第4話

 

「お待ちください、カルス様」


 剣が振り下ろされるのをボーッと見ていたが、不意に声がして剣の動きが止まる。


「マリアナ?」


 王太子が驚いたように背後を振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の女性。あれはたしか、王太子が結婚相手とした女性。私が彼女を虐げていたという嘘の、その人ではないか。


 なぜここに?


 呆然と彼女を見上げていたら、近付いてきた。その綺麗なドレスが汚れるも厭わず。


「一度聖女とやらと、ちゃんとお話してみたかったんですのよ。きっとこれが最後の機会でしょうから……どうか人払いを」


 周囲には、王族騎士団らしき姿はない。聖女を秘密裏に殺すのに、それを使うことはさすがにためらわれたのだろう。

 王太子の周囲にいる黒ずくめの集団は、おそらく暗殺者。影の仕事をする者。

 そんな輩でも、聞かれたくないと思ったのか、マリアナは人払いを要求した。そしてそれを跳ねのけるほどカルスは……王太子は、彼女を邪険にできなかった。


「五分だけだぞ」

「ありがとうございます」


 苦い顔をする王太子に、ニコリと微笑むマリアナは妖艶だった。確かに自分とは大違い、美しい彼女はどんな男性をも虜にするだろう。

 そして彼女は王太子を手に入れた。


「初めまして、ではありませんわね。先日謁見の間でお会いしたばかり。お久しぶり、が正しいかしら?」

「あ……」


 声が出ない。喉がカラカラというのもあるが、身がすくんだのだ。

 なんというか、彼女は恐ろしかった。私に冤罪をかぶせ、処刑を宣告した王太子よりも。無関心な王や国よりも。

 誰よりも、彼女が私は恐ろしかった。


 その恐怖が伝わったのだろう。彼女はクスリと笑う。それすらも妖艶に。


「ご心配なさりますな」


 そう言って、彼女は私の耳元に唇を近づける。ビクリと体を震わせる私の耳に、彼女は囁いた。


「この国は腐りきっております。もはやそれは呪いに等しい。この国は、呪われているのです」

「?」


 何を言ってるのだろうか。

 肩から血が流れ続けていて、意識が朦朧としてきた。彼女の言わんとしてることが理解できない。

 それに気付いてか、マリアナは私の血を流す肩に手を添えた。


「え……」


 驚きに目を見開く。なんと、血が止まっているではないか。止まった血は既に固まり、かさぶたになろうとしている。これは、この能力は……


「あなたも?」


 国に二人の聖女は生まれない。だというのに、この癒しの能力は……

 だがマリアナはクスリと笑って首を横に振った。


「私は聖女ではありません、これは癒しの能力ではない。なぜなら私は……悪女だから」

「え?」

「聖女と悪女、相反するが似ている……似て非なる存在。国が活気に、生気に溢れた時に聖女は生まれる。けれど……」

「けれど?」


 血は止まったが、流れ出てしまったものは戻らない。手足が冷たくなるのを感じ、飛びそうになる意識をどうにかギリギリで保ちつつ、私は彼女の顔を見上げた。


「おい、五分経ったぞマリアナ! いい加減にしないか!」


 苛立ったように王太子が声をかけてきた。

 それに背を向けてる状態の彼女は、私からは見える顔を苛立たし気に歪ませ、王太子に聞こえないようにチッと小さく舌打ちする。


「けれど、国が腐りきったその時には、悪女が生まれる。それが私なのです」

「悪女とは……?」


 そんなものが聖女のように出現するなんて、聞いた事がない。そんな文献が残されてるとは、教会にずっといながらも耳にしたことはなかった。


「ご存知ないでしょうね。だって悪女が生まれるとき、それすなわち──国が滅ぶ時ですから」


 私の耳元で、囁くように、けれど確かにマリアナはそう言った。


「聖女であるあなたへの仕打ち、この世界が怒っております。あなたに世界を呪わせることをした国に、世界が言い知れぬ怒りに満ち溢れている」

「世界が……」

「だから私が現れたのです」


 そう言って、マリアナは私の耳から離れた。ニコリと美しい笑みを浮かべる。


「もういい! とっととその女を殺す!」


 彼女の背後で、鬼の形相で剣を振り上げる姿が見えた。王太子が、私を殺そうとするのが見える。


 いけない!

 思わずマリアナを突き飛ばそうとしたのだが──


「のけ、マリア……ぐげ!?」


 雨が、降った。

 透明の雫ではなく。

 血の雨が。


 何が起きたのか分からない。

 ただ、マリアナが背後に、王太子に向けて手を伸ばしたのだ。


 その直後、王太子から血が噴き出し、血の雨が大地に降り注いだのだ。


 王太子の命の終わりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る