第2話 爪先からダストへ

「いらっしゃいませー」

 AMUZA NAILへ足を踏み入れると、ほっとした。今まで行ったサロンは、美容室の片隅にあるスペースや、商業施設の一角に構えられた店舗だった。一方AMUZA NAILは、住宅地の中にある、簡素な平屋建ての店だった。ひっきりなしに人が通り、落ち着かないことも多かった。一方AMUZA NAILは、住宅地の中にある、簡素な平屋建ての店だった。建物の中に入ると、店主以外の人間はいない。おそらく、彼女一人で経営しているサロンだからだろう。キャパの都合上、客を同時にいれていないから、必然的に貸し切りになる。

 それがとても贅沢で、落ち着いた。

 この時間、ネイリストは、私だけに向き合ってくれる。

「スリッパに履き替えてあがってください」

 声をかけられて、私はラグの上で靴を脱いだ。

 店主の好みなのだろうか。ラグは有名なブランドのものだし、スリッパも女性向け雑貨屋で売っていそうなものがセレクトされている。店内につけられている間接照明もおしゃれだ。ネイルをする店なのだから、店内は最低限の調度でいい。そんな考えとは対極にある店だ。

 案内されるままに席に座る。

「すごい、素敵なお店ですね」

 本心から、つぶやいた。

 私のつぶやきは、耳に入ったらしい。

「ありがとうございます! 私の趣味全開なんですけど、お客様にも非日常の時間を楽しんでほしくて、こだわっちゃいました」

 素直に喜ぶ店主をみて、少しだけうらやましいと思った。

 自分の店をもって、自分の思い通りに仕事をすることが。

 そしてなにより、仕事を楽しんでいそうなところが。

「今日はどうしましょう?」

 私はどうしたいのだろう。

 消毒のために両手を差し出しながら、私は目を落とした。

「とりあえず、付け替えしたいんですけど。どういうふうにしてほしいのかがまだ決まってなくて。今の、このネイルが職場でNG食らっちゃって……でも、ネイルはしたいんです」

「ええ、このネイル、めっちゃかわいいのに、NGなんですか~。うちでもこれ人気のデザインで、オフィスネイルでいけるって人もいたのにで、結構厳しいんですね」

 店主の名札にはAMUと書かれている。彼女は、私の言葉に打てば響くように返してくる。

 私はあいまいに微笑んだ。

「だから、あんまり派手じゃないやつで、でも、自分ではできないようなデザインがいいんです。せっかくお店でやってもらうから」

 さて、どうでてくるだろう。

 私はAMUを試している。

 上司が小言を言わなさそうで、私も納得するかわいさのデザインのネイルをしてみたい。これは本心だ。

 だが一方で、気になっている。このネイリストは、どんな提案をしてくるのだろうかと。

 これで『どんなのがいいんでしょうね』とか言われると、プロ失格だな、とは思う。同時に、仕事を楽しんでいるようなAMUに、一泡吹かせてやったというような、優越感を持てるのかもしれない。

 ああいやだ。自分が仕事を楽しんでいないからって、人に嫌な思いをさせようとするなんて。

「あ、だったら、ベイビーブーマーとかどうですか?」

 迷いなく、彼女は言った。きらきらした瞳のままで 。まったく困っていない様子に、私のほうが困惑した。私だったら、要領をえないふわっとした要望は、面倒に思ってしまう。顧客側が求めている答えを、私が導き出さなければいけないからだ。

 AMUは違う。ざっくりとしたオーダーに、嫌な顔一つせず提案する様は、プロフェッショナルだった。

「ベイビーブーマー?」

 そう口にするのが精いっぱい。二年近くネイルサロンに通っていても、聞いたことがない単語だった。

 AMUは席をたつと、奥から写真たてをとって戻ってきた。

 両面テープで、爪の形を模したチップが張り付けられている。

 ネイルデザインのサンプルのようだ。

「これ、一番上のやつなんですけど」

 ピンクと白のグラデーション。何の変哲もない、落ち着いたデザイン。ぱっと見て、セルフネイルでもできるのではないかと思った。

 私はネイルサロンで、単色塗りのワンカラー―コースは絶対に頼まない。自分でマニュキュアを塗れば事足りると思っているからだ。同様に、グラデーションも頼まない。手間だがセルフでもできる。

 疑問が顔に出ていたのだろう。AMUがかわいさを分かってもらおうとするかのように、うっとりとした顔で説明をはじめる。

「ベイビーブーマーは、爪の生え際から先端にかけて肌なじみのいい色、例えばピンクから白色へのグラデーションのネイルなんですけど、細かいグラデーションになるのが特徴で。人力で再現するのは難しいんですけど、カラー材を吹き付ける機械を使うのでとできるんです! このあたりではベイビーブーマーができるのはうちくらいだと思います」

 サンプルをもう一度見る。確かに、チップの先端は細かい白色の粒子がのっている。

 よくよく見ると、セルフではできそうになかった。

 それに、サンプルのピンクは桜の花びらに似た色で、これなら派手だと言われなさそうでもある。

「じゃあその、ベイビーブーマーってやつに、してください」

「わかりました! じゃあ、今ついているやつ、オフしますね」

 AMUはそう言って、6色ボールペンのような機械を取り出した。

 電動ネイルマシンだ。ネイルサロンでしてもらうネイルの主流はジェルネイル。

 自爪を土台に、ゲル状の樹脂を硬化させることで形成するネイルとなる。

 マニキュアは乾かすまでに時間がかかったり、時間が経つと、徐々に色が剥げたりしてしまう。

 一方ジェルネイルはライトを使って固める特殊なネイルを何層にも重ねてコーティングしている。そのため3~4週間はもつ。

 ただし欠点もある。自分でオフすることが難しい。マニキュアは除光液をティッシュにしみこませて爪をこすると落ちるものの、ジェルネイルはそうはいかない。

 電動のネイルマシンで削って落とす工程が必要になる。他に爪やすりを使って削る方法もあるけれど、恐ろしく時間がかかる。とてもじゃないけれどやっていられない。プロに任せるのが一番だ。

 ういいいんとマシンが音をたて、私のジェルネイルをじじじじと削っていく。

 花火がお金が燃えているというのなら、ネイルはお金が塵になって消えていくようなものだ。

 私が前に払ったネイル代6000円が削られていく。糸鋸で木材を切ったときにでる木くずのように、文字通り、ダストとなって空気中に飛び散っていく。それを集塵機が吸い取っていく。もったいないという気持ちは少しあるけれど、新しいデザインの爪になるのも楽しみだ。

 ネイルの付け替えを一言でいうと、『壊してつくる』につきると思う。手元をきれいにしていたネイルを一思いに削って、ときには自爪もやすりで磨かれて。その上にきれいな色が乗る。電子メモパッドに新しく文字を書くため、今まで書いたものを消去するように。そうして生まれ変わるみたいに、前のネイルは役目を終えていく。



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