二段目 個性的な老害、押しかけ師匠になる

1筋


「心から感謝します。ご無理をお聞き届けいただいて」


 深々と頭を下げる森野に、京極はいえいえと首を振る。

 傍らには、ソファでうつらうつらしているたまき。

 数日まえ、彼女は京極にこう言った。


「大学? 関係ないわね。あなたも東京にくるのよ、京極」


 娘の言動を回顧しつつ、森野は済まなそうに、


「まだ事件が起きてから一ケ月。娘の心的外傷は癒されたわけではありません。京極さんがそばにいると、たまきの精神状態が安定することは明白です。

 徐々にひとりでも、ふつうに暮らせるようにならなければいけませんが、それまでもうしばらく手を貸していただければ……。

 もちろんそんな無理を頼める筋合いではないとわかっています。あなたは学生さんだし、当然学校に通わなければならないのに……」


 しかし、京極の答えは意想外に淡白だった。


「かまいませんよ。すでに講義を受ける段階ではありません。ぼくの研究は、意外にタイプのものです。東京に用があることも多いので、生活の基盤をどこに置くかはあまり問題になりません。──そう長いこともかからないでしょうし」


 京極と森野は同時に、ソファですやすやと寝息を立てるたまきを見つめる。


「そういえば最近、をつづけて見ると……」


「らしいですね。心の傷トラウマと関係があるのかはわかりませんが、あまり逆らわずに聞いておくのがいいかもしれません」


「そう……ですね」


 いま、その夢のなかで戦う女兵士がひとり。



 女兵士リノは、クイーンと呼ばれるロボット兵器に搭乗していた。

 入り乱れる無線の喧騒、指示、絶叫を聞きながら。


「行け、行け! 先へ進め」

「大尉、部下を掌握しろ、ばらばらになっているぞ」

「戦え、撃ちまくれ、弾数で負けるんじゃねえ!」

「戦車がきやがった、くそっ」

「左がやられたぞ。囲まれる!」

「火線を保て! 途切れたところから食い破られるぞ」

「走れ、走れ!」


 コックピットに響き渡る雑音に、リノは操縦桿を押し出しながら、味方の動きと自分への命令を頭のなかでくりかえす。


(援護を受けて切り開かれた血路に突入し、敵の司令官を見定める。見つけたらその機体に取り付いて、メインフレームから介入、指揮系統を乗っ取り組織としての抵抗力を寸断する)


「敵防衛ライン突破! 本体、見えました」


「待て、少尉……」


 つぎの瞬間、爆音が轟いて全身に衝撃が走った。



 後刻、軍病院。

 ベッド上にはリノ、傍らに大佐が立っている。


「少尉、どうした?」


 リノは、焦点の合わない目で大佐を見上げる。


「わかりません、大佐」


「負傷はしていないようだが」


「急に……目のまえが、真っ暗に。あとは……おぼえていません」


 大佐は、リノの目のまえで指を振り、


「見えるか?」


「なにも見えません、大佐」


「気にするな。だいじょうぶだ」


 大佐の声を異常にやさしく感じたのは、自分の精神状態のせいだ、とリノは自認した。

 首を振り、滲み出させる弱々しい笑いは「自嘲」だ。


「情けないです、大佐」


「いいんだ」


 背後の軍医を顧みる大佐。

 軍医は軽く肩をすくめ、


「実戦直後のよくある混乱でしょう。しばらくようすを見ます」


「心配はしていない。すぐにもどれるだろう」


 大佐は再び女兵士に目を落とし、優しくその肩をたたいた。

 リノの見上げる顔が、別のだれかに重なって溶ける──。



 ゆっくりと目を見開いたたまきは、そこに大佐を見た、と思った。


「……おはようございます」


 まず声に違和感を感じ、次いで記憶をとりもどしたたまきは、すぐに目のまえの京極の顔を強めにどついた。


「いきなり現れないで。せっかく仙道さんの面影を追っていたのに」


 言いかけてハッとなった。

 脳裏で、夢のなかの大佐と、現世のアイドル・仙道貴一が重なっていく。

 首を傾げる京極に、たまきはひとりごちるように、


「最近……変な夢を見るのよ」


 京極は聞く姿勢。

 これが「トラウマ」のせいなのかどうか、判断すべき立場も能力もないが、すべての情報は必要だ。


「夢、ですか」


「場面場面、飛び飛びで、つぎに見た夢とつながってるわけじゃない。けど、全体としてはつながっている」


 京極は素直にうなずく。


「はい」


「──あたしは兵士なのよ。ロボットみたいな機械に乗って、敵と戦うんだけど……」


 第一目的は鹵獲すること。

 狩り魔女、と呼ばれる部隊で、クイーンという機体に乗り、交戦中、敵の乗るマシンを乗っ取って一時的に味方化する、という戦い方をする。


「なるほど。クイーンですか」


「わけがわからないわ。べつにロボットアニメなんか好きじゃないのに」


「もしかしたら、将棋から連想されたのかもしれません」


 相手の駒を奪って使う、という考え方が影響して、それに物語が与えられた。

 なくもなさそうな話だ。

 が、たまきはすぐに首を振り、


「ちがうわ。似たような夢を見たことは、まえにもあったのよ。最近やたら頻繁に見るようになったけど、たとえば……コンサートに行った夜とか、同じ世界観の夢をつづけて見たことはあった」


「へえ、そういうことがあるんですか。ぼくは夢を見ないから、よくわかりません」


 聞き流しそうになって、ふと、いぶかしげに京極を見る。


「夢を……見ない?」


「知識としては知っています。目覚めているときの記憶を、レム睡眠中に脳が整理する過程で、人間は夢を見る」


「だったら見るでしょ、あなたも」


 京極はゆっくりと首を振った。


「いえ、んです。忘れているだけだと言われますが」


「……変なひとね。だからあんな、わけのわからない勉強ができるのね」


 視線を向ける部屋の片隅、京極がたまきの家に持ち込んできた、量子コンピュータに関する研究論文の数々が山と積まれている。


「では、ぼくは学会に行ってきますね」


 出かける京極の後ろ姿から、たまきは意識的に目をそむけた。


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