お盆の季節

 三村みむらくんの一件が終わってからも、特に不死者カフェが変わることはない。

 せいぜいお盆休みに入った影響か、昼間の人間のお客さんが増えてきた程度だ。この時期になったら、温かいコーヒーよりもアイスコーヒーが飛ぶように注文され、店内の回転も目まぐるしい。

 前職で無茶ぶりには慣れていたと思っていたけれど、お盆のサービス業を舐めていたなと、人間のお客さんが終わった頃にはぐったりとしていた。


「お疲れ様です。お盆の時期になったら、トアロードも人が増えますから」


 あれだけ忙しく、ひたすらアイスコーヒーをつくり続けていたはずの四月一日わたぬきさんは、髪の毛一本乱れることなく、平然としていた。このひとずるいな、と思ってしまうけれど、不死者と人間だったら疲労回復のもろもろが違うのかもしれないとやり過ごしておく。


「お疲れ様です……いや、まさかこの炎天下にこの坂道を登ってくる人がここまでいるとは思ってもいませんでした」


 接客を続けた結果、声が疲れでかすれてしまっている。私の力ない声にも、四月一日さんはきっちりと相槌を打ってくれた。


「まあ、地下鉄からでしたら、そこそこ涼しくここまで辿り着けますしねえ」

「そうですね……」


 そう言いながら、やっとありつけた賄いをいただく。

 普段だったら三時のおやつ前にいただくというのに、お客さんが閉店まで全く引く気配がなかったせいで、夕方までまともなものを食べることができなかった。見かねた四月一日さんがロッカールームで食べておいでとプディングやゼリーなどのおやつは食べられたけれど、これだけ働いたあとだと体は肉をご所望であった。

 本日の賄いはロコモコ丼だった。アボガドに照り焼きハンバーグ、温泉卵を乗せたがっつり丼を、私は必死にがっついた。ハンバーグのジューシーさ、アボガドのクリーミーさ、そして温泉卵の優しさが身に染みた。


「おいひいでふ……」

「それはよかったです。しかし、お盆の間は一くんが到着次第、八嶋やしまさんは帰ったほうがいいかと思います」

「ええ?」

「前にも言いませんでしたか? 今の時期、お盆ですから。お客様が増えるんですよ」


 四月一日さんは神妙な顔で言うのに、私は一瞬意味がわからなかった。うちの宗派だとお盆とはとことん縁遠く、お盆がどんなものなのかというのがいまいちピンと来ていなかった。


「うーんと、うちの家の宗派だったら、あんまりお盆のシーズンって、特別なことはしないんですけど。四月一日さん的には、なにかあるんでしょうか……?」

「そうですねえ。宗教や宗派によっては、あんまり関係ない人もいますよね。今の世の中、多様性が物を言いますから。まあ、端的に言えば、あの世からかなり里帰りしてくる方がおられますので、お客様が不死者以外にも増えるんですよ」

「げほっ」


 食べていたロコモコ丼が喉の変なところに入ったので、必死で咳をする。四月一日さんは黙って私にアイスコーヒーを注いで出してくれたので、それをありがたくいただく。

 要はアレか。あの世からのお客様が来るってことだろうけど……。


「ええっと……あの世からのお客様が来るって……私、今までそういうひとたちが見えたことは……」

「はい、だから八嶋さんも、見えないなら接客するのは無理でしょう? 今までどうにか誤魔化してきましたが、それで不死者のお客様に人間だとバレても厄介ですから、お盆が終わるまでは深夜営業時間帯に仕事をしないほうがいいです」

「そりゃ、まあ……見えないなら接客できませんけど……でも、ただでさえ昼間もすっごいお客さんの数でしたけど、四月一日さんと一さんだけでお仕事大丈夫ですか?」

「まあ、こういうときは、臨時バイトを雇っていますから。ああ、そろそろ来ますね」


 えっ。臨時バイトで深夜営業のことを知っているってことは、そのひとも不死者だろうに。私が会って大丈夫なんだろうか。

 そうこうしている間に、裏口から物音がした。普段、一さんはもっと大きな音を立てて入ってくるから、その音よりも軽い気がした。

 ひょっこりと顔を覗かせてきたのは、ついこの間やって来た三村くんだった。


「あっ、こんにちはー」


 三村くんは黒いベストにスラックス、カフェエプロンと、完全にウェイター姿になっていた。

 普段はTシャツにハーフパンツとラフ過ぎる格好なのに、こうしてカフェスタイルになったら、整った顔もくしゅくしゅとした癖毛も様になっている。顔面偏差値のいいひとというものは、格好ひとつで印象もガラリと変わるものらしい。


「あらら……臨時バイトって、三村くんだったんだ……」

「うん。今月の満月は、お盆と重ならなくってラッキーだったよねえ。オレも満月のときは制御できないもん」

「こらこら、そういうことを言って脅かさない」

「ごめんなさーい」


 いや、和やかに言っても物騒なことにはなにひとつ変わらないから。

 ふたりでいつもの調子でポンポンしゃべるのに閉口していたところで、ようやく一さんが出てきた。


「やあ、来たぞー」

「ああ、お久し振りー、一さん」

「おうっ、今年は臨時バイトに入れたかあ」

「いつもいつも満月と重ならないよ」


 一さんはにこにこ笑いつつ、小柄な三村くんのくしゅくしゅした癖毛をかき混ぜる。子供扱いすんなとばかりに、三村くんは一さんの掌から逃れようとするものの、なかなか上手くいっていないようだ。

