お久し振りです さようなら

 その日の営業も滞りなく終わり、私はにのまえさんのトラックで家まで送ってもらうことにした。今日も不死者のお客さんに、無事私が人間だと勘付かれることはなかった。


「本当にいつもいつもすみません、わざわざ家まで送ってもらって」

「いやいや。満のフォローを入れてもらってこっちも助かっているし、そもそもこんなに夜遅くだからな。トアロードだったらタクシーだって捕まらないし、送ってったほうがいいだろ」

「そうですねえ……」


 トアロードは私鉄の駅からは少し離れているから、タクシー乗り場みたいな場所が存在しない。一応地下鉄の駅はあるものの、その辺りは信号が多過ぎる関係か、やはり流しのタクシーもそこまで多くは走っていない。深夜になったら余計にだ。

 夜の店もポツンポツンと灯りが消えていくのを眺めていたら、「そういえば」と私が口にしてみた。


四月一日わたぬきさんって、どうして不死者カフェを経営しているんでしょう? 不死者のひとたちの憩いのためとは伺っているんですけど」

「んー……そうだなあ。渉の話を聞いて、初穂ちゃんはどう思った?」

「ロマンティックな話だなあと思いましたけど……自分の身に置き換えたら、多分それを現実とは取れないだろうなと思いました」

「だろうなあ。渉は不死者の中でもまだ若いほうだから……まあ、不死者なんて、百年単位でもまだ若輩者扱いされるから、その辺は人間だとピンと来ないかもしれないがな」

「百年」


 そんなの既に世紀が変わっている。二十一世紀を生きている私からしてみれば、二十世紀だって昔のことなのに、それより前に遡られてしまったら、もう大昔の扱いだ。でも一さんは「だろうなあ」くらいの態度で、ちっとも変わっちゃいない。


「今の時代、なにかと理詰めで考え過ぎて、余裕がない。余裕がないと、普通に住んでいる不死者も住処や居場所を転々と変えないと、すぐに追い出される。余裕がないと、異端って思った人間にすぐ石を投げるからな」

「そんな……」

「もちろんそんな人間だけじゃないってわかってはいるけどな。人間って自分と違うと判断したものにはなにをしても構わない、何故なら自分とは違うからって思うところがあるからなあ」


 それは小学校のときから、子供がなにかと理由を付けて誰かをいじめるのと似たようなものだ。残念ながら人間は百年経ってもそれより時間をかけていても、そこまで変わっちゃいないらしい。

 思わずしゅん、としていたら、一さんはカラカラと笑った。


「すまんすまん。別に初穂ちゃんに当たっている訳じゃないんだ。俺だったら山に篭もれば案外人間にゃ見つからないし、満だったら最悪海にでも引っ込んでりゃ人間に見つかることもないが、他の奴らだったらそうもいかないってだけの話だよ。それこそ、七原とか渉とかは、昔話でも狩りの対象にされているから、逃げ場所がないといけないってだけの話で」

「そうなんですね……」

「まあ……あと満も初穂ちゃんとちょっとだけ似て、ロマンティストだからなあ。待ち人をずっと待っているところがあるんだよ」

「それって、不死者なんですか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれん。あいにく俺もここ数十年見てないから、今どうなっているのかわからないからなあ。まあ、気が向いたら満にはっきりと聞いてみたらいい。長年の付き合いの俺が聞くよりも、同じコーヒー好きが聞いたほうが、まともに取り合ってくれるだろうさ」


 そう言われて、私は思わず首を捻ってしまった。

 四月一日さんが誰かを待っているけど、その人のことを不死者とも言わなかった。しかもこの言い方だったら、少なくとも一さんは会ったことがあるみたいだ。

 いったい、四月一日さんの待ち人って何者なんだろう。そう思っている間に、私の住んでいる家に到着した。

 一さんに、今日の店の残りをいただいて、何度も何度も頭を下げてから、家に帰った。

 とりあえず、明日はカフェの休業日。三村くんのアシストをする日なんだから、さっさと眠ってしまおう。それだけ心に決めて、お風呂に入ったらすぐに眠ってしまった。


****


 地下鉄に乗って数分。降り立った駅からは、プンと潮の匂いがした。

 ハーバーランドは海の上に開発された、神戸でも有名な観光スポットだ。

 神戸モザイクからは神戸タワーも見えて、デートスポットとしても注目されている。景色がいいし、海を眺めながらの食事はなかなか風情があっていい。

 冷房避けの薄手のカーディガンにロングスカートのワンピースの私は、降り立ったときに潮風でスカートを抑えた。


「ここなんだ? 田無たなし先生がいるのは」

「はい、そのはずです」


 三村くんはにこにこしながら、一緒に駅に降りる。私たちと電車に乗っていた四月一日さんは、女性の視線を一斉に浴びているものの、気にすることもなく私たちに続く。普段の見慣れたカフェスタイルから一転、こざっぱりしたシャツにスラックス姿に着替えただけで、驚くほどSNS映えする絵が完成してしまった。

