おとぎ話

 夜が深まっているせいか、既に虫の鳴く声も静まっている。

 四月一日さんが語りはじめた話は、大昔が過ぎて、私の感覚だったら昔話を通り過ぎておとぎ話にしか捉えることができなかった。

 でも多分。四月一日さんの中では、人間で言うところの一年前にも満たない感覚なんだろう。

 本当に、不死者と人間の間には、長くて深い溝が存在している。

 それはさておき、四月一日さんの話はまだ続いている。


「子供たちは物珍しそうに自分を見ていましたね。旅人が来るのは久々だったのでしょう」

「あのう……つかぬことお伺いしていいですか?」

「なんですか?」

「四月一日さんって、潮水かぶったら、人魚に戻っちゃうじゃないですか。私、昔の地図のことはあんまりよくわからないですけど、その若狭ってところ……海辺ですよね? 人魚に戻って大騒ぎとかになったりしませんでしたか?」


 今より昔のほうが、余所者を見かけたら石を投げるという感覚が強かったように思える。ましてやいくら人魚で、不死者とはいえども、たくさんの人から襲われたら逃げるしかないんじゃ。

 私は思わず口を挟んだことに、四月一日さんは少しだけ口元を緩めた。


「そうですね。その辺りももうしばらくしたらお話しします。さて、自分の元にやって来た子供たちは、たびたびよその国の話をねだるようになりました。あの頃は今と比べれば移動も難しく、貴族でなければ旅行というのもままなりませんでした。ですから、他国の様子を知りたかったら旅人を捕まえる以外になかったんですよ。あの頃は文字の読み書きが庶民にまで行き届いてはいませんでしたから、子供の娯楽といったらそれくらいでした」


 ますます持って、おとぎ話の世界だ。私は呆気に取られながらも、話の続きを待った。


「子供たちの中にいた女の子は、この中で一番の年長でした。どうも親が漁に出ている間、村の子供たちの面倒を見る役割だったみたいですが、どうにも彼女は、他の子たちに比べてぼろぼろになっていました。子供たちに都の話をしてあげ、それに喜んで棒を持って遊びに行ってしまった中、残された彼女に話しかけてみました。どうしたのかと」


 そう言った四月一日さんの瞳には、なんとも言えない色が浮かんでいた。

 懐かしむのとは違う。このひとの中では、つい最近あった話だから、全然懐かしくないのだ。千年前なんて、もう政治系統も変わってしまっているし、食事や税のルールもあの頃とは変わってしまっているけれど、四月一日さんの中では、ほとんど大した問題ではないのかもしれない。


「彼女は『子供たちをかばって大人に殴られた』と言っていました。なんでそんなことになったのかと、話をじっくりと聞いてみました。どうもこの村はしけが続いてしまっているようで、長いこと不漁が続いていたそうです。ですがわずかに獲れた魚も税で持って行かれてしまい、食べるものに困っていました。漁に出ればその分だけ体を動かしますね。そのために少ない食料を、大人が奪って子供に分け与えられることができないということが、この村では続いていたんですよ」


 その言葉に、私は顔をしかめた。よくある話だと言ってしまえばそれまでだけれど。子供のご飯を取り上げられてしまって、子供がご飯を食べられない。でも大人が漁に出なかったらその日のご飯は得られない。まだ力も知恵も持たない子供にとって、これほど八方塞がりなことはないだろう。

 でも。それでどうして八百比丘尼らしき女の子がボロボロになっているんだろう。

 四月一日さんは淡々と続けた。


「彼女はこのままでは子供たちがひもじくなってしまうと思い、大人たちが漁に出ている間に、木の根っこを掘り起こして、子供たちに分け与えていました。これで多少は飢えをしのげますからね。でもそれだけだったらだんだん足りなくなってきて、大人たちが残しているわずかばかりの干し魚を盗んで、それを子供たちに分け与えていたんです。ですが。彼女も賢しくともまだ子供です。中には税として徴収される分の魚まで与えるようになってきたとき、とうとう大人たちから殴られるようになったのです」

「そんな……食べないと死んじゃうのに」

「あの頃の徴収は、残念ながら人間を人間と思うものではありませんでしたからね。税を納めることができなかった村を取り潰すこともよくある話でしたから、大人たちは必死だったのでしょう。その中で、彼女は任された子供たちを守ろうと、必死に戦っていたんです。ですが困りました。話を聞かされても、自分は彼女に与えられるものが、ただひとつを残してないんです。その日は自分は困り、彼女をどうにか家まで送り届けました。自分にできることは、どうか彼女が明日も生きられますようにと祈ることだけでした。ですが、その日自分はまずいなと気付きました。村に津波が押し寄せようとしていたのです」


 私はくん、と鼻を動かした。

 トアロードでも、曇っているときだったら潮の香りがすることがある。でも今日は、むわりと汗ばむ暑さだけれど、潮の香りはしなかった。

 四月一日さんは淡々と続ける。


「自分は人魚に戻ればいいだけでしたが、漁村はたまったものではありません。ひと晩で村は流されました。自分は泳いで村のあとを見に行ったとき、まだ生きている人を見つけました。それが、彼女でした。ですが彼女は子供たちに食事を与えていた上に、津波で溺れて疲弊していました。今にも息絶えそうだったので、私は問いかけました。『まだ生きたいか』と。彼女は必死で頷くので、自分は自分の肉をあげることにしたのです」


