店長の正体

 不死者カフェ八百比丘尼で働きはじめて、いくつかのことがわかった。

 ひとつ、私が店員さんと思っていた四月一日さんは、実は店長だということ。私と同い年くらいに見える人が、神戸で喫茶店の店長をしているのはちょっと意外、と思う。

 だってここは立地が良すぎる上に、喫茶店激戦区だ。場所を借りるのも、ここで店を続けるのもひと苦労だと思うから、ここで店をしようと決断を下せた四月一日さんは、なかなかのチャレンジャーだと思う。

 ひとつ、ここのお客さんは思っている以上に変わった雰囲気の人が多いということ。神戸は観光地だから、あちこちから人がやってきてもおかしくはないけれど、観光客というのもちょっと違うような人がよく来る。

 今日モーニングにやってきた人だって、綺麗な黒髪ストレートに一瞬見とれたものの、格好を見てびっくりしてしまった。ラベンダー色のロングスカートに、顔を口から下までベールで隠している。

 しかしベール越しに見ても、通った鼻筋といい、凜とした眼差しといい、やたらと端正な顔付きをしているのが見て取れる。私が帰らない内に、トアロードは美形の見本市になったんだろうか、と考え込んでしまうほどだ。

 彼女はカウンターに座ると、注文を聞きに来た私を見て「あら」と頭を下げてしまった。


「……ご注文はお決まりでしょうか?」


 できる限りポーカーフェイスで尋ねてみたら、彼女は言う。


「こちらに戻ってきて、十件連続の不採用はつらかったですね。アルバイトが見つかってよかったです」


 そう言って、ブレスレットをしゃらしゃらと鳴らした。一瞬数珠に見えたそれは、よくよく見たらアメジストと水晶で飾られていた。四月一日さんにだって、私が神戸に戻ってきたということ、十件連続の不採用のことなんて言ってないっていうのに。

 どこかヒントになるようなものなんて書いてたっけ。私があたふたとしていたら、四月一日さんがお客さんにやんわりと言う。


「駄目ですよ、九重ここのえさん。いきなり人のことを占っては。八嶋さんが驚いているでしょうが」

「え……占い……?」

「すみません。彼女はそこのフラワーロードで占い屋を営んでいるんですよ」


 フラワーロードは、トアロードを抜けて、阪急高架下を更に抜けた先にある、三宮の中でも賑わっている繁華街のひとつだ。

 でも占い屋さんと言われて、ようやく九重さんの格好の理由もわかった。彼女の占い師用の装束なんだろう。まさか占い装束のまんまでモーニングを食べに来るとは思わなかったけれど。

 九重さんがくすくすと笑う。


「いえ、私。人間が大好きだから。だから、ここで働く人間に興味があったの」

「は、はあ……ええっと……もうちょっとでフラワーロードの店も開きますよね? そろそろ注文をしたほうが……」


 これ以上何かを四月一日さんにバラされたらやだなあと思ったので、ごにょごにょと注文の催促をしたら、ようやく九重さんは満足したのか「今日のトーストモーニングセットで」と答えてくれた。

 私が「かしこまりました」と言って、四月一日さんに伝えると、四月一日さんはさっさとトーストを焼きはじめた。

 関東と関西の違いはいろいろあるけれど、そのひとつはトーストの分厚さだと思う。関東では薄切りのカリカリのものを好むけれど、関西では分厚めのもので外はこんがり、中はふんわりを好む。

 四月一日さんがトーストしたパンもまた、五枚切りのものを四等分に切ったものだ。添えるのはいちごジャムにバター。どれも手作りで市販のものよりも香りが強い。


「このジャムとバターも四月一日さんがつくったんですか?」

「いえ、このふたつは発注しているんですよ。私が店を営む際に料理を卸してくれている知人がいるんで、私はほとんどコーヒーの管理しかしてませんね」

「なるほど……」


 どうりでメニューがちぐはぐだと思ったら。四月一日さんの趣味ではなく、知人の趣味だったら納得だ。共同経営とも違うみたいだけど、その人が料理をつくってくれて、その料理を温めたりしているんだな。

 そうこうしている内に、モーニングセットが出来上がった。出来上がったものを見て、私は「わあ」と感嘆の声を上げる。

 スープはオニオングラタンスープ。これ、玉ねぎを茶色になるまで炒めて煮るって、作り方はシンプルなのにおいしくつくるとなったら時間がかかり過ぎてすぐに脱落してしまう。きつね色のトーストの隣にはジャムとバターが器に盛られて添えられている。サラダはひよこ豆ときゅうり、サニーレタスをシーザードレッシングで和えているし、サラダを入れた器の隣には、ふんわりとしたスクランブルエッグが添えられている。

 そして最後に添えられたコーヒーは、既に九重さんの好みを知っているからだろう。ブルーマウンテンのブラックコーヒーがカップに注がれた。

 もう香りだけで充分おいしそうだ。それを四月一日さんが「九重さんに」と差し出したので、私は慌てて彼女に「お待たせしました、モーニングセットです」と差し出した。

 九重さんは、黒い艶やかな髪がお皿に零れないように気を付けながら、「いただきます」とそれを食べはじめた。オニオングラタンスープは音を立てずにスプーンで飲み、サラダとスクランブルエッグも丁寧に食べる。そしてトースト。これには四つ切りのひとつにはバターを載せてさっくりと召し上がり、ひとつにはジャムを載せて召し上がった。

