5筋
同時に顔を上げるふたり。
「お母さんでしょうか」
「なら、チャイムを鳴らす必要がないわね」
たまきは、わずかな緊張を押し隠すように無表情をつくる。
京極がインターホンを取ると、画面に現れたのは銀髪の老人。
たまきにも知らせるため、声に出す。
「宮前さん」
「ちょっと顔、貸してくれや。──頼むわ」
宮前の表情は真剣そのもので、まなざしには決意が迸っている。
真剣な表情で森野家の玄関に足を踏み入れた宮前は、開口一番、
「邪魔すんでー」
「邪魔すんやったら帰ってー」
「あいよー……なんでやねん!」
乗っかって、くるっと踵を返す宮前が、すぐにふりかえって突っ込む。
そんな京極と宮前の掛け合いを、あっけにとられた表情で眺めるたまき。
「な、なんなのよ、いったい?」
関西人のふたりは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめる。
「お約束です。──それで、ご用件はなんでしょう、宮前さん」
さっさと切り替え、話を進める関西人たちを、生粋の関東女は憮然として眺めやった。
豪華なソファーセット。
たまきと京極が並んで座り、向かいには宮前が腰を下ろす。
「あたしと将棋がしたい? はっ、冗談でしょ」
せせら笑うたまきのほとんど無礼とも取れる態度に、宮前は一歩も引かない。
「本気や。プロが素人に勝負を挑むなんて、本来はありえへんことやが」
「ふん、なにがプロよ。だいたいあなた、素人に負けたじゃない。……ん? ああ、あいつは素人じゃないんだっけ。そうよね、曲がりなりにもしん……なんとかで、お金を稼いでいたわけだものね。それにズルをしていたわけだし、どう考えてもあいつのほうが下劣よね。よかったわね、あなたより下がいて」
宮前は不愉快そうに舌打ちし、脳裏から件の醜男の顔を追い出す。
「ちっ、真剣師か。将棋しか能のないボンクラが、三段リーグを抜けられず社会に放り出されて、吐き気を催すような低能の詐欺師に成り下がった。あんなものは、もう真剣とは呼ばへん」
「さんだん……?」
「プロになる最終試験のようなもんや。三段をもつ人間がリーグ戦を戦い、上位二名だけが毎年プロになれる」
たまきは、いらいらした表情で、切り上げるように言う。
「まあ、どっちでもいいわよ。どんなズルをしたところで、結局は強いほうが勝つんだものね。あなたはズルした男に負けて、あたしは勝った。ということは、あたしのほうが強いのよ。それでいいでしょ。おやすみなさい」
宮前は憤然として立ち上がり、
「ようないわ!」
「じゃ、あなたのほうが強くていいわよ。これで満足? 京極、お客さまがお帰りよ」
「頼む!」
その宮前の迫力に、京極もわずかに腰を浮かす。
一方、たまきはソファに深く腰を落とし、静かに問い返す。
「どうして? あたしに勝って自分のほうが強いと証明したいの? あなたはプロなんだから、
「ちゃう。うまく言われへんが……とにかく、あの日のわしは本調子やなかった。笑うんやったら笑い。ぶざまな言い訳やと自分でもわーっとる。やけどな、棋士ちゅうんはそういうもんや。勝ったことはすぐに忘れても、負けたことはなかなか忘れられるもんやない。とくにああいう場面での負けはな」
宮前の表情は痛々しいほどで、彼の本気度はたしかに伝わった。
「はっきりと負けたわけじゃないでしょ。せっかくうやむやにしてあげたんだから」
「ここ数日、節制しとってな」
「あなたの生き様に、なんの興味もないわ」
「現役最強当時とまではいけへんが、プロ棋士として恥ずかしない将棋を指せる状態だとは自負しとる。──試させてくれや」
「ひとの話を聞きなさいよ。あたしは……」
やおら会話に割り込む京極。
「いいじゃないですか、たまきさん。どうせ余った時間はネットで将棋を指しているんです。その一環と思って、一局くらい指してあげても罰は当たらないでしょう」
宮前は「指してあげる」に一瞬微妙な表情をつくるも、
「そうか、おおきに。ほな頼むわ」
背に腹は代えられないとばかり、そそくさと準備をはじめた。
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