AMUZA NAILー私の戦闘服ー

香枝ゆき

第1話 ネイルの査定

 私はこの仕事に向いていない。そんなことは分かっていた。

 けれども面と向かって上司から「向いていないんじゃない?」と言われると、それはそれでへこむ。

 だから自分の心を守るため、今日は有給休暇をとって部屋でごろりと過ごしている。

 他のみんなが働いているときに休むのは、多少の罪悪感があるけれど、休んでいるという実感がわいてきてトータルでは幸せだ。

 ――嫌みを言われた次の日に会社を休むなんて、と上司に思われているかもしれない。けれどそんなことはどうでもいい。私は私を大事にしたい。

 平日の午前10時。一般的な社会人が働いている時間に、私は寝間着のままベッドに寝転がっている。

 寝返りを打って、部屋を見渡す。机の上に投げ出した名刺入れが目に入った。

 お気に入りのブランド製で、気に入ったデザインのものを探しまわった思い入れのある品だ。これを買ったときにはもう少し、社会人というものに期待と憧れを抱いていた気がする。

 名刺入れには、『クリスタル生命 篠田麻衣』と書かれた名刺が複数枚入っている。――最も、生命保険会社の社員には、なりたくてなったわけではない。

 なにになりたいか。中高の頃から、夢がなかった。ただ、楽しく過ごしていければいいな、というくらい。それは大学でも変わらず、卒業したらなにか仕事に就かなければならないな、というところまでの考えにしか至らなかった。

 無職やフリーターになるつもりはなかった。周りに流されるように、名前の通った会社をいくつか受けて、当然のように落ちて。拾ってくれたのがクリスタル生命だった。クリスタル生命から内定をもらって、就職活動に疲れていた私は、もういいや、と他の会社を受けることをやめてしまった。

 入社後すぐに、もう少し就職活動を続けてみてもよかったのでは、と少し後悔した。給料は最初のほうは一定額保証してもらえるが、半年ほどで保証給はなくなる。給料の基本は歩合制。会社に所属していたら黙っていてもお金がもらえると思っていたので、もっと説明会のときに話を聞いておけばと歯噛みした。

 入社して早々、友達にも保険をすすめてみなさい、という上司からの言葉にも驚いた。私は連絡したふりをして、契約に至りませんでしたと報告した。そういう意味では、やる気は最初からなかった。

 そもそも友達に保険をすすめたくない。それで友達から距離を取られても誰も責任をとってくれないでしょう。

 そんな言葉を飲み込んで、担当エリアの中小企業を回って、お昼休みの時間帯に邪魔にならないところに立って、声をかけたり資料を渡したりする日々を続けている。

 保険に関して熱い思いをもっているわけでもない。入社から2年経って、私の成績は低空飛行を続けていた。生命保険の営業職員は、思った以上に実力主義のところがあった。

目標に達していなくて、上司から呼び出されても、心を無にして、嵐が過ぎ去るのを待っていた。そして自分の指先に思いを馳せていた。この職場で働くメリットなんて、ネイルが自由であることくらいしかない。

 そんな心の内を見透かされたのだろうか。

「篠田さんのネイル、ちょっと派手じゃない?」

 私が心の支えにしているネイルが、注意を受けた。

 上司に別室に呼び出され、成績不振を咎められると同時だった。

 クリスタル生命では、ネイルに関して社内規定がない。だから女性社員のほとんどは、思い思いのネイルを施している。

 入社時に同行させてもらった先輩の爪はシックな赤だったし、隣のデスクに座っている同僚はオレンジと白のグラデーション。営業成績トップのエースは、家事に支障が出そうなほど爪を長く伸ばし、メタリック系のカラーをつけている。

 ネイルに関しての社内規定が新しくできたという話も聞かない。

「手元が派手だとお客様から敬遠されるかもよ」

 と上司が遠回しにちくりとする。

 私の爪は、ネイルサロンに行ってアートをしてもらっている。指摘された爪は、肌なじみのいい薄い黄色がベースに塗られている。両方の親指と薬指には、ジェルで立体的な花が書かれている。なにも塗っていない爪と比べたら、確かに派手だろう。

 けれど、他の先輩みたいに6センチほど爪をのばしているわけでもないし、キラキラした大きいラメや引っかかりそうな石は入れないようにしている。色も奇抜じゃないはずだ。

「爪よりも気にすることあるんじゃない?」

 そういってくる上司の爪は、きれいに整えられていて、ゴールド系のマニュキュアが塗られていた。

 もっと派手なネイルをしている先輩だっているのに、なんで私だけ。成績が悪いからか。

「私は」

「向いてないんじゃない? ……ってなっちゃうよ。このままじゃ。あ、爪、今度の休みになんとかしてきてね」

 上司は私の答えを聞かずに退室した。


 ベッドに転んだまま、爪を眺める。3週間前にサロンで整えてもらった爪は、伸びてきていて根元の部分は自爪が見えてしまっている。

 上司に言われたからではないけれど、ネイルを変えるのにはいいタイミングだ。

 私はスマホで今日空いているサロンをチェックした。

 私は行きつけのネイルサロンをもっていない。

 大手美容系ショップ予約サイトで、新規客向けのクーポンを使い、通常の値段より安く施術してもらう。よその店のネイルをオフするには別料金となることが多いけれど、新規客なら、他の店で行ったネイルを付け替えてもらうのにもお金がかからないことが多い。そうして店を渡り歩いている。

 気に入った店は特にないし、どれも仕上がりなんて似たり寄ったりだと思っている。

 できたら近所で空いているサロンはないか。

 そう思いながら画面をスワイプしていたとき。

『本日11時より空きでました!』

 そんな一文が飛び込んできた。

 AMUZA NAIL。オープンして数カ月の新規店のようだ。

 電車で一駅。軽い散歩もかねてちょうどいい。

 私はスマホで予約を入れると、外に出られる格好へと着替えることにした。

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