第5話
「マ、リア、ナ……?」
命の灯が消えそうになりながら、地面に倒れ込みながら。血を流しながら。
王太子は虚ろな目を向ける。愛すべき、マリアナにその目を向けた。だが彼女はかつて向けていた熱い目とは真逆の、氷のごとき目を返す。その目にはなんの感情もうかがえない。ただ転がる”モノ”に向ける目だ。
マリアナに救いを求めることは無意味と理解したのか、今度は私に血に染まった目が向けられる。その目を見た瞬間、私の喉の奥で小さな悲鳴が上がった。もうそれは死者の目だったから。生きているのが不思議なくらいに、生気のない目だったから。
「助け……クリスティ……せい、じょ……」
聖女。
苦し紛れの最期に、私のことをそう呼ぶ王太子。
その目は語る。死者の目は語る。お前は聖女だろう? と。
聖女なのだから、俺を助けろ。そうしてくれ。いや、そうすべきだ。
だってお前は聖女なのだから。国を、人々を救うのが使命なのだから。
そう、目は語る。
聞こえぬ声を耳にした瞬間。だが私の中に、慈愛は芽生えることはなかった。救いたいという気持ちは欠片も存在しなかったのである。
「ざま……みろ……」
ざまあみろ。
それが私から王太子へかけた言葉。初めてまともに相手の目を見て、言った言葉。
そして、王太子が最期に耳にした言葉。
直後、王太子は物言わぬ屍と成り果てた。ピクリとも体は動かない、その口も目も動かない。
醜い魂は醜い肉体から完全に抜け出て、地獄へと落ちた。
それを感じて、理解して、私の中に浮かぶ感情は──喜び。
「ああ、本当に……ざまあないですわね、王太子」
もう届かぬ声を投げかけて、私はゆっくり立ち上がった。が、肩の痛みに顔をしかめ側の木に寄りかかってしまった。ズキズキと肩が痛む。そこは確かに血は止まり傷はふさがったというのに。
「ご無理はなさいますな。私の能力は癒しではないと申しましたでしょう? 傷をふさいだ、それだけなのです」
治癒と傷をふさぐの違いはどこにあるのか。よく分からないが、この痛みこそがその差異なのだろう。
理解はしなくていい、ただそうなのだと受け入れれば良い。
私は静かに頷き、今度こそちゃんと立ち上がった。
そしてマリアナと向かい合う。
「お辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません」
「……」
まさかの謝罪に戸惑い、なんと言えば良いのか分からず無言を貫いた。
「後始末はわたくしにお任せください。この悪女めに」
「後始末……」
「ええ」
そう言って、マリアナはニコリと微笑んだ。それは美しく妖艶で……壮絶。
「聖女である貴女様をいいように利用し、物以下の扱いしかしなかったこの国。世界を呪うほどにお辛い思いを貴女様にさせた国。毛一本すらも残しません。残させません」
それが意味すること、言わんとすることは理解できる。
この国は確かに聖女に頼りすぎて腐っていた。だが確かに善人もいたのだ。無垢な子供、穢れを知らない赤子も大勢いる。
それでも、マリアナは残さないと宣言したのだ。
それを、止めることはできないと悟る。だって、私もこの国の滅亡を望んでしまったから。
その時点で、もう私は聖女ではないのだ。
聖女でない私に、世界が生み出した悪女に勝てるはずもない。
「できれば……苦しみを少なくしてあげてください」
苦しみの無いように、ではない。少なくして。
その発言こそがもう、私が聖女でない証だろう。
だがマリアナは驚いた様子もなく、笑みを浮かべたまま頷いた。
「聖女とは、純粋で……真っ直ぐなのです。貴女様こそが相応しい」
そう言って、マリアナは私に背を向けて歩き出した。地面に転がる屍には目もくれず。
「お行きなさい」
それだけ言って、彼女は去った。直後、悲鳴が飛び交い、何かが潰れるような音が聞こえ……静寂が訪れた。
追跡者……暗殺者は始末され、私は一人、取り残されたのだ。
「アンディ……」
国境へ向けて足を動かす。ずっと閉じ込められていたけれど、なぜだかそちらが目指すべき方向だと理解し、足は自然と動いた。痛みは不思議と消えている。
国境へ。そこにいるはずの、愛しい人の元へ。
背後を振り返ることはない。愛すべき故郷はそこにない。
──だって私は、隣国から連れ去られたのだから。
聖女の能力に目覚めた直後、王家から迎えが来た。だがそれは隣国の王家だったのだ。その真実を隠され、ただ王家からというだけで慌てた家族によって、私は引き渡された。
気付いた時には、私は異国の地で聖女をやらされていた。
愛すべき故郷ではなく、愛さない隣国で。
国境を越えてまで私の元へやって来てくれた、アンディ。異国の地で騎士になるのは、どれほど大変だったか。
彼の元へ早く行きたい、その顔を見たい、その胸に飛び込みたい。
その一心で、私は歩いた。歩き続けた。
どれだけ歩いたのか分からない。だが、ようやく国境へと辿り着く。その場に居た、故郷の王家が遣わした騎士たちが揃っている。その中に、アンディの姿を認めて、涙が止まらなかった。限界がきて倒れ込む私を慌ててアンディが抱きとめてくれる。その温もりに、私は涙し目を閉じた。
目がくらむような幸せな日々。
故郷で家族に再会し、アンディと暮らす日々。
幸せな私の耳には届かない。
どこかで流れる噂話を。
隣国が滅んだという話を。
なにがあったのか分からないが、誰一人逃げ出すこと叶わず、ただ滅んだという話。
それは私の耳に届くことなく、私はただ一人の人間として幸せに暮らした。
悪女の存在は、そしてこれからも誰も知ることはない。
表裏一体として聖女の裏に存在する彼女のことを、知る者はいない。
そうしてまた、聖女を求める者が──何も知らずに聖女を利用しようとする愚か者が、聖女の呪いをうけるのだ。
~fin.~
聖女が世界を呪う時 リオール @rio-ru
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