諫める声は届かない

 結局は不死者カフェで食事をしたいという七原さんと、就活連敗中の私は、ふたり揃って不死者カフェの深夜営業に向かうこととなってしまったのだ。

 正直どうしてこうなったという感じだけれど、私も久々のスーツにヒールで歩き回った挙げ句の痴漢騒動だ。心身共にくたびれてしまったから、ものすごく一さんのご飯が食べたかった。

 カランカランと扉を開けたら、「いらっしゃいませ」と落ち着いた声で出迎えられる。

 ウェイターに出ていた四月一日さんと、カウンターで料理の準備をしていた一さんは、どちらもあからさまにぎょっとした顔をして私と七原さんを見ていた。


「どうもー、こんばんはー」


 ふたりの緊張をわかってかわからずか、七原さんは私に寄り添ってヘラヘラと笑っている。しかし相変わらず私には指一本触れてはいない。

 四月一日さんはどうにかいつもの落ち着いた顔に戻ってから、私に軽く窘める声を上げる。


「この時間は危ないから、何度も何度もカウンターの奥から出ないようにと言ったでしょう。どうしたんですか?」

「いえ……ちょっと電車に乗っていたら七原さんに助けられてしまい……」

「七原くんも、困ります。うちの店員をたらし込むような真似されちゃあ」

「いやいや、誤解っすよ? 俺ぁただ初穂ちゃんがピンチだったのを颯爽と助けただけなんで」

「困ります」


 七原さんの軽快なホストトークも、存外生真面目な四月一日さんには通用しなかった。私は困り果ててカウンターの向こうの一さんに助けを求めると、一さんは私のスーツに不死者カフェのカフェエプロンをかけてきた。

 一さんはいつもの余裕のある笑みではなく、少しだけ顔が硬い。


「本当に危ないからな、少なくとも、不死者に目を付けられないように匂いだけは付けておこうな……まさか、蛍に見つかるとはなあ……」


 前々から、不死者は人間を食料くらいに思ってないのもいるとは言っていたし、それの代表格レベルに七原さんのことを上げていたけれど。

 私は痴漢に助けられたこともあって、彼がそこまでひどいひととは思いたくなかった。

 一方の七原さんは、ふたりから警戒心剥き出しにされているのに、ヘラヘラと笑う。


「まさか、四月一日さんのテリトリーで、女の子食料にするとかありえないですからぁ」

「……あなた、いっつもそう言うでしょ。あなたは我々よりは若いんですから、物覚えが悪いということはないはずですよ」

「そう言われても。まっ、とりあえずはブレンドコーヒーとパニーニを! ねえねえ、初穂ちゃんはどうする?」

「えっと」


 話を振られて、私のお腹は恥ずかしいくらいに大きな音でキューと鳴る。本当に今日は心身共にへとへとだから、体はどうしてもカロリーを求めていた。


「……一さんのお勧めってなにがありますか? 飲み物はカモミールティーで」


 さすがに深夜営業だからと、不死者たちみたいにカフェインを摂ろうとは思えなかった。眠れなくなったら明日のバイトに出られないじゃない。

 一さんはちらっと四月一日さんを見てから、四月一日さんはこくんと頷いた。


「そうだなあ……どう見ても初穂ちゃんはお疲れだから、柳川丼にするか」


 そう言って、さっさとカウンターに入った。柳川丼って、あれか。柳川鍋のどんぶり版か。あれってどじょう使うんじゃなかったっけか。どじょうってカロリー的な意味でどうなんだろう。

 私がそう思っている間に、ひとまず先に「お待たせしました、ひとまず先にカモミールティーとブレンドコーヒーになります」と四月一日さんがそれぞれに注文した飲み物を置いた。


 七原さんは、ブレンドコーヒーの香りをひくっと嗅いで「どうもー」と言いながらブラックのままおいしそうに飲みはじめた。

 私は私で、カモミールティーに口を付ける。カモミールティーって意外と淹れるのが難しい。薄く淹れたら味がぼけてしまうし、濃く淹れたら味がエグ過ぎる。青リンゴの匂いにカモミールティーは例えられることが多いけれど、私にはどうもそんな匂いには思えなかった。ひと口飲むと、すっと優しい花の匂いが鼻を通っていく。多分これが本当においしいカモミールティーの味なんだろうと納得した。

 他にもぞくぞくと不死者のひとたちが入ってきて、注文を受け付けていく。それを四月一日さんと一さんが華麗に捌いていく。


「お任せしました、パニーニに、柳川丼です」

「ありがとうございます……失礼ですが、柳川丼って……?」


 普段からメニューは一さんの気まぐれだから、賄いでどんぶりが出たり、タイカレーが出たりと、カフェメニューから外れることはしょっちゅうだけれど、どうして柳川丼が出されたのか意味がわからないから聞いてみた。