 綺麗に食べる人だなあ。私は感心しながら見ていたら、他のモーニング目当てのお客さんもやって来て、一気に慌ただしくなる。

 私が注文を取り、四月一日さんが慣れたように次々とモーニングセットを仕上げていく。ばたばたしている内に、九重さんが食べ終わったようだ。私は会計のほうに出て行ったら「あなた」と声をかけられた。


「はい?」

「今日は雨だから、帰るときには気を付けなさい。あと、今日は潮風が強いから。驚くことが起こっても、怖がらないでね」

「はあ……」


 占い以前に、今日はカフェに来る前に見た天気予報では、雨だと言っていたと思う。潮風っていうのは、神戸は海と山に挟まれた地区だからだろうけど。この辺りでは普通に南は「海の手」と呼ぶし、北は「山の手」と呼ぶ。だから風の中に潮が混ざることも珍しくないけど、それで驚くことってなんだろう。

 神戸に住んでいたら、別に潮風は珍しくもなんともないんだけどな。私がわからないという顔で、九重さんの会計を済ませて見送る。

 ふとモーニングセットをつくり続けている四月一日さんと目が合った。端正な顔付きで物腰柔らかという印象の四月一日さんが、ものすっごく渋い顔をしている。初めてブラックコーヒーを口にした子供みたいに。


「あの、四月一日さん……?」


 思わず声をかけると、四月一日さんは我に返った顔をして、こちらに笑みを浮かべた。


「いえ、次のモーニングができましたので、持っていってくださいね」

「わかりました」


 プンと漂うのはグリーンカレーの匂い。朝からグリーンカレーを食べるなんて、元気だなあと感心していたら、四月一日さんの渋い顔のことはもう忘れてしまっていた。


****


「深夜営業ですが、さすがに女性に手伝ってもらうのは申し訳ありませんから、六時にはもう上がってくださっていいですからね」


 ここで働きはじめたときに、四月一日さんにそう言われ、深夜営業のほうは私は未だになにをしているのかは知らない。

 でも出勤のときも退勤のときも、アルコールや煙草のにおいはしないから、行き帰りが危ないから来なくていいと言っているだけで、バーをしている訳ではなさそうだ。

 その日も午後までのお客さんの相手をして、掃除とゴミ捨てをしてから、私は帰ることにした。


「ああ、そういえば今朝来た九重さんも、雨降るって言ってましたけど。深夜営業がはじまる前になにかしておいたほうがいいことありましたら、帰る前にしておきますよ」


 私がそう聞くと、四月一日さんは「いえ……」とだけ答えた。まあ、この店は特に雨漏りの心配もなさそうだから、私がすることはないのかな。

 そう思いながら、「それではお先に失礼します」と言って、裏口に置いた電動自転車に乗って帰ることにした。そのままシャコシャコと坂を登って、実家に帰ろうとしているとき。額にポツン、と滴が落ちてきた。


「ああ、雨だ」


 持ってきていたレインコートに手を伸ばそうとして、気が付いた。仕事内容覚えるためのメモを出し入れするとき、邪魔だなと思ってロッカーに出したんだった。まずいな、ちょっと降ってきたくらいだったら、このまま家に帰ればよかったんだけど、これ以上降るんだったら、店に取りに戻ったほうがいい。

 仕方なく、Uターンして、店の裏口に自転車を止める。そのまま裏口に入ろうとしたときだった。裏口になにかが倒れていることに気が付いた。って、四月一日さんが倒れている。


「ちょ……四月一日さん、どうしたんですか!?」


 なに、私の帰宅後に強盗でも来たの。たしかにこの時間になったら、飲み屋が開きはじめて、少々柄も悪くなるけれど、なにもこんな雨の日に強盗なんてしなくってもいいじゃないか。私が勝手に憤慨していたら、四月一日さんが心底申し訳なさそうな声で「すみません……」と言った。


「いや、謝ることしてないじゃないですか」

「いえ……その……運んでくれませんか?」

「って、怪我でもしたんですか!? きゅ、救急車とか呼びますか……?」

「いえ、必要ありません。ただ、立てないだけで」

「立てないって……やっぱり怪我でも……」


 おろおろして四月一日さんの足を見て、私はようやく彼が言った意味を理解した。四月一日さんのエプロンを巻いている足。そこから足がなくなっているのだ。靴は脱げてしまい、靴下も靴に張り付いている。そして。足の代わりに伸びていたのは。

 マグロの尾っぽを思わせる、尾。そう、尾。


「……足がマグロ!?」

「マグロじゃないです。人魚です」

「って、人魚!? 人魚って、その……泡になって消える奴の!?」

「まあ、一番有名な人魚の話っていうと、アンデルセン童話ですよね。それです……」


 九重さんが、朝に私に残していった占いを思い出した。


『今日は雨だから、帰るときには気を付けなさい。あと、今日は潮風が強いから。驚くことが起こっても、怖がらないでね』


 いや、仕事先の上司が、実は人間ではありませんでしたと言われたら、どうするのが正解なの。私はひとまず裏口のドアを大きく開くと、おっかなびっくり四月一日さんを引きずることからはじめることにした。

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