一応のエピローグ ちょっとしたプロローグ
私たちは三宮まで帰ると、その足で南京町に出ていた。
あちこちに中国語の呼び込みが賑わい、どの店も混雑しているようだった。結局私たちは、ラーメンの屋台に並び、ベンチでラーメンをすすっていた。
日本のラーメンと中国のラーメンは違うらしいけれど、この澄んだスープに縮れ麺は、たまに食べたくなるんだよね。ズルズルと音を立てて、それを食べていたら。
「ありがとう、今日は」
のんびりと三村くんが言った。
カフェを営んでいる割には猫舌らしく、
「いえ、決着がついてなによりです」
「えへへ、ずっと探していたのに、神戸に戻ってきているなんて思わなかったから、まさかこんなに近くにいたなんて思わなかったぁ……」
そうしみじみ言いながら、いい音を立ててラーメンをすする。思えば、不死者と人間は寿命が違うせいで、彼からしてみれば田無先生との交流は昨日今日の出来事だったはずだから、探す方向を間違えていたら、すぐに軌道修正するのが難しいのかもしれない。
私がそんなことを思っていたら、四月一日さんはようやくラーメンをつるつるとすすった。
「まあ、君も少しは大人になりなさい。今回は生きてたからよかったですけど、前は既に亡くなっている方を探していたことだってあったでしょ」
「あれは本当についうっかりだしっ」
「ついうっかりってなんですか」
……なんだろう、シャレにならないことを言っている。私はそっと聞かなかったふりをしながら、ラーメンのスープを飲んだ。この塩分も、たまには摂らないと落ち着かないと思うのは、南京町が近くにあるせいか。
三村くんは四月一日さんの小言に慣れっこのようで、相変わらず可愛い声で「えへへ」と笑うばかりだった。このはにかんだ笑顔はずるいなと思いながら、私は残った麺もすすり上げる。
「四月一日さんも見つかるといいよね、あの人」
そう言ったところで、私は麺をすすり終えた。
まただ。前にもあちこちからふっと聞いていた、四月一日さんの探し人。そもそも言い方からして、不死者みたいなのに、人間扱いしているというおかしな人。
私が視線を送ると、四月一日さんは複雑そうな顔をして、ゆっくりゆっくりラーメンのスープをすすっていた。
「……どうでしょうね。多分亡くなってはいないとは思いますが、もう自分には会いたくないかもしれません」
「そんなことないよー。多分あの人も四月一日さんに会いたがってると思うよ。ただ考える時間が欲しいだけで」
「そうだといいんですがね。まあ、湿っぽい話はおしまいにしましょう」
そう言って話を一方的に打ち切ってしまった。
なんだろうな、不死者のひとたちは、皆四月一日さんの探し人について知っているみたいだ。
私は全部食べ終えたあと「あっ、私。帰りに小籠包買ってから帰ります!」とそのまま解散宣言をしたら、四月一日さんは「そうですか」と言ってさっさと帰ってしまった。
薄情。そりゃ今は深夜でもなければ、不死者だらけの場所に置き去りって訳でもないけど。私がむっとしていたら、三村くんがとことことついてきた。
「あれ、三村くんも小籠包買いたいの?」
「ううん。四月一日さんの機嫌悪くさせちゃったから、お詫びに初穂ちゃん送っていこうかと思って」
「ええ……」
「普段だったら、人間に対して過保護過ぎる四月一日さんが、初穂ちゃんを置いて帰るような真似はしないと思うからさあ」
そうしみじみと言う三村くんを、私はまじまじと見た。
「あのさあ……三村くんは知っている? 四月一日さんの探し人って。なんか前に
「ええ? あんなにわかりやすいのに、わかんなかった?」
「ええ?」
なにがわかりやすいの。意味がわからないという顔をしたら、三村くんはもったいぶることもなく、あっさりと言ってのけた。
「四月一日さんが探してるのは、店名にもなってる八百比丘尼だけど」
「……えっ、あの人って、実在してるの……?」
たしか、四月一日さんが前にちらっと言っていた、人魚の肉を食べてしまった人……だったと思うけど。でも人魚の肉を食べた人が、なんで。
私が口をパクパクとさせていたら、三村くんがあっさりと言う。
「四月一日さん、八百比丘尼を探して、わざわざ店名にしてまで店を経営してるんだよ。あの人、本当にどこ行ったんだろうね。人魚の肉を食べたんだから、ちょっとやそっとじゃ死なないとは思うけど」
