小平秀人はルーツをたどる
「ここが
巴が不気味な静寂のなかにある廃村を、緊張の面持ちで眺めやっている。
「正直、聞いたことがあるんですよ。でなかったら、たぶん」
秀人も、わざわざ急に休みを取って、付き合ったりはしなかった。
彼は真剣な面持ちで、自分の血脈に連なる土地に、思いをいたしている。
──この村は二十世紀初頭にはすでに廃村で、一部の宮司だけが残っていたようだが、いまはもう完全に無人となっている。
かつて住んでいた人々は、ふもとの村へ移ったり、都市へ出て行ったりした。
そのなかに秀人の祖父母もいて、昔話のように山奥の村の話を聞いたような記憶が、彼の深層心理にうっすらと残っていた。
たったそれだけのことであれ、きっかけとしてはじゅうぶんだった。
巴はうなずき、自身の予備的な調査について淡々と語る。
「限界集落の増えている山陰地方のなかでも、ごく初期に廃村となった場所です。縁起としては崇高で、出雲大社の原型があったともいわれています。
全国から神が集まる場所として、一時、宗教的に最有力の土地だったらしいのですが、あまりの交通の便の悪さなどから廃れ、歴史の波に埋もれ忘れ去られていきました」
「近隣からは剥ぎ取り村と呼ばれていて、追い剥ぎのアジトがあったからとか、そこには牛鬼が住んでいて、討伐にやってきた武士の皮を剥ぎ取ったからとか、いろいろ怖い昔ばなしがあったそうですよ」
秀人の言葉に、巴はゆっくりとふりかえる。
──やはり、あなたをここへ連れてきたことは正解だった。
そんな雰囲気を感じはしたが、まだ彼女の表情からその真意をどう汲むべきか、秀人にはわからない。
「〝はぎとり〟村にはもうひとつ、別の意味もあるのですよ」
視線が交錯し、長すぎる沈黙が降りる。
やがてさきに耐えかねた秀人が視線をそらし、問題を現実に引きもどす。
「やっぱり、先乗りがいるらしいですが」
「たぶん、われわれと大差ない立場の人間でしょうね」
含みのある巴の物言いを、秀人はあえて追及しない。
彼は村の入り口に、ごく最近つけられたばかりであろう爪痕を調べる。
腐りかけた木枠で、そこは封鎖されていたにちがいない。
だがそれを突き破って進んだ、おそらくRV車の痕跡が、路面にはっきりと残されていた。
しかもその痕跡は、いまにも土煙が立ち上ってきそうなほど、あまりにも新しい。
「追いかけてみましょう」
引き返した跡はない。このさきに、だれかがいる。
決意をこめた視線を、ふたりは同時に前方へと向ける。
「かまいませんが、躊躇ないですね。俺なんかは、あなた方の恐れる霊とかいうものより、よっぽど生きている人間のほうが怖いと思います。とくにこういう罰当たりな行動を、平気でする人間というものは……」
道端の道祖神は蹴り倒され、破られた木枠の横には危なく火災になりかけた燃え跡と、タバコの吸殻、スナック菓子とペットボトルもポイ捨てされている。
「彼らも、すぐに思い知ることになりますよ、だいじょうぶです」
なにがだいじょうぶなのか、秀人にはわからない。
訳知り顔で、ゆっくりと車を進め、萩取地区の境界に踏み込んだ──瞬間、巴はおこりのように全身をふるわせた。
鈍感な秀人すら、なにか空気が変わったことを感じ、周囲を見まわしている。
「だいじょうぶ、ですか?」
言うほど大丈夫そうではありませんよ、という秀人の視線を受け、巴は首を振る。
「甘く見ていたのは、私なのかもしれない……いいえ、ほんとうにだいじょうぶです、昼間なら、まだ……」
ぐっとアクセルを踏み込み、さらに奥へ。
──高所から俯瞰したとき、平坦地はほぼ皆無。
高低差が著しく、低所からは村全体を見渡すことができない。
そのごくせまい土地を東西南北の四つに区分し、それぞれの方向に伸びる道の南側から、彼らは村へと入り込んだ。
出るにも入るにも、道はここしかない。
山間の渓流に沿って、この南側の道だけが唯一外界との窓口となる。
ほどなく村の中央まで進むと、道が三方に分かれた。
「まっすぐ北に向かっていますね」
地面のタイヤ痕を追うことに、いまは集中すべきだという判断。
秀人の言葉にうなずき、巴はまっすぐ北を目指す。
探すまでもなく、狭い土地に、その車は傲然と停車していた。
いわゆる高級車に分類される、世界でも人気の国産RV車。
