6筋


 黒塗りの特注高級車が、静かに目的地を目指す。

 前席には屈強のボディガード。

 後部座席に向き合う形で、たまき、母・森野、父・八神、そして京極がいる。

 たまきは真一文字に口を結び、終始、無言。


「どこへ行くのですか?」


 京極の言葉に、八神が重々しく答える。


だけだ。黙ってついてくればいい」


 重い口調で付け足す森野。


「たまきに乱暴した犯人が、わかったのですよ」


 隣に座るたまきの表情は青白く、能面のように変わらない。

 根底に流れるのは、八神の主張。

 苦い過去から逃げてはダメだ。そいつと直接対決させ、勝利することで過去を償却させよう。

 弱さを乗り越えてこそ、人間には価値がある。


「悪いものは悪い、弱いものは悪い」


 そんな八神の主張に、京極は恐れげもなく対峙する。


「その教育が彼女を追い詰めている、とドクターは言っていました」


 チッと舌打つ八神。

 ──あの医者め。わしに直接言わず、遠回しに伝えてくる輩のなんと多いことか。


 わるいことをしていないのに、ひどい目にあった。

 ひどい目にあったのは、なぜか?

 弱いからだ。


 ──私は弱い、だからわるい。

 その思考回路に重なる、たまきのシルエット。

 たまきは、うつろな表情でネットブックに視線を落とす。


「一方的な暴力を受けた女性に、そんなところにいたほうがわるい、油断してたからわるい、と言うようなものですよ。まちがっています」


 京極の正論を、八神にここまで直言できる人間は、あまりいない。

 また、いたとしても、今回と同じく、八神は真っ向からそれを否定するだけだ。


「ふん、まちがってはいない。虫けらどもがだ。……強くなればいいのだ。簡単なことさ。敗者は悪だが、死ぬか屈するまでは負けではない。ならば勝つまで戦えばいい。ただそれだけのことではないか」


「──乱暴した男を殺してしまえばいい。そう言っているように聞こえます」


 京極の言葉に、たまきの身体がピクリと揺れる。

 八神は当然のように厳かな表情で、


「そう聞こえなかったとしたら、わしの言い方がわるかったということだ」


 凄烈な眼光。本職の目。

 車はゆっくりと約束の地へ乗りつける。




 京都市内にある超高級懐石料理店。

 張り詰めた空気の奥座敷。ぶち抜かれた二間の半ば閉ざされた襖を隔てて、二者が対時している。


 手前方──八神側に、八神、たまき、京極。

 相手方──坂口側に、坂口、坂口息子、北野。

 中間に仲介役・宮前が、日本将棋協会副会長の名のもと、座っている。


「詫びを入れるつもりはないと、そういうわけだな、坂口の」


 八神の言葉に、憮然として応じるのは坂口。

 怒り心頭の八神に負けず劣らず、刀傷を帯びた横顔は完全に極道者だ。


「遺憾には思っとるわ、八神の。うちのバカ息子の半端ぶりにはな」


 ぴくり、と八神の頬が跳ねる。

 たまきに乱暴を働いた男は、西の広域暴力団組長の実子だった。

 さらに、このふたりの組長は、今は東と西に縄張りを隔てているものの、元は同じ釜の飯を食った義兄弟だった。

 複雑な過去の上、現在が立脚している。


「ひとの娘に狼藉を働いた男の親がほざくかよ」


「未遂やろうが。目くじらを立てるほどでもあれへん。しょせん妾の子やないか」


「……きさまにも娘がいたな。吐いた唾は返らんぞ、坂口の」


「おのれの息子が直々にくる分にはな、歓迎するで。もっともわしの娘に、そんな不注意な者はおらんがな」


 もともと思想は似ている両者。

 このまま突き進めばどうなるかもわかっている。


「ひとの娘を殴って踏みにじり、謝罪のひとつもない。それが答えでいいんだな、坂口の」


「おのれもわしも、同じようなことをしてきたはずや。最初は拒んでくる女も、結局は力のある男のものになっとったほうが、しあわせんなれる。おのれの女はしあわせやない、と言うなら別やがな」


「女ひとりに中途半端な暴力で襲いかかるような下郎に、わしの娘をしあわせにしてやれる力があるとは思えん」


「言うたな、八神の。わしら同士はええわい。わしが不肖の息子を罵るんもええ。しかし八神の、おのれの口が言うたらあかんやろ」


 ゆらり、と両者の腰が浮く。


「──きさまがやるつもりなら、わしはかまわんぞ」


「──上等や。おのれとはいずれ決着をつけなあかん思うとったんや」


 刹那、中央で黙って聞いていた宮前が、おもむろに口を開いた。


「そこまでで願いましょうか」


 燃え盛る本職ふたり、八神と坂口から同時に凝視されても、さすがの胆力で堂々と受け止める。

 名の通った大きな公益社団法人の役職づきらしく、それなりに注目を浴びることには慣れている。

 物理的な切った張ったではないが、盤面のうえはいつでも真剣勝負。

 その「勝負師」の顔で、宮前は言を継いだ。


「この場はわしに免じて、納めてもらうわけにはいかしまへんやろか、お二方。どちらもわしの自慢の生徒、喧嘩してほしくはない」


 プロ棋士の重要な仕事として、いわゆるレッスンプロがある。

 将棋という趣味の世界で生計を立てるには、よほど強くないかぎり、ただ将棋を指していればいいというわけではない。

 普及なり指導なり、プロ棋士たちには、それなりの仕事が用意されている。

 今回の仲裁も、ある意味ではその一環といえた。


「わしはかめへんで、センセがそう言うんやったらな。わしの息子をこきおろしたことを、ひと言、謝っといてもろたら今回はそれでええ、手打ちや」


「立会いを願っておいて申し上げにくいが、どうやらこのままというわけにはいかないようですな、先生。すくなくともわしは娘を怪我させられている。単なる謝罪でさえ許しがたいところなのだ」


 八神の発言は、一般社会的な理屈として正しい。

 宮前もそれを認めたが、いかんせんここは「特殊な世界」だ。


「そう、でしょうな。たしかにそのことは謝るのが筋や。坂口組長、どやろう。ここはひとつ曲げて……」


「関西棋院の重鎮が、曲がったことを勧めたらあきまへんやろ。そもそも宮前センセは、別に言いたいこともあるんやないですか」


 眉根を寄せる宮前。


「……だいぶ派手に稼いでおるようで、快く思っていない者が多いことも事実」


 ちらりと坂口側の末席に座る北野に目をやる。

 坂口は、不敵に笑って言った。


「面倒な言い回しはいらんで。最初からやったんやろ」


 極道という特殊な世界に、真剣師という生きざまが絡みついて、新たな模様が描かれようとしている。


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