深夜営業開始

 にのまえさんは、私が目を剥いているのに気付き、目を瞬かせる。


「ありゃ。てっきり満のところに押しかけてきたんだから、そういうのが好きなのかとばかり。最近そういう本多いだろう? あやかしとかもののけとか、そういうのが人間界に隠れてこっそり料理屋を開く、みたいなの」


 本屋の棚に、気付けばご飯を題材にしている本がものすごく増えたとは思うけど、人外が店を開いているみたいなのかどうかまでは見たことないから知らない。

 四月一日わたぬきさんは「はあ」と息を吐いた。


「今日は自分のミスで知られたようなもんですから、八嶋さんはそういうのにあんまり耐久がありませんよ。今日の客人にあまり人間だと気付かれないよう、気を配ってやってください」

「了解。まっ、気楽に行こうや。じゃあ、そろそろ深夜のメニューに切り替えるぜ」


 そう言って、店内に置いてあるメニューを取り上げると、ポンポンと新しいメニューに差し替えていった。

 って、あれ?


「深夜だと、メニューが違ったんですか?」

「まあ、仕事帰りに来る客が多いからなあ。腹減りも多いし、コーヒー好きも多いから、夕方までよりもがっつりしたもんになるかもなあ」


 私は思わずメニューを見る。

 カツカレーやらビーフストロガノフやら、たしかにがっつりしたメニューが増えている。それでいて、コーヒーのメニューは相変わらず細かいままだ。

 ここにやって来る不死者のひとたちも、お腹が空くのかな。私がメニューを眺めていたら、四月一日さんがパンパンと手を叩いた。


「それじゃあ、八嶋さん。普段は注文を取りに行ってもらっていますけど、今日は一くんのアシスタントをやってもらっていいですか? 注文は自分が取りに行きますから」

「アシスタントって……料理の盛り付けとか……でしょうか?」

「はい。そのほうが、不死者に勘付かれなくっていいでしょうから。一くん、かまいませんか?」


 四月一日さんの提案に、一さんは愛想良く頷いてくれた。


「そうだなあ、そのほうがいいかもな。それじゃ、頑張ろうや、初穂ちゃん」


 そう笑顔で言う一さんに、私は思わず赤面した。この年になったら、なかなかちゃん付けで呼ばれるもんじゃないから新鮮だ。

 そうこうしている間に、深夜営業がはじまった。

 最初にカラン、と扉を開いてやって来たひとを見て、私は思わず「あ」と言ってしまった。

 私に怪しげな占い内容を告げていった九重ここのえさんだったのだ。


「あら? 今日は店員さんもいるのねえ」

「九重さん! いらっしゃいませ……ええっと?」


 私は思わずカウンターの外に出ている四月一日さんと目を合わせると、四月一日さんは溜息をついた。


「ええ。彼女もまた、不死者ですよ。昼間から行動しているひとは滅多にいませんけど」

「あらあら。人間が相手してくれるなんて久し振りねえ。店員さん、今晩は忙しくなるから頑張ってね?」


 九重さんはチャーミングに笑って、カウンター席に着いた。

 ……四月一日さんが人魚で、一さんが天狗だったけど、九重さんもまた不死者のなにかなんだろうか。そう思ったものの、どうも彼女が何物かは一瞥できそうもなかった。

 四月一日さんは「ご注文をどうぞ」と言うと、九重さんはカウンター越しに私を見ながら「そうねえ……」と形のいい指を折り曲げた。


「今日は甘いものが食べたいから、糖蜜パイとカプチーノをくださる?」

「かしこまりました。糖蜜パイとカプチーノを」


 注文を取り付けてきた四月一日さんがメモをポンとカウンターに置いた。それを見て、一さんが「手伝ってくれな」と私に言ってきたので、私は頷いた。

 カプチーノはイタリアの深煎りコーヒーに泡立てたクリーム状のミルクを注いだものだ。コーヒーはエスプレッサーという機械で一気に淹れ、ミルクをその上に注ぐ。ミルクを注いだらすぐに冷めてしまうから、結構時間勝負なんだ。

 私がエスプレッサーを見張っている間に、一さんは手際よく糖蜜パイの用意を進めた。

 糖蜜パイは元々はイギリス料理で、本来はトリークル・タートと呼ばれている。パン粉をシロップで味付けしてフィリングにし、タルト生地に流し込んで焼いたものだ。本場ではゴールデンシロップって呼ばれるサトウキビのシロップで味付けしているんだけれど、日本ではあんまり手に入らないせいか、一さんはハチミツで代用し、香り付けにレモンの皮を使っている。

 ひと切れサイズに切り分けたものに、たっぷりのクロテッドクリームを添える。イギリスのお菓子だから、本当だったらカプチーノではなく紅茶を合わせるべきかもしれないけれど、糖蜜パイはメインはハチミツたっぷりのフィリングで、とにかく甘いから、たしかにコーヒーとのほうが合うかもしれない。

