第2話

 次の日の朝に会ったAさんは変なテンションだった。仕切りににやにやして、ふいに笑い出すと止まらない様子だった。


「気分どう?」俺から聞いてみた。気分が良さそうなのは見て取れた。

「最高だね。思い切って来てよかったよ。スマホに入っている知り合い全員に連絡したよ」

「ああ。そうなんだ。すごいね」

 絶対に後で後悔するようなメールを送っているに違いない。

「元カノによりを戻したいって連絡した」

「元カノ?」

 彼はもう十年くらい療養生活をしているはずだ。連絡をもらった相手も面食らっただろう。

「うん。〇〇の読者モデルをしてて、今度会うことになったんだ」

 お互いの現状を知らないからだろう。あちらも、きっと食えないような仕事をしているんだろうと思った。


 アメリカに来てからというものAさんは病気とは思えないくらい普通に見えた。朝もちゃんと起きて、ツアーの時間に合わせて身支度をしていた。俺たちは別々の部屋を取っていたのだが、Aさんが1人で起きて俺の部屋のドアをノックして来たのだ。ちょっと驚いた。


 Aさんは相変わらずへらへらしていた。俺も似たようなテンションだったから、それほどおかしいとは思っていなかった。


「元気そうでよかった」

「へへ」Aさんは笑っていた。


 俺はC効果で失恋のことなんかすっかり忘れていた。時々、ふと元カノの顔を思い出しては胸の締め付けられるような嫌な気分に陥っていた。その回数もCを吸引した本数に比例して減って行った。


 俺は酒を飲まないから、今回、Cのような人工物に初めて頼った。日本では違法だが、海外では合法だ。健康に害はないとも言われているから、俺は自分の行動を軽率だと思うことはなかった。アメリカ人の考え方としては、酒は人を殺すが、Cは殺さないだ。


***


 その日参加のバスツアーは、観光とショップツアーがセットになっていた。はっきり言って観光はどうでもよかった。ツアーバスの中でCを吸って、そのまま観光地に行ったって、誰も景色なんて見ちゃいないだろう。


 同じホテルからも、同じバスツアーに参加する人達がいた。みんな、Cをやっているから、顔がだらしなく垂れ下がっていて、始終にやにやしていた。若い人もいるのだけど、ナンパしたいかというとそうでもない。欧米の人は年齢が10歳くらい年上に見えるから、かわいいなと思う子はまだ二十歳くらいだったりする。


 Aさんは、俺が可愛いと思ったブロンドの若い子の方をずっと見ていた。顔は小さくて可憐な感じだが、ショートパンツからはみ出した両脚は筋肉質で健康的だった。その子を仮にキャシーとする。その子は女の子の友達と二人で来ていたが、Aさんを怪訝な目で見ていた。同じアジア人でも、AさんがBTSみたいなイケメンだったら嫌な顔はされないだろうけど、Aさんは四十代だし、ただの変な人になっていた。残念ながら、アジア系はアメリカでは人気がない。俺はちょっと心配だった。


 シガーショップに行った時、Aさんはキャシーの隣に座って話しかけていた。はっきり言って相手にされていないが、Aさんはらりっているから気付いていないらしい。俺は見て見ぬふりをして、Cをふかしていた。隣には白いウサギが座っていた。


 C、観光、脂っこくて口に合わない食事。古いホテル。いくら胡麻化しても、底辺を漂っていると言う、虚しさだけが込み上げて来た。


 Cを何本か吸うために、高い飛行機代を払ってまで来る価値があったかはわからない。俺のC体験は、あまり気持ちのいいものではなくなって行った。俺がCで気分よくなっている間は、隣にいつもウサギの着ぐるみが寝ていて、俺はそれを延々と撫でていた。まるで家族に対する感情みたいなものだろうか。嫌いだけど愛していると言うような。純粋に毛皮の肌触りは抜群だった。


 ウサギは徐々に変わりつつあった。見た目は同じなのだが、最初は無生物のぬいぐるみだったのに、次第に人間が入っているという設定に変わって行った。しかも男性だということが俺には分かっていた。


 毛が白くて、眼の赤いウサギだった。なぜウサギが出て来るのかはわからなかった。俺は特にウサギに思い入れはない。

 

 俺は最初に会った時からウサギに依存していた。

 脳では反発しながら、心が彼を求めていた。


 友達?家族?恋人?俺にはわからない。


 多分だけど、無人島に一人になったとして、そこで出会った人ならどんな人でも好きになってしまうのに似ているかもしれない。

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