5筋


 病院の休憩室。

 盤面にコーヒーを並べ、八神と京極が向かい合っている。


「将棋のソフトをつくっているらしいが」


 八神の問いに、京極は顎を引く。

 男同士の対話は、ある意味で「対局」である。


「ええ、テッセラクトというソフトですが、そこそこ強いようです。ことしの成績は良くなかったですが、また改良してみます」


 将棋ソフトの要諦はつまるところふたつ、読みを進める「速さ」と、それがいい手だったかどうかの「評価」に収斂する。

 基本プログラムさえ組んでしまえば、あとはAIが局面のデータを自動的に収集する。

 データは他のAIなどとの対局で無限に蓄積されていくので、あとはプログラムを組む人間の発想力に帰結することになる。

 学習データをどう料理するか、という「腕」が問われるわけだ。


「話は聞いている。仄聞するところ、コンピュータはとうにプロを超えているのだろう?」


 八神はコーヒーを置き、目線を上げる。

 京極は偏った理系のまなざしを返し、


「だからこそ、彼女のがわかるんです。うちのテッセラクトが、つづけざまに最適解エクセレントを発しましたから」


 レーティング4000以上という強さのコンピュータが、対局後に再検討した結果、当初の予測を超えた(つまり自分の負けを認めた)場合に発せられる、「最適解」。

 たまきのレーティングは、短期的なデータながら3300を超えているという。

 これは人間の限界とされている数値、すなわちトッププロの領域だ。


「とにかくすごいレートを出したことは、事実らしいな」


 男は「事実」を重視する生き物だ。

 過程で「よくがんばった」「参加することに意義がある」などと、表向き言うこともあるかもしれないが、そんな言葉を信じてはいない。


「ええ、テッセラクトはそう言っています」


 たまきの能力は客観的な数値として、すでに人知の究極に達している──と、すくなくともコンピュータは判断した。

 ならば彼女は……何者か?


「……そのところ、興味をもたれてな。近いうち会席の場を設けた。おまえも会ってみるか?」


 八神の脳裏にある大物の姿を、京極は共有することができない。

 そもそも興味なさそうに、気の抜けた返事をする京極。


「はあ……」


宮前みやまえ邦正くにまさ永世名人。関西棋界の重鎮であり、日本棋界の宝でもある。個人的に将棋を教えてもらったこともあってな。その先生に立ち会っていただき──」




 大阪市内、通天閣が見える店に、ふたりの男が向かい合って座っていた。

 升田幸三を思わせる容貌の宮前は、日本将棋協会のトップに並ぶ大物。

 向かい合う中年の男は、とある将棋道場の席主。


「聞いてるんですか、先生。お願いしますよ」


 祗園から直行してきた宮前は、着乱れた襟元に手を突っ込んで掻きながら、大きくあくびをくりかえし、店内のプランターに、かーっと痰を吐いた。

 いやな顔をするウェイター。


「反省はしてますがね、おかげで常連が遠のいちまって……」


「オイタが過ぎるとどうなるか、それとなく教えたったらどないや。にツテがないわけでもないやろ。わしもこれから、のトップと会食や」


「逆にらしいですよ。の代打ちとして。おかげで、やりたい放題だ」


 宮前は一瞬眉根を寄せ、頭のなかでつながった線をたどる。


「……そうか。西のの有力候補ってのは、そいつかい」


「いまじゃ少なくはなりましたがね、小競り合いの手打ちには、たまにあることです」


 プロ崩れの真剣師に代理で麻雀や将棋を打た(指さ)せて、勝ったほうの言い分を通す、という手打ちの方法。

 血を流さずにいざこざを解決しうる手段として、賢明といえないこともない。

 支払いは僅か、負けた真剣師の血のみ……。


「公けには、わしはにかかわるわけにはいかんのやがな」


 肩書き、日本将棋協会・副会長。

 ──一応は公益社団法人。反社会的勢力のいざこざには当然、距離を置かならん。が、将棋に関することでもあり、それなりの調べは入れておく必要もある。


「奨励会崩れのようで」


「せやろなあ。だいたい将棋で食うていこうなんぞ考えとるやつは、頭んネジ何本かぶっとんでもうとるもんや」


 自嘲気味にせせら笑う宮前。

 オープンカフェを隔てて、目のまえには通天閣将棋センター別棟。通称・べっとう。

 有名棋士がお隠れでやってくるスポットであり、賭け将棋ができることでも知られている。

 もちろん、だれでも賭けられるわけではない。特別に差配する人がいて、紳士的にコントロールされている範囲内で、一定の金銭のやり取りをする。


「事情は、まえに説明したとおりなのですが」


「だとしたら追い出しづらいな。ルールを逸脱したわけやない」


「だから困ってるんです。十二倍戦をやりましてね……」


「こっちから吹っかけて勝ち切られたわけか。条件は?」


「恥ずかしい話ですが……負けるまでは自由に指させると」


「最低限の条件やないか。そら追い出せへんのう」


「あの強さでプロじゃないってのが、そもそも」


 席主の言葉に、宮前の表情が厳しさを増す。

 席主はわずかに首をすくめる。


「口に出すのも不愉快やが、ソフト指しちゃうやろな」


「タイトル戦ほど厳重じゃありませんがね、電子機器のチェックはしっかりやらせてもらってます。もちろん離席なんて許しませんし」


 宮前は苦虫を嚙み潰したように視線を外し、立ち上がりかけた姿勢をもとにもどす。

 棋士が自由に歩きまわられへんとは、世の中どうなっとんねん、とでも言いたげに。


 もちろん宮前の世代にとって、プロがソフト指しに手を染めるなど、考えの埒外にある。

 が、事実、若手のあいだでは伝染病のように蔓延し、タイトル戦にまでケチをつけられる段にいたって、ついに海外メディアに取り上げられるという不祥事にいたってしまった。


 棋士の不正。ありえない事態だ。

 対応する協会上層部の不手際もあって、結果、関連する役員の首の多くがすげ変わった。

 皮肉なことに、これによって進みつつあった次世代への禅譲が巻き戻され、宮前の世代が再び会長・副会長を占める事態となっている。

 つまり現在、一時的に協会は時代に逆行するような体制になっていた。


 ──人工知能は、いずれすべての面で人間を凌駕することになるだろう。

 だが、人間そのものは変わらない。

 相手が、かつてプロを目指した人間であるかぎり、そして、一度はプロの頂点にまで上り詰めた宮前である以上、なんらかの負うべき責務があるのではないか。

 プロの夢破れた数多くの男たちのなかで、違法な賭博の方法として将棋とかかわりつづける男に、始末をつける責務が──。


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