巴の軽自動車が必死で上り下りしてきた山道も、目のまえに停車するオフローダーにとっては、なんの苦労もない散歩道であったことだろう。
見上げれば神社の参道があり、どう考えてもその手前で止めるべき場所より、そうとう入り込んだ場所まで進んで止まっているRV車から、距離をとって停車する。
「だれか乗ってるのか……いや」
目を凝らす秀人。
RV車のリアウィンドウに見えたと思った人の顔は、
「人形?」
巴は、ぞっ、と背筋をふるわせた。
状況にあまりにも不釣合い、考え方によってはぴったりな、不気味な日本人形が、RV車のラゲッジから背後を見つめていた。
「肝試しツアーでもやってるんでしょうね、きっと」
どこか腹立ち紛れの口調で、秀人はRV車に歩み寄る。
しばし人形を見ていたが、すぐに目をそらした。
なにかを感じたわけではないが、不気味であることに変わりはない。
見慣れないナンバープレートは四国のものらしく、助手席のドアが半分開かれたままになっている。乗っている人間はいないようだ……と判断するまえに、話し声がしてそちらに視線を転じた。
「しくったわァ、なんもねーじゃんよォ?」
「きゃっはは、ざまぁ。ご利益って目に見えないもんやしー」
「罰当たりビッチに、ご利益とか神さまもブッチやろ」
「トンデモ罰当たりはタッちゃんでしょがー。あっちこっち壊して、もう天罰オワタでー」
参道の石段を降りてきた男女と、その下に並んで立つ巴たちの視線が交錯した。
その若者ふたりは一瞬、互いに視線を交わしながら、
「あれ? もしか、ここ、けっこう人気のパワースポット?」
「ワンチャン? ねえわ」
挨拶するでも会釈するでもなく、新たに現れた男女は巴たちを無視して、自分たちの乗ってきた車へと向かう。
どちらもそうとう若い。巴の目には高校生に見えた。
「きみたち、勝手に……」
正義感の男らしく、秀人が声をかけた。
「あー、もう帰るし。べつになんもわるいことしてねーよ、おれら」
「タッちゃんだけ、めっさしてっし。きゃっきゃウフフ」
「神さまオワコンのお知らせってことで、ぷげら」
言い合い、げらげら笑うふたり。
巴たちの率直な感想は、頭わるそうだな、だ。
女は厚すぎる化粧に茶髪。
小柄だが肉感的なところもあり、ブランドものらしい服があまり似合っていない。
ピアス、指輪、ネックレスといったアクセサリーはパンク仕様で、鼻にもピアスが光っている。
そんな女にふさわしいと表現するしかない男も、同様にパンクな服装で、上下の皮製品はかなりの高級品らしいことが見て取れる。
乗っている車は、彼のものらしい。
おそらく親族が資産家なのだろう、と秀人たちは判断した。彼自身は、ただのバカ息子にしか見えない。
「お参り……済んだのか?」
ふと、意識の外から聞こえた声に、秀人たちは必要以上におどろき、びくっと身をすくめた。
この場にいるのは四人、という先入観の外側、RV車の半開きだったドアがいつの間にか開いていて、そこには別の少女が立っていた。
一瞬、ラゲッジの日本人形が、生きて動き出したのではないかと錯覚する。
ひし形シルエットのクールな前下がりショートに隠れて、一瞬錯覚するが、左目の真ん中にヒビ割れメイクを施している。
耳から垂れ下がるヘッドホンからは、鼓膜にわるそうな音量で響き渡るヘビーメタル。
ヒビ割れ以外の化粧っ気はなく、サマーコートを羽織った下の服装は、モノクロを基調としたノーマルの高校の制服。
その見た目の普通さに比して、表情のない能面にも似た顔の下に隠された闇の深さが、なにやら空恐ろしい雰囲気を醸し出している。
「なんだよ、すず。遠慮しねーで、おまえもお参りしてくりゃいいじゃんよ」
「なんであたしが遠慮しなきゃならん。くだらないから行かないだけだ」
ぞんざいな口調で語る少女の声は意外に繊細で、見た目とのアンバランスをさらに際立たせる。
彼女は新しいロリポップの包装を解き、口内に放り込んだ。
「ま、たしかにくっだらない感じだったけどね。タッちゃん情報、盛りすぎィ」
「情弱のくせに、よう言うたな、おい」
がやがや言い合いながら、三人はそれぞれ車に乗り込んでいく。
次声をかけるタイミングを失った秀人たちの目のまえで、RV車は傲然と敷石を蹴倒しながら、さっき来た道を、土煙を上げて走り去っていった。
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