 四月一日さんはにこやかに言う。


「元々どじょうは脂質が低く、ミネラルもビタミンも多く含まれていますから、夜に食べても胃に優しいんですよ」

「なるほどぉ……どじょうとかって、東京だと思ってました」


 関西だったらあんまり食べないもんねえ。私はまじまじと卵で閉じられ、野菜と一緒に煮込まれたどじょうを見る。出汁でこっくりと煮込まれたどじょうは匂いからしておいしそうだ。キュルキュルと鳴るお腹にもいい。

 四月一日さんは穏やかに言う。


「一くん、本当に料理に凝ってて、勝手に全国行脚して全国の食文化研究してますから。今日は頑張った八嶋さんにです。食べ終わったら言ってくださいね。すぐ家まで送りますから」

「えっ……いいですよぉ、七原さんに送ってもらいますし」


 七原さんはパニーニが焼けるのをまだかまだかとカウンターのほうを覗いていたものの、私に話を振られて、首を縦に振る。


「ふたりとも無茶苦茶警戒してますけど、俺本当に初穂ちゃんになにもしませんよぉ」

「あなた、うちの店で人間のお客様に手を出さないようにと何度も警告出していますよね? ましてや八嶋さんはうちの店員ですけれど? 本当に困ります」


 四月一日さんが本当にピリピリしているのに、私はビクビクしながら、柳川丼に箸を突っ込んだ。ひと口食べると出汁の味と卵の味に感激し、ふた口食べると泥臭いと聞いていたどじょうの柔らかさに感激する。そういえば、最近は養殖が盛んだと言っているから、天然ものほどの癖はないのかもしれない。大昔はトマトもピーマンももっと大味で子供は嫌いだったと聞いているけれど、今はトマトもピーマンも甘いもんね。

 七原さんはぷーっと頬を膨らませる。


「しませんってば。本当に信用ないなあ」

「満月のときの三村くんと夜の君は、全面的に信用しないようにしていますから」


 そうきっぱりと言い切った四月一日さんに、私は柳川丼を食べながら「そういえば」と気が付いた。

 そういえば、七原さんは日の光が駄目だから、ホスト以外の仕事ができないと聞いていた。そして私がこのひとに痴漢から助けてもらったのは夕方。日の光、浴びているはずだよね。

 ええ、どういうことなんだろう。

 私はしばし、睨み合っている……というより、一方的に四月一日さんが怒っている……? 状態に困り果てながら、柳川丼をつついてカモミールティーを飲むこととなったのだ。


****


 結局、お客さんが多過ぎて、ほとんど逃げ出す形で七原さんと一緒に帰ることになった。まだ夜の店が元気なせいか、あちこちからアルコールの匂いがする。

 その中、トアロードの坂道を、私と七原さんは歩いていた。


「本当、心配し過ぎなんすよ。四月一日さんも一さんも」

「ごめんなさい、ふたりとも本当にいいひとなんです。私が押しかけて店員になっただけなんで」

「でも、初穂ちゃんは仲間に入れてもらえないと」


 そう言われて、私はたじろいだ。

 不死者と人間の間には、深い溝が存在しているのは薄々気が付いていた。

 だって時間感覚は違うし、人間を食料としか思っていないのがいると脅かされるし、そもそも彼らにはない寿命だって私にはある……死者になったからと言って、彼らの仲間になれるとは限らない。無為さんみたいな死神に管理されているだろうから、好き勝手はできないだろうし。

 私が黙り込んでいると、七原さんはちらっと私を見た。


「初穂ちゃんは、皆のこと好き?」

「そりゃ……好きですよ。恋とかそういうのじゃなくって、ひととして」

「仲間になりたい?」

「それは無理じゃないですか。だって私、人間ですもん」

「そういえば、初穂ちゃん聞いたっけ。八百比丘尼の話って。人魚の肉を食べて、八百比丘尼は不老不死になったって話……不死者になったって話」


 私はどうして七原さんがそんな話をし出したのかわからず、彼を見上げた。

 わずかな外灯の光でも、ネオンを背にしていても、彼の美しさや目の輝きや……口の端からちらちら見える尖った歯の光を、隠すことはできなかった。


「四月一日さん、八百比丘尼を不死者にしたのをずっと後悔しているから、人間と不死者を引き離そうとしているだけだよ。そこまで不死者は怖くないし……俺だって初穂ちゃんを不死者にしてあげることはできるし」

「へっ……」


 そこで、ようやく何度も何度もふたりが七原さんは危険だと言っていたかを思い出した。というより、どうして今まで忘れていたのかという感じだ。

 彼は吸血鬼で……人の血を奪うと。

 七原さんの鋭利な牙が、キラリと光った。


「そのまま、俺に身を委ねて」


 そのまま彼の牙に目を奪われて、私は身動きが取れなくなった。

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