ハッピーエンドはまだ遠い

 外灯の下で、私は投げかけられた問いを一生懸命考えていた。はっきし言って荷が重い。そもそも四月一日さんのほうはよっぽど八百比丘尼さんと長い年月を過ごしていたはずなのに、彼女の存在自体がおとぎ話の私のほうがなんとなくわかると言うのが、おかしな話なんだ。

 でも多分。彼はずっと彼女のことを待っているんだろうと思うと。きっと寂しいだろうなあと思ってしまった。


「あのですねえ。私、死んだおばあちゃんからなんでも許されてきましたけど、猫の餌付けだけは絶対に禁止されていたんですよ」

「え……?」


 四月一日さんはいきなり私に話を振られて、困ったように目を瞬かせた。ほら、やっぱりわかってない。

 本当に、八百比丘尼さんの不幸というのは、そういうところからだったんだろう。


「どうしてって聞いたら、『一時しのぎの同情だけで、責任取れないことをしちゃいけない。もし家で飼う、一生世話をするっていうんだったら止めないし止められないけど、ただ今可哀想だという気持ちだけで、絶対にそういうことをしちゃいけない』って、普段優しいおばあちゃんに、本当に珍しく怒られたんです。多分、四月一日さんが八百比丘尼さんにしてしまったことも、そういうことなんだと思います」

「責任……ですか?」

「はい。私、ここで働きはじめて、不死者のひとたちとあれこれ関わってきました。いいひともいれば悪いひともいて、その中でどうしても思ったのは、人間と不死者だと、生きている時間が長い分だけ、どうしても時間の感覚が変わってきてしまうってことです。八百比丘尼さんにしてみれば、本当は村が無くなったときに、せめて村の人たちのことを弔えたらそれでよかったんだと思います……多分、ですけど」


 彼女の不幸は、あまりにも人間のままで、なんの覚悟もなく不死者になってしまったことだと思う。もう二度と死ぬことができないのに、周りが次から次へと死んでしまい、彼女からしてみれば最初は訳がわからなかっただろうに。

 責任取れというのは、なにも結婚しろとか面倒見ろとかじゃなくって、不死者になってしまう覚悟について、もっときちんと聞き出さなきゃいけなかったんだ。そんな空腹な上に死にかけている子に「生きたいか?」と聞いたら、反射的に「生きたい」と言うに決まっているし、なんの肉かわからないものでもがっついて食べるだろうに。

 選択肢がない状態で選ばせることは、詐欺となにが違うのかわかりゃしない。

 四月一日さんは、本気で考えもしなかったという表情を浮かべていることから察して、本気で気付かなかったらしい……そりゃ、八百比丘尼さんだって離れるでしょうに。

 会ったこともない人に心底同情しながらも、私は言葉を選んだ。


「うーんと、いろんな人たちがいるので一概に言えないんですけど。四月一日さんはずっと旅をしていたじゃないですか。それって不死者だとばれたらややこしくなるっていうのと一緒に、仮に人が全くいない場所でも、同じ場所にずっといたら飽きるっていうのがあるんじゃないですか?」

「そうですね、それはあると思います」

「でもね、余裕がない人ってそういう考えに及ばないんですよ。今はなにかとお金が入り用なんで、お盆や正月でも実家以外に行かないって人は珍しくないですし。千年前に至ってはどこもかしもこ危ないんで、一生村で過ごすって考え方だったと思うんですよ。八百比丘尼さんも多分、そのつもりだったのに、それができなくなってしまった。だから四月一日さんを追いかけてきて、ぶん殴ったんじゃないかと、私は思ったんですけど」


 あくまで私がそう思っているだけだ。衣食住が足りていたら、他のこともしてみたくなるけれど、足りてないなら働かないといけない。私だって不死者カフェでずっと働きたくはあるけれど、バイトだけだったらいろんなものの支払いが滞るから、こうして正社員の道を探している訳だし。

 四月一日さんは私の言葉に、深く考え込んでしまったようだ。

 ……別に嫌がらせをしたいつもりではないんだけれど。


「じゃあ、彼女は自分の元を去ったのは」

「うーん……多分ですけれど。彼女、一旦頭を冷やしたかったんじゃないですかねえ。だってどんなに頑張っても不死者を千年近くもやっていたら、不死者としての生き方について考え直すと思います。だからと言って納得もできてないので、終わらないっていうのに彼女も嫌気が差したんだと思います」

「……そういう考えがあるとは、思ってもいませんでした」


 そう言う四月一日さんに、私は目を瞬かせた。四月一日さんは、坂の下を見下ろした。

 今は夜で、飲み屋しか開いてないけれど。普段からトアロードは人の行き交いが活発な場所だ。


「生きているだけで、楽しいことはあるものだと、そう思っていました。あちこちを見て回り、いろんなものを食べて、その味を店に活かす……まさかその生活を、終わらないからと言って投げ出していなくなってしまうなんて、思いもしませんでした」