 ふたりのじゃれ合いに、四月一日さんがパンパンと手を叩く。


「はいはい、その辺で。先に一くん、八嶋さんを送ってもらえませんか? さすがにお盆の間は深夜営業を手伝ってもらうのは危険ですからね」

「はいよ。たしかになあ」


 そう頷いて、一さんは来たばかりだというのに私をトラックに乗せて送ってくれることになった。

 なんだか申し訳ない。


「すみません。来た早々で送ってもらってしまって」

「いやいや、この時期だったら本当にお客さんが増えて大変だからなあ」


 そう言って、運転してくれる。

 お盆シーズンでも、バーやライブハウスの明かりは深夜まで途切れることはない。それらを見ながら、私は今日のことで思ったことを聞いてみる。


「うちの宗派って、基本的にあの世に行くって考え方はないんですよ」

「そういうところもあるらしいなあ」


 天狗のはずの一さんは、宗派とか宗教とかをどこまで知っているのかは知らないけれど、少なくとも私の言っている意味はわかるみたいだった。

 私はつっかえつっかえ、思いつきを言葉にしてみる。


「基本的に、ずっと子孫のところにいるって考え方らしいんです。そこで見守っていると」

「そりゃ平和だな」

「平和なんですかねえ……今晩からしばらくの間、不死者カフェにはあの世からのお客さんが来るって聞いて、なんかもやもやするというか……」

「んー……つまりは、初穂ちゃんは亡くなった親戚かなにかに会いたいけど、見ることができない。でもあの世からのお客さんが不死者カフェには大量に現れるから、それが羨ましいというか、ずるいと思っているって感じか」


 一さんがそうまとめてくれたのに、私は大きく頷いた。

 私にとって、家族は死んだおばあちゃんだけだった。お父さんもお母さんも私をいらないと言ったのと同じように、私もふたりのことはいらなかった。

 おばあちゃんだけだった。私のことが大事と言ってくれたのは。

 おばあちゃんの匂いの染み付いた家に戻ってきて、仏壇の花は夏でも枯れないように、できる限りスーパーの中でも綺麗なものを買ってきて活けている。それでも、私はおばあちゃんを見ることも感じることも、しゃべることもできない。

 人間と不死者はいろいろ違うらしいけれど、それでも死んだひとたちを見ることもしゃべることもできる彼らが、本当に羨ましくなったのだ。

 私がしゅん、と肩を落としていると、一さんは「そうだなあ……」と唸り声を上げた。


「初穂ちゃんが俺たちを羨ましいのと同じように、俺たちも初穂ちゃんが羨ましいと思うときがある。人間と不死者は違うもんだってわかっちゃいるけど、それでもな。お盆の季節になったら、余計にそう思うことがあるよ」

「え……?」


 一さんの意外過ぎる言葉で、私は目をぱちくりとさせた。普段から力強い印象の一さんが、ほんの少しだけ儚げに見えたことで、私は彼を二度見する。

 車は信号で停まり、そこで陽気な酔っぱらいが信号をのったりと渡っていくのを目にしながら、一さんはハンドルにもたれかかった。


「人間は大事なもの以外は全部忘れられるものだし、大事なものは覚えていられるからなあ。不死者の場合はそうもいかない。忘れっぽい割に、どうでもいいことばかり覚えている。年を食わない癖に、すぐに頭はかちこちに硬くなってしまう。なかなかままならないんだよ」

「はあ……」

「初穂ちゃんに会いたいって言ってもらえる奴は幸せだね。俺たちは誰かのトラウマになれても、なかなかいい思い出にはしてもらえないからな。それこそ、渉みたいな奴は稀だからな。羨ましいさ」

「えっと……一さんも」


 この陽気な料理人だとばかり思っていた一さんにも、忘れられなくって、もう一度会いたいけれど、もう会えない人がいるんだろうか。

 聞こうとする前に、私の家が見えてきた。

 一さんは私を玄関まで送り届けると「ちゃんと戸締まりして寝るんだぞ。おやすみ」と、まるで父親のように何度も何度も念押しして、私が家にきっちり入って雨戸を閉めるまで見守ってから、ようやくトラックを運転して不死者カフェまで戻っていった。

 私はおばあちゃんの仏壇の水を替え、花が夏場でもまだ元気なことにほっとしてから手を合わせた。

 私は頭の中で、不死者カフェのことを思い返した。

 もし、普段はただ漂っているだけのおばあちゃんが、年に一度だけ不死者カフェでコーヒーとご飯をいただけたら、きっと素敵なことだろう。おばあちゃんは神戸っ子だったのだから、昔ながらの和食よりも、喫茶店のモーニングのほうが好きだった。

 大好きだったコーヒーをいただいて、喫茶店のご飯を食べられたら、どんなに素敵だろう。そう思って仏壇から立ち上がると、シャワーを浴びて寝ることにした。

 久々に早めに帰れた私は、冷房を付けた寝室で、すこんと眠りに落ちてしまった。

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