曾我部龍臣は古傷を自慢する


「というわけでな、この傷にはエライ理由があんだよ、オトコだろ?」


 左足を助手席のダッシュボードに蹴り上げた姿勢で、龍臣は左足の膝の上にくっきりと刻まれた傷跡を指さした。

 その間も、クルマは疾走をやめない。

 安全運転などという考えは、この無免許高校生には皆無だ。


「きもォ! タッちゃん、きもォ!」


 千夏が助手席で嬌声を上げる。

 時間つぶしにと龍臣が語ったのは、ガキのころ海でスッこけて、膝に大けがをした、という話。


 傷そのものは自然に治ったが、なにかの卵が体内に寄生したらしく、痛みがあるので手術で取り除くことになった。

 すると膝の皿の後ろには、卵がびっしりと……。


「フジツボのパターンだろ、それ」


 有名な都市伝説だ。

 すずの言葉に、龍臣はふりかえってにやりと笑い、


「信じる信じないは、あなた次第です」


 ちょうどいいタイミングで、重低音を響かせていたギターリフがブレイクする。

 車内に流れているスラッシュメタルの音源は、すずのスマホから飛ばしているものだ。


「おまえのせいで、あたしの神聖なメタルがイカサマ臭くなったわ」


「げらげら。まじ田舎すぎ、高速データ圏外とか、ストリーミングもできやしねえ。しかたねーからでも聞いてやっけどよォ」


 文句を言いながらもハンドルをたたいてリズムを取り、いかに通行量が少ないとはいえ、自殺したいのかという速度でクルマを疾走させる龍臣。

 オンラインから切り離されることに、千夏も含めて慣れていないようだ。

 一方すずは、むしろ「切り離されたい」と思っている、いろんなことから。


「けど意外だったよ。あの人形の話をするものだとばかり思ってた」


 怖い話してやんぜ、と龍臣が語る以上、女たちはラゲッジの日本人形の話だとばかり思っていた。

 しかし龍臣自身は、そのことについて語るつもりはないらしい。


「この傷と無関係じゃねえよ」


「どゆこと?」


「どうだっていいだろ。のことは、あんまり考えないほうがいいぜ」


 語りたがらない龍臣を無視して、すずは自分の座るシートの裏、ラゲッジスペースを示唆して問い直す。


「……だろ、この人形さ」


 ルームミラー越し、持ち主である龍臣は、引き離すように目をそらす。


「ああ、さっきコンビニで、しげしげと見てたよな、すず。そいつの名前はぬい、ってんだ」


「ぬい……」


「あんまり見ると呪われるぜ、ひゃはは」


 わざと冗談めかしているが、成功したとは言い難い。


「龍臣さ、この人形、どこへ捨ててももどってくるって言ってたろ? もちろん信じてなかった。けど、いまは信じるよ。この人形、本物だな」


 すずの言葉に、しつけえな、いいかげんにしろとばかり、龍臣から話題を変える。


「そんなことより、いまはバカスの千夏をぼろくそ言ってやれよ。こいつがバッグなくしたとか言って、探しにもどってるんだぞ。あるかどうかもわかんねーのに」


 バッグなくした。

 そう千夏が騒いだせいで、コンビニに止まり、さんざん探しているふたりをしり目に、すずはラゲッジの人形としばらく見つめ合っていた。


「千夏のバッグ? ああ、。まちがいなく、さっきの神社でクルマを止めたところの近く、に千夏、降りるときからな」


 すずの言葉に、一瞬、時間が止まる。

 さすがに聞き流すことができなかった龍臣と千夏は、同時に後部座席をふりかえり、


「はあっ? おい、どういうことだ、すず。わざわざもどってるんだぞコラ! まさかてめェ」


「だから言ってるだろ。バッグは、千夏が落としてたのを、だけだって」


「ガチか! ちょお、すず、あんたねー」


 いっこう動じることなく、すずは腕組みをして言を継ぐ。


「それより呪いの人形さ。もちろん信じてなかったから、あたし千夏のバッグの横に置いてきたんだよな。ある意味、親切な保険だろ」


 取りにもどるべきものがあれば、引き返しやすくはなるだろうと思った、が。


「置いてきたものが、なんでうしろにあんのよー。それじゃウチのバッグもあんじゃないのー?」


 ふつうに突っ込む千夏の一方、龍臣は、さもあろうとばかり口を挟むようすはない。

 再びミラー越しに、すずと龍臣の目が合った。


「龍臣は気づいてたのか? たしかに置いてきたのに、いま見たらちゃんと後ろに乗ってた。

 途中、大学生たちとすれ違っただろ。あのときもなかったはずなんだ。けど、大学生たちがこっちを見る目が変だった。彼らには見えたのかな。

 で、いまは、あたしにも見える。ちゃんと置いてあるな、人形」


「ったく、無理ゲーかましてんじゃねーぞ、すず。マジで、てめーはよォ」


 それでも龍臣は自分から、それ以上語ろうとはしない。


「もしもし、あたしオニンギョーさん。いま、あなたのうしろ」


 千夏がおどけた口調でケータイの着信音を鳴らし、有名な都市伝説の定型句をトレースする。

 龍臣はクルマのヘッドライトをつけて天を仰ぎ、


「くっそ、マジで天気やべーな。バッグくらい諦める気ねーのかよ、千夏」


「うぇーい。あるってわかった以上、もう取りに行くしかないじゃん。ねーすず? だいじょうぶよ、いざとなったらお人形さんが守ってくれるって」


「けっ。言っとくけどな、そいつはんだぜ。その人形の皮膚はな、人間の肉と」


「ちょっとタッちゃん、前見て前!」


 さっきはなかった倒木が、行く手を遮っている。

 避けようにも崖の道は左右にスペースがほとんどない。

 持ち前のパワーで強引に突っ切るように進むと、倒木に巻き込まれるようにもろい崖土がバラバラと崩れる。


「そういえば、最初にきたとき龍臣、なんか市役所らしいマークのついた看板、崖の下に捨ててたよな。あれ、なんて書いてあった?」


 かろうじて落下を避けた車中、アドレナリン全開の龍臣からの答えは、他の面々にとっていちばん聞きたくなかった言葉に近い。


「崩落危険。崖が崩れます。森林整備中。車両進入禁止。雨天時完全通行止め。あとはなんだったかな。市の営林課とか、あと山岳警備隊の名前で、なんかそんな警告?」


「……とにかく、絶対はいるなって書いてあったわけね」


 短く嘆息し、後部シートに身をうずめるすず。

 助手席では千夏が、さっき買ったビールをラッパ飲みしながら、


「ゼロ意味、手遅れ、お疲れちゃん、あはは」


「まあ、細けえこたー気にすんな。みんなはいってきてたし、いいんじゃね?」


「ひとがはいってきたのは、おまえが警告を捨てちゃったからだろ。もう好きにしてくれ」


 ふてくされたようにビールを受け取りつつ、窓の外に目線を投げるすず。

 見上げれば曇天。

 まだ夕方というにも早すぎる時間なのに、ライトを点灯しなければ進めないほど暗い。


 美しく、死ねるかな。

 バックミラーのすずはそんなことを考えているように見えたが、龍臣の視線はそのさらに背後、黒髪を振り乱す人形の幻影のほうにある。


 やるならせいぜい派手にやってくれよ、縫……。

 龍臣は破滅的な思想に身を任せ、さらにアクセルを踏み込む。


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