6筋
リビングに安っぽい将棋盤。
たまきと宮前はソファに座って向き合う。
京極はたまきの斜め後方、一人用の椅子に腰掛ける。
盤上、すべての駒が並び終える。
宮前にやり方を教わり、京極が五枚の歩を投げて先後を決める。
(プロが素人を相手に平手、しかも振り駒とはいえ先手をもらう。宮前さん──本気だな)
京極の視線を受け、宮前も表情を引き締める。
(こいつは強い。本物の強さを持っとる。本気の勝負をする人間に、プロもアマチュアもない。ただ強い者が勝つ。その本質的な勝負の舞台に立った時点で、男とか女とか年齢とか国籍とか、そんなものはいっさい、なんの関係ものうなるんや)
宮前の持参したチェスクロックをたたいて、対局は開始された。
宮前の指がしなり、鋭い駒音を立てて囲いを進めていく。
最初はさして興味もなさそうだったたまきの表情が、おそろしい集中を示して盤面を読み込む。
京極が、たまきのふらついた頭を支える役を担うことによって、集中が維持されるらしいということを、宮前はこのときはじめて知った。
「変なやっちゃな、自分ら」
「あなたに言われたくないわね」
たまきから、ピシリ、と開戦を告げる歩の突き捨て。さらに表情を引き締める宮前。
後手番から仕掛けるとは……。
「おかしなもんやな。たいてい女は攻めたがる。腕力勝負の力戦型も辞さずや」
宮前とのかかわり以降、京極も棋界について多少は調べている。
女流棋士に攻め将棋が多いことは、よく知られているらしい。女流にかぎらず、基本的に攻める手を考えていたほうが楽しい、と感じる人間が多いこともあるだろう。
「こういう形にしたほうが、早く決着がつくでしょ」
「自信満々か。上等や。しゃーけど、しょせん女。現実世界ではどうあがいても、腕力で男に勝てへん。せやから将棋の世界くらいは、腕力で男をねじ伏せたいってところなんやろ。──だが、女の脳は将棋には向いてへん」
つぎつぎ、がっちりと受け止める手を積み重ねる宮前。
(どちらかといえば宮前さんも、攻めるタイプの棋士のはず)
だが、守りがおろそかなわけではない。受けの苦手な人間が、そもそもトップに立てるわけがない。
攻め合えば勝てるかもしれない局面、冷静に考えれば一手余している可能性が高くても、
(それでもわしは)
受ける。相手の細い攻めを完全に断ち切ろうという手を、あくまでも積み上げる。
「激辛流、ですね。絶対に負けないという手だ」
「……読み筋よ」
たまきの細い指がしなり、ゆっくりと歩を打ち下ろす。
「せやろな。足りない攻撃力を補うには、と金づくりの垂れ歩しかない。……だが、遅すぎる」
一段目に飛車を成りこむ宮前。
相手の攻めがこっちの王様に届くまで三手かかる。こっちは二手で、相手の王様を捕まえればいい。
その読みは、きわめて正しいように思える。
「それで、足りるとでも?」
たまきはゆっくりと、竜の横利きを止める歩を置く。
(紐はついていない。ただ取ってくれという歩だ)
京極には、にわかに意味のわからない手だが、宮前は鋭敏にその意味を察知する。
黙って取る、という選択肢をプロはあまり考えない。
竜の位置をひとつずらすことで、局面がどう変化するか、問題はそちらだ。
「──攻防の角か」
手持ちの武器、最後の角を竜取りで打ち込む。
対して香を拾っておく程度で、わるくないように見えるが……。
「足りるのか。相手の王様を捕まえるのにかかる三手が、この角で二手になったとして」
「そういうことか」
宮前にも道筋が見えた。
さっき抬った香でがっちりと固められる。角筋を消されれば、せっかく打った角がぼやけて、攻撃にも防御にも役に立たない。
先を読み、よければ進み、わるければ、そうならないように手を変える。
そうやって淡々と、局面だけが進む。
部屋には駒を移動させる以外の動きがほとんどない。
対局開始から四時間。
まだ局面は混沌としている。
トッププロ同士の対局なら、そうなることはままある。
だが、このような力戦型で、勢力の均衡を維持したまま終盤戦へともつれ込んでいるとなると、それだけで両者の棋力が拮抗していることは明らかだ。
「そうや、たまき。こうやなかったらあかん」
「呼び捨てにしないで」
空中にふわりと浮くような桂馬を、たまきの指が
単に取ってくれと投げ出された、この桂を取れば。
宮前は苦笑いしつつ、
「粘るやないか」
「こっちの台詞」
両者の玉が中段まで引きずり出されている。
すでに持ち時間はない。一分将棋のひりつく局面で、たまきの放った鋭い一手が勝負を分ける。
数手後、がっくりと頭を落とした宮前の、かすれた声。
「まいった……」
「ふっ、おつかれさま。なかなか手ごわかったわよ」
礼儀を心得ないたまき。
無感動に将棋盤を片づける京極。
よく考えれば異常なふたりの態度を意にも介さず、ある意味、より非常識な人間である宮前はサッと表情を切り替え、言った。
「よっしゃ、合格や。自分、わしの弟子にしたるわ」
「……はあ?」
そうして宮前の暴走がはじまった。
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