店長の事情 料理人の事情

 えっちらおっちら四月一日さんを店内に引きずると、とりあえずカウンターに背中をもたれさせる。外に落としてきた靴と靴下はどうしようと思いながらも、ひとまず四月一日さんのマグロ……じゃなくって人魚の尾っぽのところに置いておく。足下、なのか尾下なのか、言い方に困るところだ。

 水も滴るいい男とは言うけれど、シャツが濡れ透けなのは、なかなかに目のやり場に困る。


「ちょっとタオル探してきますね。ロッカールーム見てきます」

「ありがとうございます」


 ロッカールームに行き、備品のタオルを持ってくる。未だに四月一日さんのマグロ……じゃなくって人魚の尾っぽはびちびちと跳ねている。


「すみません、八嶋さん。お見苦しいものを見せまして」

「い、いえ……とりあえず風邪引いちゃいますから、タオルで体拭いちゃってください!」


 人魚はそもそも風邪引くんだろうか。魚は体温でも火傷するとは聞くけれど、風邪を引くとは聞いたことがない。私がしょうもないことを考えている間に、「ぷっ」と四月一日さんは咽せた。


「……風邪は引いたことないからわかりませんが、ありがとうございます」

「おお、健康でよかったです」

「あ、ロッカールームの備品棚にドライヤーあるんですが、それ持ってきてくれませんか? 充電式なんで、コードなくっても使えます」

「はあ……」


 私はもう一度ロッカールームに戻ると、備品棚を漁る。たしかにドライヤーがあった。充電が完了しているのを確認してから、私はそれを持って戻ると、どうにか上半身を起こして、四月一日さんはタオルを頭にかけたまんま、自分の下半身にドライヤーをかけはじめた。

 って、えー……。


「あのう、こっちのほうが体に悪そうなんですけど、大丈夫ですか?」

「いえ。さっさと乾かして足を生やさないと、深夜営業に間に合いませんから」

「言い方!」


 そうこうしている間に、四月一日さんの尾っぽは乾くごとにふたつに割れ、だんだん鱗が引っ込んでいって、皮膚が見えてきた。ここまで来たら、人間の足と遜色なくなったところで、ようやく四月一日さんは裸足のまま立ち上がった。そしてぐっしょりと濡れた靴と靴下を摘まんだ。


「お騒がせして申し訳ありません。こんなミスは久々です」

「いえいえ。ええっと……四月一日さん、人間じゃなかったってことで、いいんですよねえ……?」


 いや、私も人魚なんて見たのは初めてだから、どういうリアクションをするのが正しいのか困っているんだ。これでも。私の声に四月一日さんは申し訳なさそうな顔で、頭を下げる。そしてまだ生乾きの髪をタオルで乾かしながら言う。


「そうですねえ。まあ、八嶋さんも見たのでわかるでしょうが、自分は人魚なんですよ」

「はあ……でも、なんで? なんでカフェ? 四月一日さんが人魚なのは、さっき見たので納得できるんですけど、なんでカフェやってるんですか。そもそも人魚がごくごく普通に店構えているのに驚きなんですが」


 我ながら困惑して、無茶苦茶傍迷惑な疑問を並べているような気がする。当然ながら、四月一日さんも困った顔でこちらを眺めている。


「元々は深夜営業のみのつもりだったんですけど、うちに料理を出しに来る彼がいつもつくり過ぎるんで、余って困っていたんですよね。フードロスって問題じゃないですか」

「なにその生っぽい話」

「そりゃ生きてたら生っぽい話のひとつやふたつしますよ。ですから、フードロス問題解決するために、昼も営業してたら、こうして見つかっちゃったんですよ。でも困りましたねえ、自分は人の記憶とか操れませんから、知られたからと言って『見たな』とか言えないんですけど」


 知った私が言うのも難だけれど、呑気過ぎないかな。四月一日さん。そして四月一日さんが人魚だからと言って、既に驚き過ぎた私は、プレッシャー与えられてもこれ以上驚くことなんてできやしない。

 そして、私も職を失う訳にはいかないから、店を出て行けとか言われてもものすっごく困る。


「あの、私。生きている以上働かなきゃ駄目なんですよ。だから、店長が人魚だなんだと言われても、知られたからには辞めてもらおうとか、口止めであれこれされるっていうのは、ものすごく困るんですけど」

「ああ」


 四月一日さんが、手をポンと叩いた。


「そうでしたね、今の世の中じゃ、雇った人を辞めさせるっていうのも手でしたね。この辺りちょっと抜けてましたねえ」

「いや、だから辞めさせられたら困るんですってば。それに、別に四月一日さんが人魚でも全然問題ありませんし、他人に言いふらしたりはしませんし、生活かかっているんでなおのこと辞められませんし!」

「そうですか……」


 いったいどんな会話なんだ。これ。私は目をグルグルとさせていたものの、四月一日さんは納得したような顔をした。


「じゃあ、これからもよろしくお願いします……と言いたいところなんですけど、別の問題が発生しました」

「はい?」


 えっ、私結局辞めさせられるの?

