C*******

連喜

第1話

 俺は長期休暇を利用してアメリカに行った。旅行と言っても決して楽しいものではない。人生を変えるためでもない。行った理由は、ただ、何となく…だった気がする。


 わざわざ治安が悪化しているアメリカに行ったのは、日本では違法のC(以降省略)を試すためだ。決して娯楽目的ではない。最近、メンタルが悪化していて、日本政府がCを解禁するまで待っていられなかったからだ。そうしないと、俺の方がしびれを切らして、ベランダからダイブしてしまいそうだった。


 俺の考えでは、精神疾患や癌などの医療目的に限ってなら、C解禁に反対はしない。外来で処方してしまうと、ネットや路上で売買される恐れがあるから、病院内で医者の観察の元で使用する等の規制を設ければいいのではないかと思う。C以外にも、シロシビンという成分が含まれる幻覚キノコも、アメリカでは精神疾患の治療に使用され始めているそうだ。

 どちらも副作用はあるが、そうしたリスクに目を瞑ってもCやキノコを使用したいほど、精神疾患はきつい。厚生労働省の統計によると、日本人の二十歳から四十歳までの死亡原因一位は自〇だ。アメリカでも同じような結果が出ていて、若い人の〇因の一位はオーバードーズだということだ。この現実が何を意味しているか…。生きることは〇ぬより辛いと言う人が増えているのだ。


 精神疾患がどれほど大変かは、なった人にしかわからないだろう。俺は薬物にはまったく詳しくないが、Cなどは、快楽目的で使用する違法薬物とは基本的に役割が違う気がする。


 アメリカの十代の若者の間では、今はタバコよりCを吸う人が多いそうだ。しかし、安全だと言われているCにも害がある。タバコ同様、煙に発がん性があるそうだ。それから、ついでに書くと精神疾患を発症する原因ともいわれている。確かにそんな気がしないでもない。ハイになって幻覚を見たりすると、その後も症状として残る可能性があるのかもしれない。俺の場合はこうした副作用より、現実から今すぐ逃げたかったのだと思う。


 Cが合法な国でなら、観光客も気軽に試すことができるんのだが、ラリっている状態だと何が起きるかわからないから怖い。財布やパスポートなどすべて取られてしまったら、帰国するまで相当時間がかかるだろう。だから、一人で行くより友達などと行くのが普通かもしれない。俺は友達がいない人間だから、今回Cツアーを決行するにあたって知人を誘うことにした。


 処方ドラッグジャンキーのAさんだ。

 

***


 アメリカの某空港までは格安航空券を買った。そこはアメリカで最もCユーザーが集まる都市として知られている。そこで、Cを提供してくれるホテルに泊まり、さらに、ショップでCのテイスティングができると謳っている現地ツアーにも参加することにした。


 俺は心細かったこともあり、Aさんを誘った。その人とは前の会社で知り合ったのだが、在職中に精神疾患になって在宅療養中の人だった。今五十一歳の俺と大体同世代なのだが、実家暮らしだ。今まで結婚したことはない。


 ちなみに、あちらの両親には、二人でCをやりに行くと伝えていた。最近はほとんど家で寝ている息子がいきなり海外に行くなんて言ったら、普通は納得しないだろう。俺に騙されていると思うかもしれない。結構裕福な家の人で、親はビルを何棟か所有している。働かなくても家賃で何とか食っていける層の人だった。


「誘ってくれて感謝してるよ。今のままだと、生きてる間にはよくならないと思うんだよね」Aさんは言った。俺もそんな気がしていた。


 Aさんが病気になったのは、仕事が忙し過ぎたからだ。俺たちは毎晩深夜まで働いてタクシーで帰宅していた。土日も休みがなかった。土日のどちらかは半日だけ出勤というのが多かった。はっきり言って過労死レベル。仮眠を取るために会社で寝たりもした。俺の経験からしても、激務の職場はお勧めできない。今の若い人は、もう、こんな働き方はしていないと思うが。


「もしかしたら、Cでちょっとはよくなるかもしれないしね。期待してるんだよ。だといいなぁ」Aさんは力なく笑った。「もう、他にできることないから」


 飛行機の中では二人とも酒を飲んで、備え付けのスクリーンで映画を見たりしていた。みんな知ってるだろうけど、飛行機の中は酒が回りやすいので基本的にはやめた方がいい。


 俺がメンタルをやられた経緯を書くと、もともと発達障害グレーなのだが、いい年をして、最近失恋をしてしまったからだ。仕事などでは何とか生き残っていたものの、恋愛は無理だった。みなさん、よく耐えられますねと言いたいくらいだ。失恋で自〇する人がいるのがよくわかる。


 俺は五十近くなって初めて恋人らしい人ができた。その人とは結婚も考えていたが、その人に捨てられてしまった。ひどくショックだった。相手を好きだっただけに余計だ。あっちも俺を好きだと言ってくれたから、どうして?と言う気持ちが強い。