「あっ、あれ? 人魚の肉を食べた人ってことは聞いてたけど……」
八百比丘尼の話は、四月一日さんから聞いた程度しか知らない。そもそもその人がなんなのかすら、私にはわからない。
私が困惑しているのが見て取れたのか、三村くんは馬鹿にすることなく教えてくれた。
「人魚の肉を食べた人は、大概は不死者になるよ?」
「その人も……不死者なんだぁ……」
そう、なんだあ……。
私は脱力している間に、小籠包の行列が見えてきた。南京町有数の小籠包屋さんは、今日も湯気を漂わせて、店からはみ出るほどの行列を物ともせず小籠包を蒸し続けている。
最後尾に並んでいるとき、三村くんが私のほうを見ながら言う。
「そういえば初穂ちゃんは、コーヒー好きで、あそこに押しかけたんだよね?」
「うん、まあね。仕事見つからなくって自棄起こしてたときに、四月一日さんのコーヒー飲んでここで働きたいーって思ったから」
「ふうん、そうなんだ。ねえ初穂ちゃん」
三村くんはにこにこ笑いながら言う。……私、なんかこの子にしたっけ? そう思いながら見ていたら、彼は口を開ける。
「四月一日さん、ほんっとうにネガティブだし、しょうもないことで悩んだりするけどさあ。悪いひとじゃないから。よろしく。あのひと、オレたちと違ってあんまり人間と関わりたがらないから、そこがちょっと心配」
「ええ……不死者と人間って、関わったほうがいいものなの?」
「うーん、どうだろ。人間からしてみれば、不死者は怖いものかもしれない。実際オレも、満月の日は薬飲んで寝てないと危ないから。でもさあ、不死者は人間がいなかったら駄目なんだよ。生きててもさ、刺激がなかったら心が簡単に死ぬんだよ。それって、体が五体満足でも、生きているって言えるの?」
私はそれに、どんな返答をすべきなのかわからなかった。
理屈はわかる。でもそれって不死者側の理屈であり、人間の都合は考えちゃいない。
正直、東京でも人をあちら側の理屈に合わせてこき使おうとする人たちがさんざんいたから、会社がなくなったのをきっかけに引き払ってきたところがあるから、正直そういう風に言われてしまうと、ついついへそを曲げてしまう。
「……考えさせて」
それしか、今の私には言えなかった。
****
出来たての小籠包を袋に提げて、私は家路を帰ることにした。今日は出来たての小籠包と、コンビニのサラダで充分だろうと思うことにする。
トアロードの端っこの、我が家に帰ってきた。
「ただいまー」
そう言っても、誰もいない。
一戸建てのその家には、うちの両親はいない。
ふたりは離婚してしまい、どちらも私をいらないと言ったから、それを見かねて引き取ってくれたのは、私のおばあちゃんだった。
おばあちゃんのところに養子縁組し、ふたりで生活していた。
年金だけじゃ足りないからと、私を育てるために一生懸命働いてくれた。本当だったら私も神戸で仕事を見つけたかったけれど、仕事はどれもこれも安過ぎる上にシフト制で、こちらの足下を見ているようなものしか見つからなかった。
おばあちゃんは私に「行っておいで」と送り出してくれたけれど。私が仕事を覚えるためにひいこらしている間に、おばあちゃんは亡くなってしまった。
遺産とかそういうのはなかったけれど、代わりに私に転がり込んできたのが、ふたりで生活していた、この家だったのだ。
私は小籠包を袋から出すと、それを仏壇に供える。最近は火事のことを気にして線香は上げないけれど、代わりに電球だけは付けて、手を合わせる。
三村くんと田無先生の話を頭の中でしてから、私はふと思う。
ずっと四月一日さんが探している八百比丘尼は、どうして四月一日さんを置いてどこかに行ってしまったんだろう。人魚と人魚の肉を食べた人が、いったいどういう経由で探しているひとと探し人になったのかはわからないけれど、私の預かり知れぬなにかがあったのかもしれない。
誰か待っていてくれる人がいるのって、とてもありがたいことなのに。
「ずるいなあ……」
ぽろりとそんな感想が零れていた。
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