 私は以前に見た、四月一日さんのマグロの尾っぽを思わせる下半身を思い出した。ずっと飢餓感を感じていた彼女が、あれを見て目を奪われないはずがない。

 今の私だったら、知っているひとの肉なんて食べたいとは思わないけれど、お腹が空いていたらその考えだって変わるのかもしれない。

 実際、子供たちを優先していたはずの彼女だって、子供たちのことを優先せず、四月一日さんの肉に飛びついてしまったのだから。


「彼女は貪るように私の肉をすすりながら食べたあと、彼女は死なない体になりました。私は彼女を無事な村まで連れて行き、そのまま旅に戻りました。彼女は元気で過ごすだろうとそう思っていたのですが、あてが外れました」

「え……?」

「なにか?」

「い、いえ……続けてください」


 私はそう四月一日さんに続きを促しつつ、ただ首を捻った。

 いや、いくら死にかけていたからとは言っても、選択肢がない状態で不老不死になりましたよ、それでは幸せにというのは、いくらなんでも無責任過ぎないかと思ったのだけれど、四月一日さんはそれに全く気付く素振りも見せない。

 なんというか……四月一日さんはずっと八百比丘尼さんがどうしていなくなってしまったんだろうとわからずに困り果てていたけれど、人間の私のほうが正解に辿り着けてしまいそうだと、そう思ってしまった。


「ある旅先で、彼女とぱったり再会しました。彼女は少女から大人になりましたが、年老いることはありませんでした」

「あのう……四月一日さん。これって、先程は千年ほど前でしたけど、いつぐらいのときですか?」

「そうですね、戦乱の世の時代になりましたが、それでも人々は生活していました」


 戦乱の時代ってどれだ。鎌倉、南北朝、室町、戦国……。私の中では大昔のカテゴリーだし、きっと年号で言われてもわからない。

 私が勝手に悩んでいる間に、淡々と四月一日さんは続きを語りはじめた。


「『どうしてくれるんだ、皆私よりも先に年を取って、私を置いて逝ってしまう。私は死ぬこともできないし、年を取らないから周りから気味悪がられる。ひとつの場所にいつまでもいられない。どうしてくれるんだ』と、さんざん責め立てられました。そこで自分は、ようやく彼女が不死者としての生き方がわからない人なんだと思い至りました」


 多分、そこじゃない。

 私はそう思ったけれど、四月一日さんは千年経ってもそのことがわからないでいるようだ。うーん……このひとにとって、十年は大したことのない年月で、百年だってそこまで大袈裟な年月ではないのかもしれない。千年くらい経って、やっと大事な時間になるんじゃないだろうか。

 このひと、顔がいいし、口調も礼儀正しいから惑わされがちなだけで、相当人間から感性外れてないか……なんて。それは今更か。

 私を襲った七原さんのほうが人間に近いなんてことを言ったら、きっと四月一日さんは怒ってしまうだろうと、私は黙って続きを促した。


「自分と彼女は、諸国を巡りました。途中で僧侶の格好のほうがなにかと都合がいいということで、ふたりで僧侶の格好をしました。彼女が八百比丘尼と呼ばれるようになったのはその頃ですね。不思議なものですね。今まではひとりで旅しているのが都合がよかったのですけれど、ふたりで旅をしてみると、ふたり旅のほうが楽しいように思えるようになってきたんです。その中で自分たちと同じように、この国に隠れて暮らしている不死者に出会うようになりました。外つ国から来て目立つから町に住めないひとや、昔の八百比丘尼のように、不死者としての生き方がいまいちわからないひと。そんなひとたちが情報提供できるような場所があればいいと、不死者用の旅籠はたごの真似事をするようになったのは、そのあとでしょうか」

「旅籠って……時代劇とかで見る、宿屋さん……ですよねえ?」

「ええ。全国をあちらこちらと巡っていましたから、見様見真似で覚えた味を提供すると、大層喜ばれました。途中から山で修行していた一くんも参加するようになり、それなりに不死者たちで賑わうようになりましたが、不死者と関われば関わるほどに、八百比丘尼の具合が悪くなってきました。体の具合が悪いことはありえませんから、気を病んでいったのです」


 私はその言葉に、内心やっぱりと思う。ここまで言っていても、本気で四月一日さんはわかっていないんだ。彼女がいったいなにに対してそこまで気を病んでいるか。


「一カ所にずっと定住していると怪しまれますからね。旅籠も三年おきに場所を変えて営んでいましたが。途中で神戸に寄り、そこでコーヒーの商いに立ち寄りました。それに旅籠をするにも規制がかかるようになったので、純喫茶という形に変えて、やはり転々と店を営んでいましたが、ある日唐突に八百比丘尼に言われました。『私、人間に戻りたいです』と。本当に突然言われて驚きました。不死者にはなるものですが、人間に戻った例は聞いたことがありませんから『無理です。馬鹿な考えはお止めなさい』とそのときは厳しく言ってしまったのですが。彼女はとうとういなくなってしまったんです」


 やっぱり。としか言いようがなかった。

 四月一日さんは、今までになく頼りなさげな顔をして、私を見た。


「自分は、いったい彼女のなにを傷付けてしまったんでしょうか?」

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