向井清純はふりかえらない


 運転席からまっすぐ前方を見据え、向井は助手席の桜木に問うた。


「感じますか、桜木?」


「んもう、向井にゃんのエッチ。触ってもいないのに感じるにゃんて」


 どうやら桜木も、あとに残してきたふたりと同じモードに突入しているらしい、と鋭敏に察する向井。

 彼は直接相手にせず、短く嘆息する。


「一応、観察力は買ってやってるんですがね。……ま、わからないならしかたない」


「わかったにゃ。この道、さっきとちがう」


 桜木はすこし真剣さをとりもどし、十字路の手前で減速した向井の真意を理解する。


「どう、ちがう?」


「さっきは南北に走る道だけしか、タイヤの跡がなかったにゃ。けど、いまは東西に向かう道にも跡がある」


「そう。東に向かう道は、ついさっき、ぼくたちがつけたもの。そして西に向かう道についた、この新しいわだちは……」


 向井はアクセルを踏み、そのまま西へと直進する。

 ごくり、と息を呑む桜木。


 タイヤの跡の大きさからして、さっきのRV車ではない。

 なにが書いてあるのかわからない傾いた看板や、かつて電柱だった倒れた木の棒の横を抜け、蛇行しながらさきへ進む。


 森のなかに開けた空き地とも言えないスペースに、そのセダンは止まっていた。

 向井は恐れ気もなく、セダンの近くまでミニバンを進める。

 セダンの周囲には四人の家族連れがいた──。




「こんにちは……」


 車から降りた向井に、まずは家族連れの父親らしい男から、遠慮がちの挨拶の言葉がかけられた。


「どうも、はじめまして。向井といいます。こちらは桜木。われわれ大学のフィールドワークで、この廃村を研究にきたのですが……」


「あ、そうなんですか。わたしたちは、ええと、キャンプです。ここにキャンプ場があるって、ええと、雑誌に載っていたので」


 目ざとく男の手に古い雑誌を見つける向井。


「キャンプ場、ですか。おかしいな。この村にそういう施設ができたなんて話、聞きませんよ?」


「でも、さっき看板がありましたよ。キャンプ場の」


 傾いて字も読めない看板をよくよく調べれば、たしかに「この先キャンプ場」と書いてあるのかもしれないが、根拠としては弱い。


「聞いたことありますか? 桜木」


「ほんとですよ、ほら、雑誌にも載って」


 その必要もないのに言い訳がましく、古ぼけた雑誌を手に言い募る父親に向ける向井の目は、おそろしく冷たかった。

 ──その雑誌の発行日は、十年以上まえ。

 それも、ごく小さな地方雑誌の囲み記事。

 となると、その事実は家族連れの「怪しさ」を払拭するより、むしろ強調する方向に働きかねない。


 たしかにこの村に一度、キャンプ場が設営されたことはあった。

 だが結局、ひと夏も維持されることなく閉鎖となった。

 忌まわしい事故があったのだというもっぱらの噂だが、事実は利用者の極端な少なさが原因だと考えるのが妥当だ。


 その古雑誌を、どこぞの古本屋で見つけて、このキャンプ場に遊びに来た。

 父親がそう言うのであれば、信じるしかない。だが、彼はもうそれ以上、自分たちがここにいる正当性を主張しようとはしなかった。


「さあ、みんな、キャンプの準備だぞ」


 父親にうながされ、背後の家族三人がのろのろと動き出す。

 四十代の父親と、三十代後半らしい母親。

 それから中学生の姉と、小学校低学年だろう弟、という家族構成が見て取れる。


「きょうは、小学校の創立記念日でしてね。わたしもちょうど休みが取れたので、平日ならキャンプ場もすいてるだろうと思いまして」


 もう一度だけ、必要のない言い訳を重ねる父親。

 向井は詰問口調にならないように、なるべく平板な物言いを心かげて、


「そうですか。……本気で、ここでキャンプするんですか?」


「だいじょうぶですよ、道具はもってきていますから。学生さんたちは、もちろん暗くなるまえに帰られるんですよね?」


「そのつもりですが、ほんとにだいじょうぶですか? 野生動物も出るだろうと思いますよ」


「キャンプは慣れてます。問題ないですよ」


 きっぱりと言われては、向井もそれ以上、かける言葉はなかった。


「そうですか。あの、最初に言ったとおりフィールドワークの一環なので、村の写真を撮らせてもらってるんですが、いっしょに写させてもらってかまいませんか?」


「写真は……っ、いや、いいですよ。どうぞ」


 一瞬抵抗しかけた父親は、しかしすぐに撮影を認めた。

 向井の指示を受け、桜木が家族連れを含めて写真を撮っていく。

 向井もそれなりに枚数をこなしながら、自然に家族連れのなかに入り込んでいく。


「キャンプかい、少年? 楽しみだね」


「うん……」


 男の子の肩に手をかけようとして、動きを止める。

 感じた違和感はほんの一瞬だが、向井にはそれでじゅうぶんだった。


 ふりかえると、そこでは桜木が姉のほうに話しかけている。

 彼女も、向井と同じ理由かはともかく、女の子に触れることなく当たり障りのない会話を交わしている。


「こいつは、ほんとに」


 しばらく自然な流れに任せて動きながら、桜木と合流する。


「ほんとに、すごいことになってるにゃ」


「行きますよ、桜木。こんなところでおどろいてる場合じゃない、かもしれない」


 北のほうを仰ぎ見て、向井はゆっくりと歩みだす。

 桜木はぞくりと背筋をふるわせ、ネコのように足音を殺して、彼のあとにつづいた。


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