 ダラダラと冷や汗を掻いていたけれど、体を拭き終えた四月一日さんは「ちょっと着替えに行きますけど」とロッカールームへと向かう。


「そろそろ深夜営業なんで、料理とか届くんですけど。彼は人間見てどう反応するのか、ちょっと読めないんですよねえ」

「えっ、待ってください……ここのおいしい料理つくってるひとって……人間じゃなかったんですか?」

「うちの店、ちゃんと名前にも書いてるでしょ」


 四月一日さんはロッカールームに向かいがてら言う。


「うち、不死者カフェですから。来るのは基本的に、不死者です」

「ふししゃ……不死者!?」


 なんでこんな攻めている店名なんだろうと思ってはいたけど。まさか、そのまんまの意味だなんて、人魚にでも会ってなかったら思わないじゃないか。


「そっちのほうが、先に言わないといけないことじゃないですか!?」

「いやあ……フードロス問題がてらにはじめた昼営業だと、基本的に来るのは人間ばかりですから。八嶋さんもそっちの人たちだけ相手してもらう予定でしたしねえ。でも本当にどうしよう。ああ、そっか」


 四月一日さんはひとりで勝手に納得してから、私にさっきまで使っていたタオルを被せた。少し湿っているし、気のせいか四月一日さんがずっと纏っているコーヒーの匂いが移ったような気がする。

 いきなりの展開に目を白黒とさせていたら、四月一日さんは今度こそロッカールームへと向かった。


「店は出ても出なくってもかまいませんが、できる限り自分の匂いを纏わせてください。何分……深夜営業のひとたちは危険ですから」


 そう言い残していった中、私は呆然としていた。


「一番先に言うことって、それじゃないですか!?」


 そう叫んだものの、今日は雨がひどく、これ以上夜が深くなったら、いくら電動自転車とはいえども坂道を登るのはちょっと怖い。

 それなら、夜更かししてもいいから、雨が緩くなるまでここに置いてもらったほうがいいかも。私は深く溜息をついた。


****


 四月一日さんは、さっさとシャツとベスト、エプロンを真新しいものに着替えて、靴も靴下も予備のものに履き替えて戻ってきた。

 仕方なく私も制服に着替えて、料理が届くまで待つことにした。


「そういえば、人魚がどうしてコーヒーを? あの、魚は火傷に弱いんじゃ……」

「まあ魚はそうですよね。でも人魚はちょっと違いますよ。そういえば、八嶋さんは八百比丘尼ってご存じですか?」

「八百比丘尼って……うちの店名ですよね?」

「ああ、ご存じないんですねえ……元々八百比丘尼というのは、人魚の肉を食べたがために不老不死になってしまった女性の俗称ですねえ」

「って、そのひと、人魚を食べちゃったんですか!?」

「自分たち、基本的にミイラになろうが、逆に水を吸いまくってブクブクに太ろうが、死なないんですけどねえ。さすがに身を食べられてしまったら、再生するのに時間かかりますけど」


 頭の中で、四月一日さんが切り刻まれて刺身にして食べられているのが浮かんだけれど、あまりにもアカン過ぎて首を振ってしまった。

 昔の人わからん。なんで人魚を食べようと思い立ったのか、全くわからん。私が気分悪そうな顔をしているのに気付いたのか、四月一日さんはやんわりと言う。


「まあ……その逸話通り、魚よりも結構丈夫なんですよ」

「そんな軽いもんですかあ……」

「何分死なないもので」


 軽っ、ノリが軽っ。

 四月一日さんの物言いに脱力していたところで、裏口から音がした。


「ああ、そろそろ来ますね」

「いつもおいしい料理つくってくれているひとですよね」

「そうですね」


 裏口を見ていたら、大きな荷物を担いで入ってきた。Tシャツを捲り上げて、引き締まった腕の肉をこれでもかと見せつけてくる、太めのデニムを穿いた男性だった。ガテン系の人、と言えばいいんだろうか。

 不死者だって脅かされていたから、どんなひとだろうと思っていたけれど。一見すると人間と同じに見える……いや、そもそも四月一日さんも潮入り雨に打たれてなかったら、こちらも全然気付かなかった。


「おう、満。料理持ってきたぞ……って、ん?」


 私に目を向け、びっくりしたような顔をする。私はペコンと頭を下げた。


「昼間にバイトしている、八嶋初穂です……」

「どうもぉ……はあ、あんたが人間の押しかけ店員かあ!」


 何故か興味ありげにこちらをジロジロと見てくる。四月一日さんは綺麗めな顔なのに対して、この人はぎょろりとした目、大きな口と全体的に大味が過ぎるのに整った顔をしているという、訳のわからない人だ。

 私は四月一日さんに助けを求めた顔を向けると、彼は「にのまえくん、その辺で」と止めに入ってくれた。


「彼は一はじめくん。うちに料理を卸してくれている」

「どうもー。何分普段から山暮らしで、やることっつうと料理くらいだからな」

「山暮らし……ですか?」


 実際にトアロードに限らず、三宮は六甲山ろっこうさんの麓に存在する街だ。わざわざ山から来てくれたんだろうか。私が首を傾げていたら、一さんはあっさりと言う。


「修行に飽きたら、こうして料理してりゃいいんだからなあ。気付けばこうして店にまで出せるもんまでつくれるようになったんだから、長生きはするもんだなあ」

「彼、天狗ですから。本来は修行の身なんですが、このように道楽ばかり……」

「えっ……」


 天狗。あんまり詳しくはないけれど、鼻が長くって赤い顔をしている、修験服のひとっていうのは想像できる。

 人魚の営む店に、天狗が料理を卸しているって、どうなっているのか。

 店員だけで既に面白いのに、これお客さんはどうなるんだろう。もうそろそろはじまる深夜営業が楽しみなような、怖いような、変な気分になってしまった。

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