ホストの誘惑
お盆も終わり、不死者カフェ八百比丘尼にも日常が戻ってきた。
まあ、相変わらず土日は目の回るような忙しさだけれど、それ以外ではぼちぼちというような具合の混み具合で、なんとか成り立っていた。
そんな中で、私はバイトの休みを縫って、就職活動を再開させていた。
いろんなひとたちの助けで、おばあちゃんに再会できたのだ。もう心配させたくないし、いくら貯金があるとはいえど、いつまでも残っている訳ではない。相変わらずの全敗具合だったけれど、前よりは大分気楽に考えることができたのは、出会った不死者たちのおかげだろう。
どうせ、他人のことなんて訳わかんないし、自分が悪いとか思い詰めるよりも、単純に相性が悪かったんだろう。そう思って開き直ることができたのも、このところ出会った本当に訳のわからない死生観のひとたちのおかげだ。
幸いというべきか、バイト代のおかげで貯金を削りながら履歴書を書くというタイムアタックをせずに済むようになったのは大きい。私は今日も面接へと出ていた。
「はあ……」
今日は塾の事務員の面接に出かけていたけれど、結果は芳しくなかった。履歴書はまだまだ残っているし、また探さないとなあ。
そう思いながら電車に揺られる。弱ったときは一さんの賄いの味が恋しくなるけれど、さすがにシフトに入ってないときに賄いくださいってせびりに行くのもなあ。
私はそう思いながらドアの向こうを眺めていたら、スーツのスカートに、なにやら感触が走った。
最初はどこかで鞄が擦れたんだろうかと思ったけれど、その感触はどう考えても人の体のラインに向かって動いている……痴漢だ。
どうしよう、声上げようか。今日は平日だからと、女性専用車に乗らなくって失敗した。私が声を上げても大丈夫そうなほうをきょろきょろとさまよわせていたところで。
「お待たせー、ええっと、たしか初穂ちゃんだっけ?」
「へっ?」
いきなりスーツを這いずり回る怖気と私の間に、にっこりした金髪の編み込みの男性が割り込んできた。それはいつぞやに会った、たしか……。
「……ホストの、七原さんでしたっけ?」
「そうそう、お久し振りっ」
にこやかに私に手を振ってくる。それに脱力した。もうさっきまでの気持ち悪さはなくなったけれど、まだ怖気は走っている。七原さんはちらっと私の背後を見たあと、少しだけ腰を屈めて私に囁いた。
「時間大丈夫? 少し電車降りて休憩する?」
「お、お願いします……」
「オッケーオッケー」
七原さんは私の盾になって、そのまま私をエスコートして電車を降りてくれた。
あまりにも慣れたエスコート方法に、私は呆気に取られてしまった。普通痴漢に遭った後は気持ち悪いし、家族以外の人には触られたくないけれど、このひとときたら、絶妙に私に触ることもなくエスコートしているのだ。
ホストは女性を気持ちよくさせるのが仕事とは聞いていたけれど、こういうことなんだなあと、勝手に感心した。
でも……。私はちらちらと彼を見る。
前々から、四月一日さんや一さんには口酸っぱく言われているのだ。不死者だからって、誰もかれもがいいひととは限らない。特に吸血鬼は人間を捕食対象くらいにしか扱わないから気を付けろと。
私、このひとにエスコートされてしまっているけど、いいんだろうか。逃げたほうがいいの。
少し考え込んだけれど。さっきの痴漢と、この危ない吸血鬼だったら。電車の中だと逃げ場のない痴漢よりも、駅だと逃げることのできる吸血鬼のほうがまだましだと、そう思うことにした。
****
次の駅で一旦降りたあと、ホームで七原さんは自販機に電子マネーをかざす。
「初穂ちゃんはなに飲むっすか? ここの自販機は、水にスポドリに緑茶に紅茶に……」
「ええっと、なら麦茶で」
「オッケー。あれ、初穂ちゃんだったらてっきりコーヒーかと」
「いや、コーヒー好きはなかなか自販機のは頼まないかと思いますよ」
コーヒー好きからしてみたら、砂糖と牛乳で無茶苦茶甘ったるくて香りも飛んでしまったものを、素直に楽しむことはできない……まあ、温泉だったらコーヒー牛乳を飲みたくなるときだってあるだろうから、TPOの問題だと思う。
七原さんは笑って「了解」と言って、麦茶のペットボトルをくれた。自分用にはスポーツドリンクだ。吸血鬼といえばトマトジュースという偏見は、取っ払ったほうがいいらしい。
私は麦茶のペットボトルを受け取りながら、七原さんに頭を下げる。
「さっきは助けてくれて、ありがとうございます」
「あれー、俺なんかしましたっけ?」
「いや、その……」
七原さんはにこにこ笑いながらスポーツドリンクのペットボトルを開けて飲みはじめたので、どうも私に言わなくてもいいと言ってくれているようだ。
