小平秀人は廃村の千客万来に戸惑う


 乱暴に壊された拝殿の木枠を並べながら、秀人は首を振って嘆息する。


「ひどいことするなあ。命にかかわるバチが当たらなきゃいいけど」


「バチ、ですか。そんなもの、とっくに……」


 巴は暗い表情で、崩れかけた境内を見渡す。


「さっきから暗いなあ。ねえ一条さん、ここで、俺に取り憑いたやつもんじゃないの?」


「基本的には、そう思ってました。御祓いなんて呼んでいいものではないですが」


「過去形やめてよ。けど御祓いもなにも、禰宜ねぎ宮司ぐうじもいないんだけど」


「マスターは必要ありません。さえいれば、ははじめられます」


「……ゲーム?」


 顔を上げ、ふりかえる秀人。

 その瞬間、いくつかの運命の糸が、一点に絡み合ったような感覚をおぼえたのは、彼だけではない。


「どうやらご存知のようですね、ここのについて」


 背後からの声。

 ふりかえった秀人たちの視線のさき、さっきとは別の男女が立っていた。


「だれだ、きみたちは」


「はじめまして、大学のフィールドワークで、サークル仲間と調査にやってきました、向井といいます。こちらは桜木」


「桜木藍那にゃ。あいニャンと呼んでいいにゃん」


 一瞬、毒気を抜かれた秀人に代わって、巴は厳しい表情で一歩を踏み出す。


「あなた……の方ですね」


 まっすぐに見つめるのは、向井と名乗った青年の襟首に光る紋章。

 向井はひとつうなずいてから軽く肩をすくめ、襟の紋章をピンと指ではじきながら、


「こいつの意味をご存知とは、やはり、あなたも部外者ではないようだ。──の案件ですね、ここは」


 びくり、と巴の背中が震える。


「本山では昨今、総祓そうばらい案件で、ローマカトリックでも手に負えなかった悪魔祓いを受けたとか」


「おやおや、そこまでご存知とは。どこぞの分家筋、ですか?」


 巴はしばらく向井を凝視していたが、ほどなくハッとして表情をこわばらせる。


「総本家の──」


「いやいや、ぼくは別家へ放逐組ですよ。総本家は兄貴が継ぎますからね」


 しばらく彼女らの会話を黙って聞いていた秀人は、我慢できずに割り込む。


「お知り合いですか? あの、どうも、はじめまして、小平秀人といいます。こちらの、一条さんのご紹介で、こちらで御祓いを受けにきたんですがね」


 秀人がさらに一歩を踏み出した瞬間、向井は反射的に一歩退いた。

 向井は、その自分の行動におどろいたように、再びまじまじと秀人を見つめ、直後、表情が固まった。


 秀人のなかで、その所作が、だれかに重なる。

 思い出すまでもなく、いま隣にいる巴が彼に対して最初に見せた態度に等しい。

 もう一歩、踏み出した秀人の動きを制して、向井はゆっくりと、噛み締めるように言った。


「そのままで。……。いえ、なんでもありません」


 それから彼は、秀人となるべく視線を合わせようとせず、もっぱら巴と会話をつづけた。

 巴が、先刻、若い三人組がここにいたことを話すと、向井という男も、彼らとはすれ違いましたよ、と応じる。

 その後、彼らは東側へ向かい、役場の支所と分校があった場所を最初に調査したという。


「いまも仲間がふたり、そこに残って調べてくれていますが。日本の過疎化と地方廃村の現実、またそれにまつわる民俗学的資料と流言飛語の研究について、ね」


 効率よく調査を進めるため、向井たちは二手に分かれ、自分たちは西へ。

 そこで新たな登場人物に出会った、という。

 巴は眉根を寄せ、


「家族連れ?」


「千客万来の理由は、あなたも察しているのではないかな?」


 含みのある物言いを、秀人も桜木も理解できなかったが、巴の表情には少なからぬ共感があった。

 とにかく村の西側では、かつてキャンプ場が運営されていた渓流地帯で、両親と姉弟という家族連れが、この平日に季節外れのキャンプを敢行しようとしているのだという。


「それは、どういう」


 会話に参加しようと秀人が足を踏み出した瞬間、向井は切り上げるように言った。


「それでは、ひとまず仲間のところへもどります。たぶん、また会うことになるでしょう。とりあえず、いまは失礼します」


 そのまま逃げるように、桜木をせかして踵を返す。

 再び取り残された形の秀人たち。

 まずは訳知り顔の巴に問いたださなければならない、と思った。


「……ええ。総祓い、というのは本山の僧侶が総がかりで除霊にかからなければ対抗できないレベルの、超高度心霊事案のことです。

 お気づきかもしれませんが、彼は密教系の宗門で高位に属する方なのです。襟に卍をあしらった図案があったでしょう」


 お気づきではなかったが、とにかく会話のなかに出てきていたので、見てはいた。


「見たことありますよ。仏教系の大学で、あんな感じの校章。よく見れば彼らのスーツ型制服も、大学のやつでしたよね」


「その校章の原型が、彼の襟の図案なんですよ。校章などでは簡略化されていると思いますが、戦国時代以前からある、すごく古い家紋のようなものなんです。

 そのなかで、本家筋の方や一部関係者のみ、精密な形で角をあしらった意匠があって……分家は卍の下に一本角」


 そう言って、巴は自分のハンドバッグを開いて見せた。

 その内側の留め金に、彼女の言う一本角の卍がある。

 それで秀人にも、彼女らの関係が多少なり類推できた。


 巴がもっているのは、力の弱い分家の証。

 本家筋は上部の左右斜めに二本角、そして総本家だけが、三本角で卍を取り囲んだ意匠を許されている。


 彼、向井のように。

 向井の襟に留められた〝三本角卍〟は、一部の人々にとっては尊崇と畏怖の対象であるようだった。


「へえ。まあ、聞いといてわるいけど、興味ないっすねえ」


 言いながら境内から出て行く秀人。


「いえ、場合によっては、彼らの力を借りることも考えたほうが」


「そういえば除霊の名門なんでしたっけ。まあ、差し迫った危険を感じてから考えますよ」


 事ここにいたって、秀人の危機感は依然さほどでもない。

 彼女は嘆息して首を振り、


「あれは、すぐ、ここへ、帰って、きますよ」


 強く、噛んで含めるように、秀人をまっすぐに見据える、彼女の目には恐怖だけがあった……。


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