 人魚だからなのか、容姿端麗な四月一日さんにはびっくりするほど海が似合った。

 私がまじまじと眺めている間に、Tシャツにハーフパンツの三村くんがてくてくと前を走る。


「いい坂だね」

「そうですね。ええっと……」


 私がちらりと四月一日さんを見ると、四月一日さんは九重ここのえさんが書いてくれたメモを読んでいた。


「実家に帰られたあと結婚し、今はこちらに引っ越して、大学講師を続けられていると。大学帰りはこの辺りでお茶をしているのが日課だそうです。三村くん、言っておきますが、あくまで彼女と出会っても本人だと言わないように」

「わかってるよ。ただ、少しだけ話をしたかっただけだからさ」


 そう大人びた口調で言う三村くんの声は、普段聞いているものよりも低く、ひどく老成して聞こえた。くん付けで呼ばせてもらっているとはいえど、彼は私よりもたしかに年上なんだなと思い知った。

 お茶しているというのは、ハーバーランドに面しているオープンカフェだ。私たちはそこへと向かった。

 メモに目を落としながら、「おそらくは彼女でしょうね」と小さく四月一日さんが声をかけた先には、上品な壮年の女性がいた。

 パンツスーツに、綺麗な革靴。ウォームグレイの髪は年を感じさせるものの、切り揃えられていて綺麗な雰囲気を保っている。その彼女はお茶を飲んでいた。


「行ってらっしゃい。ただし、子供ですからね。三村くんの、子供ですからね」


 何度も何度も四月一日さんに念押しされて、三村くんは彼女の近くの席に座った。田無先生は少しだけ驚いた顔で、三村くんを見た。

 三村くんはにっこりと笑う。多分、田無先生と小さな恋があった頃と同じように。


「今日は暑いですねー」


 三村くんの切り出しは、会話の常套句だった。田無先生は一瞬びっくりしたあと、「そうですね」と言った。


「今日は暑いですから、冷房の下に行ったほうがいいですよ」

「えー……でもあなたも暑くないですか? こんなところでお茶してて」

「ここのほうが、海がよく見えますから。私が昔務めていた場所も、海がよく見える場所だったんで、仕事先で見たときに、つい懐かしくなって、ついついここでお茶をする習慣が付いたんです」

「昔勤めていた場所?」

「講師をしていたんですよ。大学の」

「へえ……!」


 話は、どんどん大学の授業の内容へと変わっていった。気付けば三村くんの敬語は抜けていたけれど、田無先生は熱心に彼に教えていた。

 その雰囲気は、恋と呼ぶには甘くなく、でも郷愁というか、話の概要を知っているせいか、胸を締め付けられる絵になっている。

 もっとも、傍からは大学講師と大学生……に、ギリギリ見えなくもない……の校外学習に見えているだろう。

 私がふたりを眺めているところで、私が座っていた席にカランと氷のグラスの音が響いた。驚いて振り返ると、四月一日さんがアイスコーヒーを持ってきてくれていた。


「これだけ暑かったら、水分を摂らないと駄目でしょう。本当だったらカフェインのないもののほうがよかったでしょうが……」

「いえ、いえ。コーヒーありがとうございます。あ、お金……」

「これくらい普通に払いますよ」


 四月一日さんは私の隣の席に座ると、自分の分のアイスコーヒーをすすった。そして私と一緒に三村くんと田無先生を見る。


「ふたり、会えてよかったですね……なんと言いますか、本当に」

「ええ。本当に……三村くん、うっかりなので、彼女がもし生きていなかったらどうしようと思っていました」

「さ、さらりとすごいこと言いますね!?」

「いえ。不死者で時間感覚が麻痺していると、ときどきあるんですよ。前に出会った人が、とっくの昔に亡くなっているということが」


 私は絶句するけれど、そもそも田無先生が既に結婚して子供が独立しているくらいなのだから、かなり時間が空いているのだ。彼の感覚だったら、私の感覚で言うところの一、二年ほどだっただろうに。

 四月一日さんはしみじみと言った。


「多分、もう会えないでしょうから。これでお別れでしょうしね」


 何故か私からは、四月一日さんのひと言は、ずいぶんと身に染みているように聞こえた。

 やがて、話の弾んでいた三村くんは、立ち上がった。


「ありがとうございます、たくさん勉強になりました」

「ええ……なんだかあなたとしゃべっているとすごく懐かしかったわ」


 田無先生は、目を細めて三村くんを見た。その仕草は、自分の過去を探っているようだった。


「昔見ていた生徒に、あなたみたいな人がいたの」

「それ、オレだったのかもしれませんよ?」

「え?」


 彼女がきょとんとしたところで、三村くんは元気に手を振った。


「さようなら!」


 疑問を与える余地もなく、彼は駆け出していた。

 お久し振りです、さようなら。そんなこと言っていないはずなのに、何故か私にはそう聞こえた。

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