とことんこのひとは、女性を気持ちよくさせるのが仕事らしい。私はもう一度自己満足で「ありがとうございます」とだけ言ってから、麦茶をひと口受け取り、そういえばお金どうしようと、財布を漁ろうとしたら、「あー、いいっすよぉー」と七原さんが断った。
「電子マネー、使わなかったら損じゃないっすか。パンパンに貯まってたんで」
「いや、電子マネーなんてそんなパンパンに貯まるもんじゃ」
「もしいきなりドンペリおごってと言われたら、むしろドンペリ指名してって思いますけど、それより下ならおごらにゃ損じゃないっすか。お客さんだし」
そういうもんなんだろうか。へにゃりと笑っている七原さんを見る。ホストクラブは行ったことがないけれど。
「そういえば、今日はお仕事ですか?」
「うーん、今日はオフ。だから今日は久々に不死者カフェで晩飯食べようと思ってたんすけど……でもこんなところで初穂ちゃんどしたの? この格好ってことは、就活っすよね?」
「う……」
そこでようやく自分のミスに気が付いた。
私、普段は四月一日さんや一さんのおかげでカウンター越しで仕事しているから、不死者のひとたちに人間だと気付かれていなかったけれど……まあ、三村くんみたいに鼻が利く子はともかく……これって人間だと気付かれたのでは。
どうしよう。皆、私が人間だと気付かれたら真っ先に食事にされるからと気を遣ってくれていたのに。
私はひとりでうんうんと考え込んでしまったら、七原さんはヘラヘラと笑う。
「まあまあ。俺、たしかに素行は悪いんで他の不死者から信頼されてないっすけど、こんな人通りの多いとこで血を吸うほど野暮じゃないっすよ」
「はい……?」
私は頼りない笑顔を浮かべている七原さんを見る。
とにかく端正な顔付きで女性のハートをキャッチし、その屈託のない笑顔と物言いで女性をとりこにし、人懐っこい態度でリピーターにする。
ナンバーワンになれるかどうかは知らないけれど、固定客は完全につくもんなあ、七原さんは。ホストクラブとか行ったことがないから、細かいことはなにひとつわからないけど。
私がそうしみじみと思っていたら、へらへらと七原さんは笑う。
「で、就活中の初穂ちゃん。どしたの? 不死者カフェが嫌いになったの?」
「いや、全然。働いているひとたちは皆いいひとたちですし、お客さんもいいひとです。たまに、本当にたまーっに、変わったことがあるだけで」
「うんうん。皆人間としゃべらない内に、あれこれ凝り固まってたりするしねえ」
「いや、七原さんはどうなんですか」
「あはははは……俺、宗教関係者がいなくって、夜にはじまり夜に終わる日差しを浴びなくっていい仕事がホストなだけだしー。で、初穂ちゃんはバイトを辞めようと?」
「……再就職が決まったら、そうなるかもしれないですけど。でも、いつまでもお世話になることなんて、できないですから。私、ひとりでちゃんと生活できなきゃ駄目ですし」
「ふーん……でもさあ、別にその辺はいい加減でいいんじゃないの?」
そう言われて、私はきょとんとする。
七原さんはスポーツドリンクを傾けてから、続ける。
ヘラヘラしているひとだけれど、聞き上手だし、アドバイス上手だ。
「俺ねえ、これでも結構頑張り過ぎて、体壊す子がお客さんに来るの。残業し過ぎて残業代貯まりまくっているのを、うちにまで来て散財して帰る子とか、自己肯定できなくって一時の恋に溺れたくって我忘れてる子とかね」
「はあ……」
「その子たちの話聞いてるとねえ、頑張らなきゃって思ってる子ほど、頼れる人いないんすよねえ。頼れる人があっちこっちにいる子って、案外うちの店には来ないんす。初穂ちゃんの話を聞いてる限り、頼れる人ちゃんといるか心配になってねえ」
そう言われても。と考え込む。
両親は既にどっちも家庭を持っているから、今更実の子供だからって新しい家庭に乱入なんかできない。おばあちゃんはとっくの昔に亡くなっている。
頼れる人なんて、いない。
「説教なんて柄じゃねえっすけど、せめて初穂ちゃんは誰か頼れる人ひとりでもつくってからでも、遅くはないんじゃないっすか。地盤固めは」
「そう……言われても」
「それにあそこの連中はおひとよしっすからねえ。初穂ちゃんがお願いしたら、多分叶えてくれると思うんすけどねえ。正社員の道」
「はっ……」
バイトだってほとんどゴリ押しだったから、これ以上迷惑はかけられないと思っていた。まさか、七原さんからそんな助言がもらえるとは、思ってもいなかった。
「で、できますかねえ?」
「そりゃ言ってみたら。あっ、初穂ちゃん」
「はい?」
七原さんはにっこりと笑った。
「俺とデートするのはどうっすか?」
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