第18話 王さまのためのいい匂い



 お母さまは、いつもふんわりと甘い匂いがした。とても安心する匂いで、わたしは大好きだった。いつも引っついていたいくらいに。


 だから王さまからも、きっといい匂いがすれば、みんな引っつきたくなるはずだ。王さまをモッテモテにするためには、そういう匂いを王さまからさせられればいいと思うのだ。


「わたしは、お菓子がいい匂いだと思うの」


 だから、もしお菓子にケーキがきたら、今度はそれを持って王さまに会いに行こうと思っている。

 お母さまがどうやっていい匂いをさせていたのかは分からないけど、王さまの服にケーキのクリームを塗れば、たぶんいい匂いをさせられるんじゃないかと思うのだ。


 でもお菓子の匂いを魔王国の人たちはどう思っているのか、わたしと同じようにいい匂いだと思ってくれるのか、それだけがちょっと心配だった。それが悩み……というか、今のわたしの不安だった。



 頭の中で王さまのお洋服にクリームをケーキごとペトッとしている自分の姿を想像しながら、わたしはスーちゃんの答えを待つ。

 彼は「ホ~」と考えるそぶりを見せた。そしてちょっとの時間のあとで、曇った顔をしながら口を開いた。


「そうですホ~……。たしかにお菓子はいい匂いだと思うけどホ~、甘い物が好きじゃない人にとっては苦手な匂いかもしれないホ~」

「そうなの?」

「少なくとも僕は、陛下が甘い物を食べているところを一度も見た事がないんだホ~。魔貴族の集まりの護衛をしていて一度もないから、甘い物が得意じゃない可能性があるホ~」

「そっか……」


 じゃあ他の匂いの方がよさそう。でもこの部屋にいて手に入るいい匂いなんて、お菓子の匂い以外にはない……。

 そんなふうに思っていると、ふと目の端に花が見えた。


 瑞々しい、綺麗な百合の花。フレンが毎日持ってきて、飾ってくれている花だ。

 

「花……」


 そう言えば、お母さまがこの話をしていた時に見ていたのは、お部屋に飾ってある花だった。

 えっと、何だっけ……。そう、たしか『いい匂い』にも色んな印象を与える匂いがあるって。


『蜜のような甘い匂いならフワッとした可愛い印象を、オレンジのように酸味のある匂いなら爽やかな印象に。ミントならクールに、ラベンダーなら穏やかに。纏う匂いによって、自分を演出する事もできるの』


 そんなふうに言っていた。



「スーちゃん!」

「何だホ~?」

「ご飯を食べ終わったら、お花を見に行こう! 王さまに似合う匂いを探すの!!」


 彼に元気よくそう言えば、彼は眉尻を下げる。


「ダメだホ~。危険だから部屋から出ちゃダメだって、陛下から言われてるんだホ~」

「王さまのやさしさを伝えるために、必要なの! スーちゃんがいれば守ってくれるし、ぜんぶ王さまのためなの!!」


 すべては王さまをモッテモテにするため。そんな強い使命感で旨の前でグッとこぶしを握りながら言えば、彼は一瞬はたと固まった。


 そしてゆっくり三秒後。


「行くホ~!」

「うん!!」


 こうしてわたしは食後に、スーちゃんと二人部屋を出た。

 ――その前に一筆したためて。



 ◇ ◇ ◇



 誰もいなくなったリコリスの部屋に、一人のメイドがやってくる。

 白黒のメイド服を着た、ほっそりとしたそのメイドは、部屋の主がいない間にテキパキと食事の片づけをして部屋を掃除し清潔を保つ。


 手慣れたものだ。もし淀みのないその仕事を見ている者がいたとしたら、きっと彼女を褒めただろう。

 そんな彼女の手が止まったのは、机の上に一枚の手紙があったからだ。


 子どもらしいちょっと歪んだ字で『フレンへ』と書かれた二つ折りの紙を、彼女はおずおずと手に取った。

 恐る恐る開いてみると、中には同じく歪んだ字でこんな言葉が書かれている。



<フレン、いつもおへやをキレイにしてくれて、ありがとう>


 たった一行。お世辞にも上手だとは言えない、やっと読めるという感じの字だ。

 だけどその言葉を、彼女は噛み締めた。

 一度目は驚きと共に読んだその文字を、二度目は確認するように。三度目はもう一度なぞるように。四度目は喜びをかみしめながら。そして五度目も読んだところで、紙の端にもう一行文章を見つける。


<けがはしてませんか?>


 メイドには、その言葉に一つ心当たりがあった。

 その心当たりこそ、この部屋のメイド業をさせていただくキッカケになったと言っていいものだ。


「気にしてくださっていたのですか……」


 メイドがか細い声を発する。しかしそこには、たしかな喜びが滲んでいて。


 彼女は手紙のすぐ横に転がっていたペンを握る。そして二文目に添えるようにして、部屋主の要望に従った。


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