 私が淹れたカプチーノにミルクを注ぐのと、お盆に盛り付けた糖蜜パイの皿を載せるのはほぼ同時だった。フォークを添えて、それをカウンター越しに差し出す。


「お待たせしました。糖蜜パイとカプチーノです」

「ありがとうございます」


 九重さんは嬉しそうに目を細めて、ひと口ずつ糖蜜パイを食べはじめた。

 とにかく甘い糖蜜パイだけれど、その分カプチーノの苦さと相性がよく、ふくよかなコーヒーと糖蜜パイのレモンの香りが交互に漂った。


「……うん、おいしい」


 彼女が和やかに笑っているのに、私はほっとした。

 一さんは少しだけ感心したように私を見てきた。


「ほう、満が店員として置くだけのことはあるなあ。こいつ、コーヒー馬鹿だから」

「わ、私もコーヒーの知識があるだけで、機械の使い方とかコーヒー豆の保存方法とかは全部四月一日さんから教わりましたよお」


 そりゃもう、サイフォン式で淹れるコーヒーも、手順を間違えたらすぐに豆の香りが飛んでしまうとか。最初の肝の豆の保存方法がいかにコーヒーの香りと味に影響するとか。私が取ったメモは、四月一日さんからの注意書きでパンパンだ。

 エスプレッサーの使い方だって、機械だからと舐めてかかったら、カップに淹れた端から冷めてしまうから、タイミングが重要なんだ。淹れるときはいつだってドキドキしている。

 私が一さんに訴えているのを、四月一日さんはにこやかな顔で眺めた。


「いえ、八嶋さんは覚えが早くて助かっています。一くんは料理はできても、豆の扱いが雑ですから」

「悪かったなあ。そもそも料理人は刺激物が駄目だから、あんまりコーヒー飲めねえんだからな。だから悪いけど、あんまり違いがわかんないんだよ」


 ああ、そっか。料理人のひとって、味覚をしっかりさせないといけないから、スパイスとかカフェインきついものはあんまり摂らないんだっけか。天狗が料理人かどうかはともかく、一さんは料理するのにずいぶんプライドを賭けているみたいだった。

 でもコーヒーも苦いのから酸っぱいのまであるから、そんな一緒くたにされたら、コーヒー好きの四月一日さんからしてみれば我慢ならないのかもなあ。

 私がそう納得している間に、ドアが再びカランと鳴った。


「いらっしゃいませー」


 人間はこの時間帯になったら、コーヒーよりもお酒が飲みたいから、ここには滅多にやって来ない。来るのは本当に不死者ばっかりだ。

 コーヒーの香りのせいなのか、今日はカウンターでコーヒーや料理の盛り付けばかりしてりうせいなのか、不思議と私を「人間?」と聞くひとはいなかった。

 ただときどき物珍しげに「店長、新しい子雇ったの?」と聞くひとがいるだけで。

 しかし、見てくれだけだったら、どのひとも不死者かどうかわからない。ただ九重さんみたいに変わった格好の人が多いことだけは気付いた。

 チャイナ服の女の子は、おいしそうにカツカレーを平らげ、コーヒーはブルーマウンテンにミルクを入れて飲んでいた。この時間帯で行き来するには、少々年が若過ぎる気がするけれど、誰もなにも言わない。

 スーツの男の人は、頭をポマードで固めていて、角みたいにセットしている。その人はサーモンとアボガドのサンドイッチとコロンビアのブラックをもふもふと食べている。

 でもよくよく観察していると、そりゃそっかと納得してくる。

 人間だったら、深夜にコーヒーなんて飲まない。だっていくらコーヒー好きだからって、深夜で働かない限りは、カフェインなんて摂れない。カロリーだって、体重計が怖いからこの時間帯だったらもっとあっさりしたものを食べるだろうけど、この場にいるひとたちは誰ひとり気にする素振りがない。

 ここにいるひとたち、見た目じゃ全然わからないけど、人間じゃないんだなあ……。

 それぞれに配膳を終え、帰る準備をしたひとたちに会計を済ませる。不思議なことに、お金は皆持っているし、中には電子マネーで支払ってくれるひともいるから、人間社会への順応生もばっちりだ。

 しばらく働いていたら、外の雨も大分治まってきた。


「もうちょっとしたら、閉店ですね。もう帰りも遅くなりましたから、八嶋さんを送らないといけませんね」

「い、いえいえ! 電動自転車ですし、ちゃんと帰れますから」

「いえ。まだ危ないですから。自転車置いていくのが気がかりだっていうんだったら、一くんのトラックに自転車乗せてもらえばいいんですし」

「おう。別にかまわんよ」


 ふたりとも愛想がいいなあ。

 でも、そうだなあ、雨で濡れた石畳を自転車漕ぐのはちょっと怖いから、お言葉に甘えさせてもらってもいいかもしれない。

 そこまで考えたとき、カランッと音を立ててドアが開いた。


「すんませんっ! まだ店開いてますか!?」


 既に客が捌けてきて、食器を食洗機に突っ込んでいたところで、ひとが飛び込んできた。

 金髪に染まった髪を編み上げてハーフアップにし、黒いシャツの胸元がそれとなく開いて鎖骨が覗いている。

 どう見ても、ホストだった。


「いらっしゃいませ。まだ開いてますよ」

「よかったぁー……あー、すんません。いつものマフィンサンドとブラジルコーヒーを」

「かしこまりました。八嶋さん、最後のお客さんです」

「あ、はい」


 私はちらっとホストらしき男の子を見た。

 格好はどう見てもホストのそれなんだけれど、やけに顔が可愛いのだ。三白眼で、犬歯がやけに尖って見えるのは気になるけれど。と、私がジロジロ見ているのに気付いたのか、にこっと笑って手を振ってきた。

 ……明らかに私より年下に見えるんだけど、この子もまた不死者なんだよね? 彼がなんなのか、よくわからないけれど。

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