「うーんと。多分、そこが不死者と人間の違いなんだと思います」


 私はしみじみと言う。


「私、吸血鬼に血を吸われたくないですし、人魚の肉を食べたくないです。本当に死にそうになったとき、寝ている間に全部終わってたらなって、そう思いますから」

「そんなものなんですね……彼女に、どう謝ればいいのか」

「まあ、彼女もきっと寂しくなったら顔を出すと思いますよ? そこまで深刻に考えなくっても大丈夫ですって」


 だって四月一日さん。あのひとの感覚だったら昨日いなくなったひとくらいの感覚だろうに、ずっと心配しているじゃないか。それってすごいことだよ。

 私はこのひとの中じゃ、一瞬だけの存在なのに、少しだけ羨ましい。

 だってなあ……どんなにいいひとでも、どんなに好きでも、私は別に不死者になりたくないし、死ななくなんてなりたくないもの。


「会えるといいですね、本当に」

「……ありがとうございます」


 そう言った四月一日さんが、今までで一番いい笑顔を浮かべていたことに、本当にこのひとずるいなあと、私はそう思った。

 私が気付けば恋に落ちていて、失恋するまでは、このひとの中じゃ一瞬の出来事だ。便利な物差しができたもので、そのおかげで、ちょっとだけ早く立ち直れそうだ。


****


 翌日、その日はバイトに出ようと電動自転車を漕いでいた。

 モーニングの時間帯だと、相変わらず人の行き交いはまばらだ。自転車の走りやすい道をするすると走っていると。

 この時間帯は人通りのないライブハウスのほうから、腕がひょいと出てきて、私はびっくりして自転車ごと転けそうになる。危ない。

 慌てて足をつっぱって自転車を停めると、ライブハウスの階段からひょこっと金髪を揺らして覗き込んでくる顔を見つけた。


「あーあーあーあー……初穂ちゃん大丈夫?」

「たたた……あ、あれ……七原さん?」

「はい、七原っす、どうも~」

「……朝からこんなところにいて、大丈夫ですか? その……朝は体に……」

「んー、多分今だったら四月一日さんも一さんも俺を仕置きで神社に放り込むとかいう鬼畜なことしないでしょうから、体の具合はあんまよくないけど、今だったら謝れるかなあと。初穂ちゃん、ごめん」


 なんで。というか、昨日のあれか。私は困り果てて、自転車のサドルにもたれながら腕を組んだ。


「あのう……昨日のあれこれなんですけど。怖いし気にしてないと言えば嘘になるんですけど……痴漢で助けてくれたのは、本当ですよね? あと、私を四月一日さんと話させたかったのは」

「えっ?」

「うーん……上手いこと言えないんですけど……私には七原さんは助けてくれたような気がするんですよね。私が不死者のひとたちに壁を感じているっていうのが伝わるようにと」


 本当にこれは、私の都合のいい解釈かもしれないけれど。

 私は不死者のひとたちと接してきて、どうしても理解できなくって、仲間に入れない部分がある。あのひとはそれに気を遣って、わざと四月一日さんに見つかるように襲ったんじゃないかなあ……。

 でなかったら、あんなにいいタイミングで助からないし、そもそも七原さん、あまりにも私の首を噛み切るのが遅かった。

 しかし当の本人はにかっと、相変わらず屈託ない笑みで笑っている……本当に昨日見せた色香はどこに行ったんだという顔をして笑うもんだから反応に困るんだよなあ、もう。


「でも、私、一度しかまともに会ってないのに、どうして助けてくれたんですか?」

「えー……一度会ってるじゃないっすかー」


 七原さんはようやくライブハウスの階段を上がってくると、ジャケットの下に来ていたフードを被って「あちぃー……」とぼやいた。

 そして私のほうに視線を合わせて、にっと牙を見せてくる。


「一度でも会った女の子が不幸なのは、我慢ならないっすからね。それじゃ、俺はそろそろ。今晩は仕事なんで」

「ああ……お仕事頑張ってくださいね」

「はいよー、ありがと」


 そう言って手を振って去ってしまった。十年出禁を言われても、本人は全く気にする素振りもない。

 本当に……不死者って好きになってもどうしようもないひとでなしばっかりだと、私は大きく溜息をついたのだ。

 まだ夏だと主張している残暑の日差しを受けながら、再びペダルを漕ぎはじめた。

 なんでもかんでも、いい具合にめでたしめでたしとは、いかないみたいだ。

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