 っていう言い方は適切ではないと思う。彼女は悪くない。結局、俺が駄目だったから愛想をつかされたに過ぎない。


 人に話すともっといい人が現れるなんて言われるけど、そんな気がしないし、その人がいた空白を埋められるものは何もない。失恋した人の多くがそう思うことだろう。


 こんなのありきたりで、バカバカしいと思うだろう。しかし、俺も若かったら乗り越えられたかもしれないが、五十にもなると、その峠を登る気力がもうなかった。


 女性から見たら、五十代は定年が見えているし、経済的な不安があったのだと思う。健康面でも同様だ。六十を過ぎて再雇用だと給料が大幅に下がる。相応の退職金があったとしても、数年で使い果たしてしまう金額だろう。これから子どもが生まれたら、小学生のうちに定年を迎える。結婚となると二の足を踏んで当然だ。


 俺は自分に結婚する価値がないことを頭では理解していたが、精神的にはいつまでも諦められずにいた。なぜ、若い頃にもっと貯金していなかったのかと、繰り返し自分を責めていた。こんなのよくある話だが、もう先が見えている人間としては余計にショックだった。


*** 


 俺がアメリカに行くのは四回目だ。全部観光旅行。英語は現地で意思疎通できるくらいしかできないのだが、知人はアメリカの大学を卒業していたから、英会話については彼に任せようと思っていた。空港に着いてから、予約したホテルに移動した。Cを提供してくれるという付加価値がなかったら、絶対泊まらないと思うくらい、古かった。三十年くらい前の設備をそのまま使用しているような感じだ。壁紙は白地にオレンジの線が入っていて、七十年代風。ベッドも古くて、スプリングがきしんでいた。照明もダサい。カーテンは色あせた黄色だった。床はえんじ色のようなカーペットだった。ところどころにシミがある。フロントのおばさんの感じがよかったから、とりあえず許すことにする。おばさんと言っても七十くらいだ。


 自分の年齢が上がって来ると、おばさんの幅が広がって行く。


 時差があるから二人ともぐったりしていた。外はまだ明るかった。彼はメンタルの調子が悪すぎて、外食はしたくないというので、ハンバーガーレストランの食事をテイクアウトした。


 俺は早速ホテルのフロントに立ち寄った時、早速Cを出してもらった。夕飯を食べたら早速試してみるつもりだった。


 AさんがCをやるのは初めてではなかったそうだ。アメリカに留学していると、友達がCをやっていることは珍しくない。Aさんはその当時はあまりはまらなかったと言っていた。海外に行ったせいでドラッグを始める人は多いが、Aさんは最近処方薬をやるようになっていた。みんな自分は一生ドラッグなんかやらないと思っているだろうけど、ケガなどで鎮痛剤を使用して以降、鎮痛剤の依存症になる人もいる。今は名前を聞くこともなくなったが、マイケル・ジャクソンも頭にやけどをしてから鎮痛剤の依存症になってしまったと聞いたことがある。


 俺はAさんの部屋で一緒に夕飯を食べてから、自分の部屋に戻った。それから、シャワーを浴びて、ベッドに寝そべった。時間的には現地の9時頃だった。Cをやりつつ、このまま横になって寝てしまってもいいとと思っていた。


 俺は緊張しながらCを咥えて火をつけた。俺は体に悪いものは何でも嫌いで、煙草すら吸ったことがない。煙が肺に入って来るのが分かった。激しくむせてしまった。一本吸い終わったら、最後はちゃんと火を消した。火事になるのが怖かったからだ。


 部屋の中もシガーの匂いが充満していた。咳が残っていたけど、次第に頭がぼーっとして、穏やかな平和な気持ちになってきた。古びたホテルの設備がピカピカと輝き出して、まるでネオンに包まれたようになった。これがCの作用か。俺は面白く感じて目を閉じた。


 隣で何かの気配がする。気が付くと隣にはウサギの着ぐるみを着た柔らかい何かが横たわっていた。真っ白で目が赤かった。


 それは、人間でも生物でもない意思のない何かだった。俺は手をかざした。その着ぐるみの中には何かがあるようだった。人差し指で押すと、芯が堅かった。いきなりそんなものが現れても全く怖くなかった。


 まるで、ヒーターのように暖かい空気が俺の腕の方に伝わって来た。俺はその毛皮をそっと撫でた。人工的な毛皮なのだが、柔らかくて暖かくて気持ちがよかった。俺はそれをずっと撫で続けていた。得も言われぬ幸福感が俺を包んでいた。永遠に撫でていられたと思う。


***


 朝目が覚めるとウサギはいなくなっていた。


 俺ははらはらした。もう会えないんじゃないかと焦った。


 多分だけど、俺はベッドに置いてあった毛布を撫でていたのだと思う。Cをやっている間は、それが俺にとって意味のある存在に昇格していたようだ。Cの影響がきれに抜けると、毛布はただの黄土色のけば立った布でしかなくなった。


 俺はまたあのウサギに会いたくてたまらなくなった。


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