのも一苦労だろうから、むしろ何もしないに賭けた。
ふへへへへ覚悟してねセオ様。たーんと視線で嘗め回して差し上げますから!
国王演説は昼頃から始まった。これもある種のイベントだからか広場周辺には飲食のための出店が沢山並んでいて、あたしは食指が動いた物を買って食べ歩きした。
……なんか懐かしいなあこの空気感。
出身村の豊穣のお祭りなんかは規模は全然劣るけど、毎年とても楽しかった。
それに、前世の中の夏祭りは華やかな花火を見ながら浴衣にカラコロ下駄を鳴らして釣り提灯の下のどこか幻想的な賑わいを歩いたっけ。死んだ旦那と。
人いきれや熱気って意味じゃ、故郷の村よりもそっちの記憶の方がこの場とよく似ていた。
前世の夫の事は人並みに愛していた。
でもこの世界のあたしはもう前世のあたしじゃない。
アリエル・ベルなのよね、セオドア・ヘンドリックスという男を大大大好きな。
前世の推しキャラだからってだけじゃない。
確かに鼻血出して身が悶える程入れ込んでるけど、生身の彼を見て彼と話して、彼の生き様を見守りたいセコムとかアルソックみたいな気持ちなの。
だからあたしはセオ様なの。前世の夫はじんわりするようないい思い出。
「何これ、うっま!」
お昼にするつもりのホットドッグを手に遠すぎず近すぎない場所を見繕うと、目立たないようにやや俯きがちにして陛下の登場を待つ。
程なく賑わっていた広場が更にざわざわとして、あたしは顔を上げた。見上げる先のバルコニーに今まさにセオドア綺羅星推し陛下が姿を現した所だった。
きゃあーーーーんセオ様あああーーーーん!
あたしは何にも憚らずにピンクの脳内から黄色い声を出した。
微かに彼の動きが強ばった気がしたなあ~。相も変わらずの凛々しい姿をどうもありがとうございまーっす!
あたしは目論見通りに彼の雄姿を堪能していた。煩悩も漏れまくりで。時々陛下が変な風に咳払いとか息を詰まらせるのはきっとあたしのせいだった。破廉恥妄想したのとちょうどタイミングが合っていたもの。完全にもう演説の妨害になっちゃってごめんなさい。だがあたしはあたしを止められない!
そうして、彼の信望と権威を高める演説もそろそろ終盤に差し掛かろうかって頃合い、美声にうっとりしていたあたしは言い知れない寒気のようなものを感じた。
あ、これたぶん、邪悪を忌む聖女の本能的なものだ。
「ならこれって……!」
この感覚はカナール地方で頻繁に経験したものと同じだった。
あそこは凶悪な魔物の襲来や出没が茶飯事だったから。
込み上げる危機感に煽られるようにばっと空を見やる。
周囲は未だバルコニーに釘付けで、異変にはまだあたしだけしか気付いていない。
空の気になる方向をじっと凝視していると快晴に黒い点が現れた。それはみるみるうちに大きくなって形になって、その頃には広場でも気付き始める人が出てきた。
皆が気付いた一番の理由は、おそらく陛下が演説をやめて空を睨んだから。
彼には彼の察知能力があるのか、はたまたあたしの思考に釣られてそうしたのかはわからない。
「会場整備は広場の皆を避難させろ! 警備兵は総員構えろ! ワイバーンが来る!」
ワイバーン。
代表的な竜種の魔物だ。知能は低いとされていて、とりわけ市街地に現れたら即座に倒すのがベストだって言われてもいる。手当たり次第人を襲うからね。
というか、魔物が王都中心にまで現れるのは極めて珍しい。
通常王都は高い壁に護られているし、魔物が近付いて来ようものなら王都周辺を見張っている兵士に討伐される。
こうも王都の中心まで入ってこられたのは、意外にも飛行高度が高かったからだろう。
ワイバーンは全部で五体。彼らにしては比較的小さな群れだ。
魔物の目にも獲物たる人間の集まっている大広場が際立ったせいか降下してくる。
言うまでもなく、広場一帯は大変なパニックに陥った。
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