一条巴はふりかえる


 ほんとうは、逃げ出したかった。

 巴は、秀人の連れている巨大なものと、かかわるつもりなどなかったのだ。


 それでも義務感のようなものから、一度は接触した。

 そのあまりの恐ろしさに、即座に決意した「逃亡」という選択肢は、実行される可能性が高かった。

 枕元に、再び曽祖父が立たなければ。

 ──脳裏によみがえる、深夜の守護霊との会話。


「恐ろしいものを見たな、巴」


「おじいちゃん。うん、とても怖かった。おじいちゃんがいなかったら、私とても正気じゃいられなかったかもしれない」


「じつはな、ラバウルの戦場であれと同じものを、わしは見たことがある。はっきり同じものだと断言はできない。もっとはるかに小さいものだったからな。

 それに当時は、もっとたくさんの自縛霊や浮遊霊が、あちこちにうじゃうじゃといた。あのひどい時代のなかでは、あれほどの因縁霊といえども、極端に強いという部類のものではなかった。それでも、そうとうな力を感じはしたが」


「それじゃ、八十年以上もまえから、は世界中を這い回っていたの?」


「今回とまったく同じ状況だったよ。彼の身体からは糸のようなものが出ていて、それを巻き取りながら、あのは進んでいた。小平当人も、そのことには薄々、感づいているようだったが。

 ふつうの兵士ならばきらう転戦を、彼は喜んで引き受けるようなところがあった。望んで最前線に身を投じようとする気配さえ。まるで、早く死んでとでもいうように」


 死んだほうが楽。そう考える気持ちは、巴にも理解できる。

 彼女は首を振りながら、夢枕に立った祖父の言葉をうながす。


「それで……?」


「苛烈な戦場で、ついに部隊はばらばらとなり、私と彼はたったふたり、ジャングルに取り残された。そのとき、私は彼に約束したのだ。もし片方が生き残ったときは、死んだほうの願いをかなえよう、と。わしが頼んだのはもちろん、家族の行く末だったが」


「彼は?」


「彼は、まったくを依頼したのだよ。わしはを彼に託した。しかし彼は、わしにの清算を頼んできたのだ」


「過去の、清算」


「すべての謎は、彼の出自である山陰の、とある小さな廃村にあるということだ」


 そんな曽祖父の話があったから、巴はもう一度、秀人に接触することを決意できた。

 たとえ藁にもすがる手段であろうと、対策があるならば、試す価値はある──。


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